「成長したい」という漠然としたものについて
こんにちは!
GWも明け、梅雨をすっ飛ばして真夏がやってきましたね。(写真はガーデニングに目覚めた母親に着手された実家の庭です。かわいい。)
あつい!!
先週は連休中だったので更新をおやすみしておりましたが、今週からまた毎週更新やっていこうと思います。
今週、書き留めておきたいことはタイトルにもあるように、私が思う「成長」ということについてです。個人的かつ独断と偏見の塊りのような文章なので「いや、それは違うよ」とか思う方もいると思います。
でも、noteってそういうものを書く場所だとも思うので、もし、読んだ人が「もっとこう考えるといいんじゃない?」って思ったら、(優しめに)教えてくれるとうれしいです。
学生のころ、何かにつけて「成長したい」を理由にしていました。
「成長したいから」というのは、良く使う言葉のひとつではないかと思います。わたしもそうでしたし、正直今もずっと「成長したい」とつよく思って、努力しています。
ただ、学生の頃と明らかに違うのは「何をもって成長とするのか?」という問いかけを常に繰り返し自問できるようになったことです。
よく考えてみれば「成長する」ということほど漠然としたものはないのではないでしょうか。
「成長した」「成長している」という判断が漠然としている理由は、主観であることに包括されると思います。
ある種、自分を客観視していますが、あくまでもそれは主観的だと思います。というのも、自分から見て、己を見つめ直したとき、自分の短所を引き上げるとか、自分の長所を伸ばすというのを定量的に表すのはほぼ不可能かと思います。
そもそも成長ってなんだ?
「何かできないことがあたらしくできるようになった」とか「新しいことを勉強した」とか、+αになったとき、私の脳はとても単純なので「成長してる」と感じます。これも間違っていなくて、紛れもなく「成長」だと思います。
過去の自分がアップデートされたという事実なので。
ただ、本来であれば、成長というのはもっと先を見据えて、「将来的な達成目標のために必要な要素が身に付いたとき」なのだと感じるようになりました。
もっと具体的にしてみます。
将来的な達成目標「海外で仕事をする」ならば、「英語を話せるようになること」「その国のことを知る」「日本のことを知る」などが必要要素だと思います。
英語を話せるようになるためには、例えば毎日英単語を覚える、参考書を1冊やりきる、洋画を日本語字幕なしで理解するとか、そういう具体的なものになり、それをひとつずつ達成したときに「成長した」と感じるのだと思います。
つい最近まで、私は「将来的な達成目標」を立てずに、目の前にあることに取り組み、自分がアップデートされて、「成長した〜〜〜!」と感じていました。
悪いことだとはこれっぽっちも思っていません。
ただ、もっと先を見据えて道筋を立てることが今後さらに必要なのだと思うので、直接仕事に関係するかわからなくても自分の将来像をちゃんと見据えていくことは本当に重要です。
今回なぜこのテーマで書いたのか、新卒が書くにはちょっとぼんやりした物になってしまうのではないか、と色々思いましたが、確かに「成長」というワードはよく使っているが、ここで一度自分が思うことを文章にしてみようと決めました。
GWに時間があったので、インターン時の1on1や個人目標のメモをなんとなーく見返していたところ、「初めての環境に飛び込んだことによる成長実感が得やすい」というメモがありました。
ああ、確かに。
新しい環境に身を置いたとき、触れる物全てが新しく、成長していると感じやすいなと思いました。そして、4月に入社し、1ヶ月が経った今もその時と同じように「新しい環境になったことによる成長」を漠然と感じているのかもしれないと思います。
ここから、さらに気を引き締めていきます!
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