ショートショート|お家
今日で息子が1歳の誕生日を迎える。
ひとり歩きがずいぶんと安定した。離乳食もパクパク食べる。ドアのノックも上手に真似するようになった。
そろそろ頃合いだろう。
私は息子に、マイホームを作ってやった。
ひとりにつき1軒のお家を持つのが我が家のしきたりだ。まだ幼いとはいえ、例外は許されない。
言葉よりも先にノックを教え込んだのも、そのためだ。空腹なとき、オムツを替えてほしいとき、寂しいときは、母のお家をノックして呼び出せばいい。
息子は後追いまっさかりで、どうしても母のお家から離れようとしない。顔を真っ赤にして泣きわめいている。
仕方がないので、妥協してふたりのお家をテラスハウスにしてやった。母の風呂場の壁と、息子の授乳室の壁をくっつけて、ニコイチのお家に仕立てていく。
これならば実質、常に母とくっついているようなものだ。息子も安心して、作りかけのベッドルームですやすや眠りはじめる。
朝方から作業を開始して、昼前には無事、息子のお家ができあがった。
子どもらしく、原色系のペイントでイラストを描きまくった目立つお家だ。これなら、帰る場所を間違えることもないだろう。
早速、息子は「ママ、ママ」とドアをノックしている。
褒めて欲しいのか、新しいお家のなかでヨチヨチと歩く練習を披露していた。
妻は窓をあけて、やさしく話しかけながら、息子の口に離乳食を放り込んでいく。
これぞ、我が家の平和な風景だ。
私は満足げに我が家の屋根の上に寝転び、くつろぎはじめる。
すると、そこで地震がおきた。
地響きと共に、大きな揺れ。縦に横に、身体が揺さぶられる。
大きいぞ。みんな、家の中に隠れろ。
妻と息子をそれぞれの家に押しやり、私は自分のお家を家族のお家の上から覆いかぶせた。
看板や折れた木の枝が降り注いでくる。すべて私のお家で食い止める。家族にはかすり傷ひとつ、負わせるものか。こういうときに備えて、私のお家は核爆発も防げる特殊合金でこしらえてある。
よし、おさまってきたな。
しかし、まだ油断はできない。津波や火事に備えなければ。
私は家族に、大事な物だけを持って逃げるぞ、と提案した。
大事な物とは、すなわちお家である。我が家でお家以上に大事なものは存在しない。むしろ、お家さえ持って出れば、衣食住のすべてが備わっているのだ。
妻と私はお家をかついで、安全な場所へ逃げだした。東へ西へと奔走する。
息子のお家が間に合っていてよかった。ベッドルームで眠らせたまま、運ぶことができる。
高台の上にひらけた場所を見つけて、そこにお家を落ち着けた。
数日、様子を見たが、土砂崩れも津波も、火事もやり過ごすことができたようだ。
やはり、各々が自分のお家を持っていると、いざというときの安心感が違う。
我が家の家訓は間違っていなかったのだ。
などと、誇りに思っていると、私の家のドアがノックされた。
誰だろうと思って開けたが、立っていたのは見知らぬ初老の男性。どうやら、この街の市長らしい。
街のほうは地震の被害が大きく、たくさんのお家が倒壊したり、火災で全焼してしまったのだという。
市長は私がお家づくりの達人であることを、どこからか聞きつけて、街の復興を手伝うよう依頼しにきたのだった。
自分の特技が人々の役に立つのであれば、これ以上のことはない。
私は喜んで、この依頼を引き受けることにした。
避難所に集まるお家を失ったひと一人ひとりに、理想のお家を聞いてまわり、マイホームをこしらえていく。
お家を受け取ったひとは、その予想以上の完成度に嘆息し、口々に感謝の言葉をのこしていった。
私も嬉しくなり、復興を手掛ける腕にはずみが出ていく。
しかし、ことは順調なままでは終わらなかった。
どう考えても、お家を求めるひとの数が、市内の人口よりも多くなってきたのだ。
市長を問い詰めると、どうやら私のお家づくりの素晴らしさを聞きつけた人たちが、理想のお家を求めて、全国から集まってきているようだ、と打ち明けた。
自分の仕事が認められるのはいいことだ、と最初のうちは気を良くしていたのだが、お家を求めるひとの数はどんどん増えていくばかり。
最近では明らかに日本人ではない顔も、列に並び始めている。
行列は国際規模になり、事態のエスカレートも止まらない。
私にお家を作ってもらう順番をめぐって、紛争や貿易摩擦が生じたりもしはじめた。
これではさすがに、本末転倒である。私は家族の平和を求めてお家を作ってきたのだ。
私のお家に住むということは、私の家族になることと同義だ。争いはやめなさい。
私は作業の手を止めて、そうスピーチしたが、誰もが私利私欲のために夢中で、なかなか耳を貸そうとしない。
言葉だけではダメなのだ。
実際に、みんなでひとつの家族にならなければ。
こうして、私は地球全体を包み込む超巨大なお家を作り上げた。
人類全員が、ひとつ屋根の下に暮らす家族となった瞬間だった。
<了>