ショートショート|赤ん坊を運ぶコウノトリ
私はコウノトリ。
そんで、このクチバシにぶら下がっているのが、人間の子どもだ。名前はまだない。ほんの、生まれたてさ。
私たちコウノトリは、生まれたての赤ん坊を人間の夫婦のところへ届けなければならない。
これは我々の祖先がエジプトに繁栄していた頃から始まった文化らしい。けど、文化っていうのはたいていが面倒なものさ。
この赤ん坊、生まれたてのくせに体重が私とたいして変わらない。
重い。
布でくるんで運ぶもんだから、余計に重く感じる。このまま長距離を飛行しろってんだから、無茶ぶりにもほどがあるだろ。
おまけにこいつら、2〜3時間おきに腹がすいて泣きわめく。しょっちゅうオシッコやウンチをして泣きわめく。特に意味もなく泣きわめく。
で、旅路もなかなか前へ進まない。
そのたび下へおりて、ミルクを温めたり、おむつを替えたり、クチバシをカスタネットみたいに鳴らしてあやしたりしなきゃならない。
はああ、まったく。面倒、面倒。
そもそもだね、私は肉食なんだよ。
普段はカエルや虫や小動物を食べているんだ。無抵抗な人間の子だって、食指の範囲内。なんでエサをクチバシに携えて、はるばる遠方まで飛び続けなければならないのさ。
まったく、祖先は余計なことを生業にしてくれたもんだね。
これだけ不合理な職場環境じゃ、コウノトリが絶滅危惧種に認定されるのも無理はあるないってもんさ。
おっと。ようやく寝たね。
寝かしつけは大変さ。こいつら、起きたらすぐに全力で泣けるくせして、寝るときは謎にねばりやがる。
布に包んでクチバシの先でゆらんこゆらゆら。翼の先でトントンふわふわ。これを何十分も続けなきゃならない。
まったく、足が棒になっちまうよ。もともと棒みたいな足だけど。
さて、厄介な荷物もおとなしくなったことだし、ゆったりと空の旅を再開しますかね。
よいしょ、と。
本日は快晴なり。
いやはや、空は自由だねえ。静かだねえ。
おや、あれはなんだ?
なにか、物凄い速さでこっちに向かっているような……。
あ、まずい!
ハヤブサだ! 私たちの天敵、猛禽類だ。
重い赤ん坊をぶら下げたままでは、とても太刀打ちできないよ。さっさとどこか、隠れるところを……いや、だめだ。もう見つかった!
あ、痛っ!
まったく、速すぎだね。世界最速の二つ名は伊達じゃないというか。狙いを逸らすので精一杯さ。
うん、こりゃだめだね、右の翼を折られた。
バランスが取れやしない。
いったん、どこかへ身を隠さなければ。
ん? なんだ、あいつ、どこを見て……。
ああ! 赤ん坊を狙ってやがるな。ふざけやがって。
こんな生まれたばかりの尊い命を、お前みたいなやつにくれてやるものか。
欲しけりゃ、力付くで奪い取ってみやがれ。
あっ、嘘。嘘。そんなマジな目しないで。
いやあああ――
――とまあ、色々あったが、なんとか逃げ切ったようだ。
この岩の洞窟ならば、あいつも気づくまい。そろそろ日も沈む。
おたがいに、鳥目だ。
捜索も難しくなるだろう。
さて、問題はここから。
両翼は折れ、足は砕け、クチバシも半分欠けてしまった。幸い、海沿いだからエサはなんとかなるものの、問題は赤ん坊だね。
この身体では、もう空を飛ぶことはできまい。この子を両親のところへ届ける使命は、果たせず終わってしまうわけさ。
そうだね。
いっそ、ラクにしてやろうか。
人間の出生には、流産というものがつきものだと聞いた覚えがある。運搬途中の不慮の事故も、似たようなもんだろう。
さて、クチバシでひと突き――なんだい、どうしたんだい。
そんなに震えて。怖いのかい、赤ん坊のくせに。
違うか。寒いのか。そりゃそうだ、新生児に感情なんて、あるわけないわな。
ほら、こっちへ来な。
天然100パーセントの羽毛布団だ。ありがたく包まるんだね。
まったく、祖先は余計なことを生業にしてくれたもんだよ。
「それじゃ、行ってくるから」
人間の子は、律儀にも数日分の魚やら貝やらを私の前に並べてから、そう挨拶した。
あれから、15年。赤ん坊だった頃の面影はなくなり、すっかり青年の姿に成長してしまった。
私の翼はひん曲がったまま、私の足はちょんぎれたままで、岩場の洞窟から一歩も出ないまま月日は流れた。こんな悪環境で、よくもまあ、こんな立派な身体に育ってくれたもんだ。
15年間、世話し続けた人間の子を眺めながら、感傷にふける。
人間の子は私に背を向け、岸の果てまで歩いていく。そこで何を思ったか、一度こちらを振り向いた。
「母さん。やっぱり、母さんはここに残るの?」
呆れた。まだそんなこと言ってるのかい。
この翼で、この足で、どうやって空を飛べっていうんだい。
「母さんひとりくらい、俺、かつげるよ」
やめとくれよ、みっともない。
いくら鳥の中では長寿といったって、30年も生きてりゃ立派に御老体だ。ゆったりと余生を過ごさせておくれよ。
「そっか……」
残念そうに、名残惜しそうに、人間の子はうつむくと、再び岸の果てへ向いた。
そこで、何を思ったか、またこちらを振り向く。
私はいい加減に腹が立って、怒りのクチバシを打ち鳴らした。
「待って、これだけは言わせて」
人間の子は、しかし、冷静に私を静止した。
「これから、人間の夫婦のところへ行くけれど。そのひとたちが、俺の本当の両親なのかもしれないけれど、」
あ、やばい。
あんた、一体何を言うつもりだい。
「俺にとって、母さんは、あなただけだから」
そう言うと、人間の子は、今度こそ岸の果てに向かった。
両手をぱたぱたと宙に羽ばたかせ、風に乗って、飛び立っていく。
本日は快晴なり。
ぐんぐんスピードを上げていく背中は、やがて、太陽の光に包まれて見えなくなった。
言い逃げとは卑怯だね。これだから、人間ってのは。
ああ、もう。歳をとると涙腺がゆるくなって、いやになる。
ま、うんと遅刻はしたけどね。
飛び方を教えてやったのは私なんだし。
これも、「コウノトリが赤ちゃんを運んだ」ってことに、してはくれませんかね、ご先祖さま。
<了>