ショートショート|フードデリバリー配達員の大冒険
とあるフードデリバリーの配達員が、道端で困り果てていた。もう10分以上、このあたりをぐるぐると周りつづけている。
スマホのマップアプリを起動して、依頼主の住所を確認する。
間違いない。確かにあそこのはずだ。
一昔前の新興住宅地のど真ん中に、どでかいマンションが悪目立ちしていた。窓の数を下から順にかぞえてみる。どうやら、地上20階建てのようだ。ぎりぎりで、タワーマンションと呼べなくもない規模だろうか。
依頼主の住所も、末尾が1902号室となっている。あのマンションの19階の部屋と考えれば、違和感ない。
の、だが。
「いったい、どこから入るんだろう……」
あれほど目立つ建物なのに、どの道を辿っても、入口が見当たらない。スクーターであたりをうろつき、入口に行き着きそうな小路を見つけては停車して覗きに行く。
しかし、どの道も延々に人家の塀や生け垣が続くばかりで、肝心のマンションへは行き着くことができなかった。
仕方がない。
配達員はアプリから依頼主の登録情報にアクセスし、電話をかけた。
2、3コールの後、相手が応じる。
「あっ、お世話になってます。フードデリバリーの者です」
「ちょっと、遅いよ。もう結構な時間、待ってるんだけど」
「お待たせして申し訳ありません。ご注文のマンションの近くまでは到着しているのですが、入口が見つけられなくて……」
と、配達員が言いかけたのを、電話口からの「あっ、そうか」という舌打ちが阻んだ。
「ちょっとね、入口は分かりにくいんですよ。うっかりしてたなあ。普段デリバリーなんて使わないから」
「はあ。それで、どちらへ行けばいいんでしょう?」
配達員にしてみれば、依頼主がデリバリーサービスを愛用していようがいまいが、どうでも良かった。さっさとこの配達を終わらせて、次の依頼に向かいたい。稼ぎの効率を下げられて、こちらのほうこそ舌打ちをしたい気分だった。
「あのね。マンションの斜向かいに、青い屋根のお家があるでしょ」
配達員は指定の位置を確認する。確かに、青い屋根をした民家があった。庭には洗濯物が干してある。
「はい、ありました」
「そこ、入って」
「はい?」
依頼主の指示に、耳を疑った。
どう考えても、マンションとは無関係な一戸建てだ。からかわれているのだろうか?
「いいから、その青い屋根のお家に入って。鍵は開いてるから」
早口にまくしたてる。依頼主のイライラが伝わった。
とても冗談を言っているようには、聞こえない。
面倒なことになったなあ、などと思いながら、配達員は青い屋根の家の玄関口へ向かった。
玄関の前まで到達して、ふと躊躇する。表札も、インターホンも見当たらない。
ノックをすれば良いのだろうか。と、配達員が戸惑っていると、電話口から「入りました?」と急かす声が聞こえた。
慌ててドアを軽く2回たたき、取っ手を引いてみる。
開いた。
「失礼しまーす……」
「そんなん要らないから。二階まで上がって。靴のままでいいよ」
見ると、床にはビニールシートが敷き詰められている。
妙な感じだ。配達員はおそるおそる、指示に従った。
家中に人の気配はない。が、常識的な感覚からか、自然と足音を忍ばせる歩き方になっていた。
「二階、つきました」
「じゃあさ。畳の部屋、あるでしょ。そこの窓を開けて」
「えっと……、あ、はい。開けました」
「そしたらさ、マンションの二階まで一直線でしょ」
確かに。
今、配達員が開いた窓からは、依頼主のマンションがよく見えた。そして、その二階の窓は、ちょうど目線の位置と一致する。
一直線と、言えなくもない。
「はい、本当ですね。一直線です」
「本当ですね、じゃないだろ」
「え?」
思わぬタイミングで相手が声を荒げたので、配達員は驚いてスマホの画面を見た。
当然ながら、電話番号以外に何も表示されていない。
「さっさと渡れよ。わかるだろ。二階から入るんだよ。その窓からまっすぐ歩けば入れるから」
「えっと……」
「早くしてくれよ、腹減ってんだこっちは」
電話が、切れた。
配達員は呆然と、目の前の光景を眺める。
目の前の窓からマンションまでは、確かに一直線だ。だが、その間には橋もロープもない。ただの空間が、広がっているだけ。
正気かよ。配達員は胸の内で罵りながら、目を凝らしてみた。
やはり、何もない。
いや、うっすらと、太陽光に反射するものが見える。気も、しなくはない。
透明な床でもあるのだろうか。
窓の木枠によじ登り、足先で探ってみる。
こつ、こつ、と何もない空間から硬い音が返ってきた。
なるほど、確かに道があるようだ。
料理の入った配達用バッグにバランスを奪われないように注意しながら、配達員は透明な床をこつこつと渡っていく。
道幅が、よくわからない。
額に汗が吹き上がる。できるだけ慎重に進み、なんとかマンションまで到達した。窓に手をかけると、軽い力でからりと開く。
「失礼しまーす」
本日二度目の不法侵入は、一度目よりも少し緊張が和らいでいた。
透明な床にとどまるよりは、住人に通報されたほうが良い、という心境の変化なのかもしれない。
ようやくマンション内部に入り、ふうっ、と息をついたのもつかの間。
鼻先を、潮の香りがそよいだ。
海だった。
マンションに入ったつもりが、いつの間にか砂浜に佇んでいる。
いや、後ろを振り返ると、今しがた配達員が乗り越えてきたばかりの窓がある。
間違いなく、ここはマンションの中のはずだ。
配達員はスマホを手に取る。
「もしもし。すみません、マンションに入ったら海なんですけど」
自分でも意味不明なことを口走っているな、と思いながら、依頼主に電話をかけた。
「そうだよ、海だよ。……あー、もう。そこも説明しなきゃだめ? 港があるでしょ。そこから、船に乗ってよ。エレベータホールまで連れてってくれるから」
じゃ、とだけ残して、依頼主は早々に電話を切ってしまう。
配達員はもはや、常識にとらわれることを諦めた。
砂浜を踏みしめ、港へ向かう。事情を話すと、船には問題なく乗ることができた。
しかし、その後も不思議は途絶えることなく配達員を襲い続けた。
船は出向して間もなく、大嵐に巻き込まれた。
雷に打たれてマストが燃える中、海へと放り投げられた。
大波小波にもがいているうちに、気づくと植物まみれの部屋に到達していた。
熱帯雨林のような蒸し暑さの中、きれいな良い香りの花を見つける。
近づいてみると、花は牙をむき出しにして配達員を食べてしまった。
それが、エレベータの入口だった。
花のエレベータは地上15階まで配達員を運んで、吐き出した。
まだ、依頼主の家までは4つも階を跨がなければならない。
鉄骨まみれの15階を慎重に進み、ボルタリングで16階へ。
16階は、スパルタなバレーボール部だった。
自動照準のバレーボールマシンが剛速球をぶつけてくる中を、懸命に駆け抜ける。
気づけば配達員は、傷だらけのアザだらけになっていた。
なぜ、たかがフードデリバリーで、こんな目に合わなければならないのだろう。
気軽なはずのアルバイトに訪れた思わぬ災難に、つい愚痴を言いたくなってしまう。
ふと、バレーボールの嵐が止んだ。
気づけば、次のフロアへ進む階段の、目の前まで来ていた。
少し休憩しよう。
予想外の大冒険の連続で疲労困憊に陥っていた配達員は、配達用バッグを床に置き、自身もその場に腰を落とした。
それが、運の尽きだった。
配達員の座った床には罠が仕掛けてあり、重みが一定値を超過したとたん、落とし穴が作動した。
バッグを残して、配達員の体だけが真っ暗闇のなかを落下していく。
配達員は絶叫しつつ、過去の思い出が脳裏を駆け巡っていくのを感じた。
地上16階からのロープなしバンジージャンプだ。
当然ながら、配達員は墜落死してしまった。
死んでしまった配達員はスマホを取り出すと、三度目となる電話を依頼主にかけた。
「もしもし」
「あ、もしもし。フードデリバリーの者ですけど」
「なあ、いつまでかかんの? さすがに遅すぎるぞ」
「申し訳ありません、16階で死んでしまいまして」
「えーっ!? ちょっと、何やってんのよー」
後処理が面倒じゃん、などと、ぶつぶつ小言をつぶやいている。
面倒なのはこっちのほうだ、と配達員のほうも、だんだん腹が立ってきた。
「あの、料理は16階にあるんですよ。自分、体だけ落ちたんで」
「ああ、そうなの」
「だから、もう置き配でいいですか? そこまで取りにいってください。もう一回そこまで行くの、めんどいんで」
「あん? なんだ、客に向かってその口の効き方は……」
「それじゃ、お願いしますね。またのご利用、お待ちしてまーす」
まだ喚き続けている依頼主を無視して、配達員は電話を切った。
内心では「もう二度と注文するんじゃねーぞ」と罵りながら。
フードデリバリー配達員も、ラクではない。
<了>
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?