ショートショート|推しの手
変わったアイドルがいるから、見に行こう。
友人に誘われて強引に連れ出されたのが、そもそもの始まりだった。
怪しげな店が立ち並ぶ繁華街の地下。
ポスターとポップアートに満ちたアングラなライブハウス。
待ち時間のBGMにしては爆音すぎるハードコアなメタル。
ひとつも親近感を覚えないカルチャーの数々に、僕の気持ちはすっかり萎えきっていた。
彼女たちが現れるまでは。
突如、曲調が変わり、アニメ声のセリフから始まるA-POPが始まる。people = shitを叫ぶ重低音から、萌え萌えきゅんきゅんラブずっきゅんの4つ打ちへ。
リズムに乗って、彼女たちがステージへ姿を現した。
立ち並ぶ、5人。
その衣装の異様さに、僕はまず目を奪われる。
体のラインが一切見えないダボダボの和装。
黒衣でおなじみの顔隠し頭巾。
それぞれに黄色だのピンクだのとカラーリングで分類されている。
が、身長も似たり寄ったりで、顔もスタイルも全くわからないのでは、それぞれの特徴を見分けようもない。
これでアイドルが成り立つのか。
不思議に思っていると、爆音の隙間を縫って友人が耳打ちした。
「このコたち全員、手タレなんだって。ハンド・モデル。アイドルだから、手ドル? ハンドル? まぁともかく、”手”だけで見せるアイドルらしいぜ」
そう言われてよくよく見てみると、なるほど、正体を隠すダボダボ衣装の割に、手首から先は爪の先にいたるまで剥き出されている。
統一された動きで、手の甲をこちらへ向ける。
それぞれに個性的なタトゥーやマニキュアが、美麗な手を更に魅力的に彩っていた。
こんにちは、わたしたち、手のアイドル『綱の手引き坂4649』です!
みんな、手は好き? 今日はわたしたちの可愛い手を、た~くさんっ、見ていってね!
真ん中の赤色が、MCをはじめた。
手話で。
観客に伝わらないことは折り込み済みなのか、その横で黄色がフリップをめくって字幕を提示している。めくるたびに、手のポージングを美しく決めている。細かい。
それじゃ、一曲目、いくよー。
クラップ・ユア・ハーンズ、セ~イ、手ぇぇぇぇぇ!
謎の煽り(手話と文字)で会場を盛り上げたあと、彼女たちは曲に入る。
当然、歌はうたわない。どころか、ダンスすらしていない。
縦一列に並び直したまま、直立している。
いや、唯一、手だけが目まぐるしく動いている。幾何学的でリズミカルな動きで、肌色のアートを咲かせまくっている。
フィンガー・タットというやつだろうか。
広いステージの上で、ただ5人分の美しい手だけが、くるくるくるくると動き回っていた。
二曲目、三曲目と進行しても、特にやることは変わらない。
曲調に合わせて、ただただ手の動きだけを見せられた。
いや、魅せられた。
ライブが終わる頃には、もう僕は彼女たちにぞっこんだった。
すぐさま物販でCDを買い、友人に別れを告げると、自宅に戻ってクローゼットの奥底からホコリまみれのCDラジカセを発掘する。
軽く掃除して、CDをセットする。
曲が流れはじめる。
失敗だ。
音楽だけでは、彼女たちの美しさの何も味わえないではないか。
楽曲なんてどうでもいい。僕は彼女たちの、手が見たいのだ。
仕方なく僕は目を閉じて、色とりどりの袖口から放たれる彼女たちの妖美な手の舞いを、思い起こしていった。
まだまだマイナーな彼女たちは、応援しようにもCDもグッズも数が限られていた。
公式サイトの更新もまばらで、ライブ情報を得るにも一苦労した。
にもかかわらず、僕の推し活は熱を帯びる一方だった。
ファンクラブに加入し、ファンサイトを運営し、CDも出るたび何十枚単位で買い漁っていった。
非公式お兄ちゃんと揶揄されながらも、情熱をかけて応援し続けること数ヶ月。
ついに、彼女たちと直接対面する機会がやってきた。
握手会のチケットが、当選したのだ。
一部では倍率が5億倍とも噂される抽選を勝ち取った僕は、歓喜の極みだった。
地方遠征の影響で、有給休暇はすでに使い尽くしていたが、なんとか重症の仮病を発動して休日を確保した。
そして当日。
『綱の手引き坂4649』のファン、通称「手袋さん」たちの行列に、僕は並んでいた。
会社の同僚に見られることも考えて、帽子とサングラスで変装してはいたものの、その下の表情に高揚が隠しきれていないことは明らかだった。
胸が高鳴る。
手汗を何度も拭き取る。
口臭予防のタブレットを一箱まとめて噛み砕く。
いよいよ、僕の番だ。
黒服に招かれ、列から離れる。
しばらく歩き、仮設の小屋のような小さな建物へ案内される。
その中に、彼女たちが待っているのだという。
僕は念入りにひと拭き、手のひらをズボンで拭うと、ドアノブを握りしめてゆっくりと、回した。
しかし。
そこには誰もいなかった。
真っ黒な壁に四方を囲まれている。他に物らしき物もない。
何かが、おかしい。
そう思い、僕は外へ出ようとドアノブを回す。
回らない。
開かない。
押しても、引いても、びくともしない。
何だ、何が起こっているんだ。
焦りを体現するように、ノブをがちゃがちゃ回す。
ドアをがんがん叩く。
大声で叫ぶ。
その瞬間。
凄まじい物音と同時に、四方の壁が突き破られた。
白い何かが飛び出してくる。
鋭く、白い、何か。
いや、手だ。
10本のしなやかな手が、壁から突き出る形で僕の周りを取り囲んでいた。
そのタトゥーやマニキュアには、見覚えがあった。そして何より、これほど美しい手の持ち主が、他にいるはずもなかった。
彼女たちの手だ。
なあんだ、お化け屋敷スタイルの握手会だったのか。
彼女たちらしい演出にほっこりつつ、僕は壁から突き出る手のひとつひとつと握手を交わし、ご満悦で帰宅するのだった。
<了>