五木に居る理由~我が家には仏壇がある〜
私の朝の始まり
チ~ン チ~ン
私の朝は仏壇に手を合わせる事から始まる。
「今日も1日頑張ります。井元家・井元家親族の皆さんも良い1日になりますように」
時には、『昨日こんなことがありました』と報告することも。
毎朝の炊き立てのご飯を先に食べるのもご先祖様だ。
義父との生活
結婚して二人で頭地大替地の住宅で生活をしていたが、3 4 年後経ち、そろそろ一人暮らしの義父と一緒に住まなきゃねと 3 人で一緒に暮らすことになった。(妻は一人娘、私は3 人男兄弟の三男ということもあり婿養子で籍を入れました)
とは言っても同じ敷地の倉庫を増築して別棟で暮らした。義父はお金がもったいないからと別棟を反対したが、私たちとの生活環境が異なっていたため、毎日気を遣うのが嫌だとお願いし妻が私の
要望 を受け入れてくれた。
その代わり自分たちで増築費用はほとんど出した。涙 o rz
一緒に食事をとる時間は、晩御飯がほとんどで 、 時には顔を合わせる日 も 無かったが義父がまだ晩酌中で 起きていれば顔を出し一緒にご飯を食べながら会話をするように、コミュニケーションをとるように気をつけていた。
心情の変化
ご先祖様のご飯やお供え物は、義父が毎日準備していたが、仕事が役場の当直に変わってから私が任されることになった。
玄米の管理や精米割合、研ぎ方・炊き方・水加減などとてもこだわりを持っていて大変だったが、 慣れは怖いものでいつの間にか身についてストレスなく日常のリズムと化していった。
ろうそくに火を灯しご飯とお茶 を 供え 、線香に火をつけ、正座しご挨拶。
いつしか、ご先祖様に愛情が入り挨拶はもちろん、いろいろな事を伝える場にもなっていった。自分のご先祖と言えるほどになっていた。
突然の別れ
ある朝、いつものように本家に入りご先祖様の食事の準備をしようとしていたら、タイミングよく部屋から義父が起きてきた。
「おはようございます。お父さん今日は早く起きなったですねー 」
「おはよう……」
「淳君 、 今日病院 に連れて行ってくれんかい」
いつもと違う義父の言葉で心配になりすぐに病院につれていった。
思いもよらぬことが突然起きてしまい、その 言葉を鮮明に覚えている。
これからも父の約束を守っていきたい
昨年の6 月からは仏壇を前にお父さんにも手を合わせる事になった。
自分の子供のように慕ってくれた父親が居なくなりとにかく悲しかったが
今できることは井元家の主としてご先祖様が入っている仏壇へ手を合わせ供養し、井元家を守れるところまで守ろう。
そう思いながら、これからもご先祖を大事にしていきたいと思っている。