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人生を振り返る④ 〜救助現場の最前線、「自分の志」に気づく 編〜

こんにちは、Itsukiです。
前回に続いて消防士編の話を続けていきます。

前回の続きからの話となってますので、
ぜひこちらもご覧ください!



レスキュー隊としての人生がスタート


5年間の歳月を経て、やっとの思いで
レスキュー隊(特別救助隊)に
なることができました。

そこに至るまでに、
消火隊員(放水する人)
機関員(消防車の運転と車から送水する人)
指揮隊員(現場最高指揮者の右腕)等々を経験して

2018年4月から、オレンジ色の救助服を
着れることとなりました。


初めて袖を通したときの
「やる気に満ち溢れた感情」は、
今でも忘れません。

そして、たくさんの人を救助して
社会復帰に導く一助となることを心に誓いました。



僕が住んでいた街の救助出動の件数は、
年間で170件、月換算平均14件、
2~3日に1回あるかないか程度。

レスキュー隊の出動は以下参照。(各市町村による)

・交通事故での挟まれや脱出不能事案
・建物事故事案(エレベーター内閉じ込め、
 中で人が倒れているが建物内に入れない等の事故)
・水難事故(海以外の水に関係する事故)
・全ての火災事案 等々
※「命や身体の危険が切迫し、自力で脱出や避難が
 できない場合」が基準。




命の儚さを知る


4年間のレスキュー隊人生の中で、
「助けた命」もあれば
「助けられない命」もありました。

普段生きている中で
絶対に目にすることがない

悲惨な状況の現場を
たくさんこの目で見てきました。


交通事故の衝撃により
血まみれで意識を失っている方、

人なのかわからない程に
焼け焦げてしまった方

川で溺れてパンパンに水を吸った、
20代のような身体の高齢者の方

自らの首にロープをくくっている方

そんな現場の最前線で

人命救助するために1つのチームとなって
あらゆる資器材ツールを活用して

1分1秒でも早く危険が切迫した状況から
救出するために活動してきました。



しかし、、、



「助けられない命」の方が
多いのが現実なんです。


ドラマみたいに美化された
ハッピーエンドな状況はごく稀。



人の命はこんなにも簡単に

失くなってしまうのか、、、という現実と

「当たり前のように毎日生きること」が

「当たり前ではない」こと、

「人生がどれだけ儚いか」を知りました。


そして、「死」を身近に感じたことで

「自分の人生」について

本気で考えるようになりました。




「自分の志」に気づいたきっかけ



色々な現場を経験した中で
一番心に引っかかっていたのが
「自殺現場」への救助事案。


なぜ?
なぜ自ら「死」を選ぶのか?


僕らが現場に到着したときには
ほぼ100%の方が、既に亡くなっています。

社会死状態であると判断されれば、
資器材を使うこともなく
ただ現場に行って何もせず帰るだけです。


僕は自殺の現場に出動するたびに

「なぜこの方はその選択をしたのか」

「何があってこの行動に及んだのか」

「この行動に及ぶ前に助けることは
 できなかったのか」

そんなことを考えるようになりました。


気になって日本の自殺者数を調べたところ、
衝撃的な事実を知ることになりました。

年間約20,000名の方が自殺しており、
1日あたり約55名の方が
亡くなっているとのこと、、、、。

しかも年代は40代以上中心ではあるが、
10代や20代も一定数いる状態。

実は21歳のときに
高校の同級生も自殺で
亡くなってしまいました。


消防士になりたかった本質とは


「人を助けること」の定義が
僕の頭の中の薄っぺらい辞書では
レスキュー隊になることでした。

しかし、レスキュー隊を経験した上で
危険な状態から人を救って助けること、とは別に

「心を救ってあげること」も
人助けの一つなんだなと
考えるようになっていきました。

そして、もしかしたら
人の心を救ってあげる方が

失う必要のなかった
世の中のたくさんの命を
救えるのかもしれないと想うように。


なぜ僕が消防を選んだのかを
よくよく考えてみたところ、

・幼少期の環境の中に
 消防で働いている方がいたこと。
(物心がつく頃に消防という仕事を認知していた)

・オレンジ色の服を着ている人が
 かっこいいと思ったこと。
(自分もかっこよくなりたいモテたいというエゴw)

・デスクワークは嫌だから体を動かす仕事が
 したいと思ったこと。 等々


上記の理由と「人を助けること」
という自分の志が繋がって
僕には消防士が適職だ!と思ったのかもしれません。



「志」と「自分の人生」


消防に入ってから7年が経ち
レスキュー隊3年目となった2020年、26歳。

20代後半に差し掛かると
誰しもが経験するであろう

「自分の人生このままでいいのか」
という将来に対しての漠然とした不安。

自分が描いていた理想とは違う現実が
進んでいくことへの不安な気持ちと
何かを変えたいけど
何も行動できていないもどかしさ。

この気持ちを経験したことがある方や
まさに今その状態という方も
多いのではないでしょうか。


安心してください、みんな通りますw


そしてこの現象は、
「クォーターライフクライシス(QLC)」
と言います。

悩まなくても大丈夫です。
解決するためのヒントはたくさんあります。

話が逸れるので、また別の機会に
書いていきたいと思います。

(話を戻して)

今後自分はどんな人生にしていきたいのか。

レスキュー隊の経験から、
「人生の儚さ」を学んだ上で

これからどう生きるのか?

を本気で考えるようになりました。


この頃のプライベートは、
アウトドアが大好きで
・サーフィン
・キャンプ
・旅行(国内も海外も)
・車中泊でのサーフィン旅 等々
かなり趣味は充実していました。


キャンプ全盛期時代(2020年)


バリ島旅行 ウブドの景色と現地人(2019年)


仕事があっての趣味というのは
もちろん理解していましたが、

もっと旅に出たり
自分の目で色々な世界を
見てみたいと思っていました。

だからこそ仕事もプライベートも
どちらも充実させることが
人生の醍醐味だと感じていました。



そうなったときに、

・公務員という「枠」の中での不自由さ

・どれだけ頑張っても
 変わらない年功序列の給与システム

・頑張れば頑張るほど「人材評価?」
 と思わてしまう仕事に対して冷めた環境

・永遠に変わらない組織体質

・毎日愚痴を言い続ける管理職

・自分の役職を守るために保身に走る管理職

・減り続ける退職金

等々、人を助けるという部分とは別に
仕事に対しての不満を挙げれば
切りがありませんでした。

(ただ、職場のために尽力している方や
部下のために動いてくれる上司も多数いましたし、
そういう方がトップになって組織を変えて
ほしいという願いはありました。)


そんな日頃溜まったストレスを
発散するために飲み会に行ったり

非日常を求めてアウトドアを
楽しむことが好きだったのかもしれません。

ストレスを別のことで発散するのは
枝葉の解決策であり、根本解決ではない。
(これは社会的な問題だし仕方ないと思いつつも)

続けていれば、いつかはメンタルが壊れて。
こうやって人は「うつ」になっていき、
自殺という選択をしていくのかと、、、。
(僕は絶対にその選択は選ばないけど。後述)


そんな想いを心の奥底に感じながら
2020年のコロナ時代へと突入。


そして2020年12月、

コロナが流行し始めて
これはやばいという雰囲気の中、
運悪く(いや今となっては運良くかも)
職場第1号のコロナに感染しました。

この感染をきっかけに
僕の「人生の舵」が
大きく変わることになっていきました。


今回はここまで。
次回、人生を振り返る⑤ 〜第二の人生が動き出す 消防士退職 編〜

最後までご覧いただき、
ありがとうございました!




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