言友会の練習というか下書き

いやいや忘れちゃだめよ私、今のうちにかいとこ~

①先生について

②最近の悩みについて

中部大会の時も話したけど、私は言語障害のある子と先生の懸け橋になれるようなことばの教室の先生になることが夢。中学生の頃、私の吃音をバカにするような発言をした先生がいてすごく悔しかったから。本当は言語聴覚士になりたかったけど、その前に教育を学んどいたほうがいいなという思いがあって教育学部に来たら私のやりたい事そのまんまだった。中部大会で大号泣したときは高3だった私も今は大学二年生、言語障害教育を専攻しつつ、聴覚障害や学習障害についても学んでいて本当に楽しい。何が楽しいかって自分の障害をカミングアウトしやすいし、自分の経験が学びにつながる。当事者としての強みがあるからレポートも書きやすい!!「吃音って知ってる?」って確認なしにカミングアウトできるから楽だし、みんな「へ―そうなんだー、授業で○○って習ったけどほんとにそうなの?」とか言ってくれるからすごく楽。

高校生、大学入学当初くらいの自分の考えを思い返すと「子どもの言い出せないお願いをくみ取れる先生になりたい」みたいなことを言っていた。確かに子どもの様子をよく見て、支援をすることも大事だと思う。けど勉強する中で、そうやって助けてくれる人ばかりではないから自分の困り感を適切に伝えて、こうしてもらえるとありがたいですって言いだせるような子がふえたらいいなと思うようになった。吃音が軽くなるように話し方の練習するのが直接的アプローチなら、自分の障害を理解する、伝える、自己肯定感を高めるみたいな間接的アプローチにあたる方。今の私にはその視点が足りないし、実際自分ができるわけではない。だからこれからは間接的アプローチに目を向けていきたい。

②最近の悩み。アルバイト先の本屋さんで金額が言えない!電話発注ができない!それだけでここ数年で一番調子が悪くなって、お店で食べたいもの頼めなくなったり友だちと話すときも何となく調子が悪かったりしている。バイト辞めたいけどやめたら電話から逃げたっていう思いが残ってこれからも逃げちゃうんじゃないかって思って怖い。大人になれないんじゃない?とか思っちゃう。でも、バイト始めた当初も決まり文句が言えなくて死んでたけどいつの間にかいえるようになってたから大丈夫なんじゃないかとか思っちゃう。し、あきらめたくない。

友だちで構音障害のある子がいて、その子と話していた時にお互いバイトが嫌すぎてやめたいって思っててほっとした。大学にはそういう友達もいるので、中部大会で大号泣した時よりも元気です。長いこと中学生の時の嫌だったことの話をすれば必ず泣いていたけれどついに泣かなくなりました。大学生になってから、素敵な友達にたくさんであって、好きな勉強をたくさんできているからだと思います。今も、言語障害の授業を受けると嫌だったことを思い出して泣きそうになるし実際に泣くこともあるけれど、大学で出会った素敵な人たちとか、楽しい思い出とか全部、私に吃音がなかったら経験できなかったことだなと思うので、いつも常に思うことはさすがにできないけど、吃音があってよかったかもなと思うようになりました。授業で吃音があることが自己肯定感が低くなってしまうことに繋がることもあるって習って当に私がその例じゃんって思ってたけど、大学になってだいぶ自己肯定感が高くなったんじゃないかなと思っています。吃音を治すんじゃなくてうまく付き合っていく方法を見つけるにはどうしたらいいか、一緒に考えていけるような、吃音がある子が自分は素敵な人だと気付くことができるにはどうしたらいいか、そしてちょっとでも話すことに対する抵抗が減るにはどうしたらいいか寄り添って考えていけるような先生になりたい。これが今の私の願いです。

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