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40歳、育休明け、大手からスタートアップに転職した話~②今までのキャリア

さて、大手からスタートアップに転職を決めのですが
新卒で入社したメーカーでの
「総合職」としてのキャリアを振り返ってみたいと思います。

大学卒業後、新卒で現在のメーカーに入社しました。
海外にも広くいきわたるグローバルブランドで、
留学先でその商品を保有している現地の友人が品質の良さをべた褒め。
日本人だからこそ、非常に嬉しかったのを覚えています。
そして私も「海外に日本の質の高い製品を届けたい!」と思いエントリー。
ほぼ第一志望の会社だったので、内定をもらった時はとても嬉しかったことを覚えています。

入社した会社では、基本的に最初に配属された「事業」×「職種」をベースにキャリアを積んでいくことになります。

会社は大きく3つの事業軸があり、
(便宜上、売上構成順にA事業、B事業、C事業と呼びます)
私はC事業を希望しました。
社内での売上は3番目でメイン事業ではないですが、
組織が小さい分裁量が大きい、また新規事業も扱える、
という点が私にとって魅力的でした。

職種は、「海外営業」を希望。
大学時代に長期休暇の度に海外に足を運んだり、留学をしていたことから「海外」、
自分の性格から、なんとなく「営業」が向いてるのではと思ったことをきっかけです。
なんとなく「海外営業」という響きに憧れがあったのも否めない、
と今では思います。
この時点ではうっすら、海外駐在もいつかはしてみたいな、と思っていました。

結果として、事業も職種も希望通りの配属となります。
C事業は主に小型の産業機器を扱っており、
最初の3年ほどは、北米の現地法人(子会社)に部品や製品を供給する業務で、発注・生産・輸送といったグローバルメーカー(製造業)ならではの
基本的なオペレーションを学びました。

会社は「現場」をとても大事にする会社でした。
営業なら、一度は、そして早いうちに
エンドユーザーと直接かかわる現場の営業も経験しておきたい、と上司に伝えていたことから、
今度は事業を変えて会社の主力事業であるA事業の個人営業をすることになりました。

この時は、国内でしたが見知らぬ土地に転勤。
本社とは異なり、夜は遅い、時には休日出勤(でも手当はでない)、
そしてノルマというプレッシャーと直面する日々でしたが
メーカーの営業という仕事は、基本的に代理店への卸が主となり
エンドユーザーと接することは限られてくるので
今思うと非常に貴重な経験でした。
今でも、契約したお客様ひとりひとりの顔が思い出されますし
プライベートでも多くの友人ができ、楽しかったです。

三年後、本社に帰任。
再びC事業の海外事業部に配属となります。
(ちなみに、この異動も自分の希望どおりでした。)
今度は新人時代と地域を変えて、アフリカの担当。
アフリカには現地法人がほぼ無かった為、現地の代理店と直接やり取りしましす。
そして、当時はアフリカに活路を見出そうという機運があり、
拡販のために施策を考えたり、出張して市場調査をしたりしました。
先進国など現地法人がある場は、基本的にその法人が現地の代理店とやり取りをするため、本社にいると施策や販促といったことには関わりにくいのが本音です。
そういった意味で、この業務も非常によい経験となりました。

二年半年後、今度は新規事業の部署に異動します。
これも希望を出してから8か月ほどで異動させてもらえました。
当時属していたC事業は、基本は産業用機器がメインですが
この新規事業は、会社にとって全く未知の領域でした。
実は入社当時から、新規事業には関心があり、1on1の度に伝えていました。
そういった意味でこの異動は一番ワクワクした異動でしたね。

その新規事業は、私がジョインしたタイミングでは、
すでににプロダクトは上市されて0→1のステージは終わっており、
1→10への拡大を目指すフェーズでした。

私は、全国出張してのセールス(BtoC)から、マーケティング、営業企画など
営業回りの業務はまるっと行いました。
今、販売を伸ばすために「これが足りない」と思うことがあれば
形にして、実行にうつして、顧客の反応を見る、という
一連のプロセスを回せることは、私にとっては非常にやりがいでした。

メンバーも開発、営業、アフターサービスをいれて10数名とコンパクトで
立ち上がったばかりの組織なので、前向きなエネルギーにあふれていましたね。

一人目の産育休で抜けた半年を含めると、四年在籍しましたが、
残念ながら事業撤退の判断が下り、私も異動となりました。

次に異動した部署は、C事業全体を取り仕切る事業企画部門です。
事業の中長期戦略の策定が役割でした。
今まで現場部門にいたのですが、今回は本部長や部長陣に近く、
事業を俯瞰する視点やマネジメント層が見る視点などに触れることができました。

そして1年4か月の産・育休に入ります。
この間、ダイナミックな組織変更が行われ
復職時にはC事業の商品企画部で復職することとなりました。

以上が、文系「総合職」としてのキャリアの変遷です。


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