「ごめんね」より「ありがとう」が溢れる日々を
どうしてそんなに謝るの?
私は幼い時から、海外を訪れる機会が多く、よく言われたセリフだ。
道中で何か物を拾ってもらったとき、
食事中、お塩をとってもらったとき。
日本では、「ごめんね」「すいません」に対して、本来の意味が
迷子になっている気がする。私も気にしないと口癖になってしまっている。
でも、思えば、英語を話している私は、「I’m sorry」をそこまで使わない。
今度、私と英語ついて書こうとも思うが、私は英語を話しているとき、
ちょっと性格が変わる。そういうかた多いんじゃないかな?
前回の記事にもあったように、昨年夏、エミリーというデンマークのお友達ができた。会ったときから、意気投合して、東京の代々木から
はるばる小田原線に揺られ、実家の稲刈りまで来てくれたほどだ。
半年間という短いのエミリーの日本滞在で、中目でサバ居酒屋、稲刈り、祐天寺でお寿司、横浜でしゃぶしゃぶ。美味しいものを囲み、本当に色々話した。(このこともまた今度ゆっくり。)
そこであることに気づく。
エミリー、母国語はデンマーク語だ。
私も、以前デンマークに住んでいたことがあり、
ちょっとした単語ならわかったりする。
(お気に入りの単語はチョコレートケーキ(笑)
ショコラルケーです。)
だから、ありがとうを言いたい時は
「TAK」(ありがとう)と言っていた。
で、も、「ごめんね」がデンマーク語で
わからなかった。
忘れたのか、
そもそも覚えてもないのかはわからないけど。
私の頭の中には、とにかくなかった。
半年以上も、デンマークにいたのに。。。
何故だ。
デンマーク人のほとんどは、
英語がネイティブなみに話せるため、
私もデンマーク滞在中は、
98%英語で生活していた。
でも、挨拶やちょっとした会話は
デンマークを
話そうと心がけていた。
思い返せば、デンマークで
あんまり謝った記憶がない。
そして謝られたこともほとんどないと
記憶している。
もしかして、本来、
謝ることってそんなにないのかな。
このNoteを書くことの
最後の後押しになったのは、
スキージャンプの高梨沙羅選手のことが
あったからだ。
私は、昨年オリンピックのボランティアを
したこともあって、選手が
どれだけのプレッシャーの中で、
試合に臨んでいるのか、
前よりもわかるようになった。
わかりたいという想いが強くなった。
試合の後に、彼女がUPしたSNSに
私は本当に悲しくなった。
同い年の、同じ女性として、
彼女をあそこまでにさせる世界が
嫌いになりかけた。
もちろん日本を代表して、
あの舞台に立つ責任感は、
代表として大切だと思うが、
果たして、結果を残すだけがすべてなのか。
そして対象的なのが、羽生結弦選手。
彼も相当なプレッシャー、
勝って当たり前みたいな世の中の空気の中、
自分に勝ちにいった。そんな様子だった。
どちらが素晴らしいなどない、
何故か心がとても混乱した。
そんなことがあって、
この「謝る」といったことが、
直近のキーワードだった。
みんなが ごめんね より
ありがとう に羽を生やして、
世界に羽ばたかせれば、
もっと温もり溢れる世界になるのかな。
まずは私から。
読んでくれて、ありがとう。