読書感想文②

21 lessons / ユヴァル・ノア・ハラリ
(日本 )初版2019年11月のこの本が、イスラエル産まれの若き歴史学者である著者(45歳)によって綴られていたであろう頃は、いつでしょうね。

私が筆を持ったとて、45年の歳月を費やして書けるのは精々「本を書くのは難しいね」程度のことですが、かの著者のような才でもってすれば……いや想像がつかないわけです。

例えば、2016年〜2017年の世界的なニュースといえばドナルド・トランプ氏が第45代アメリカ合衆国大統領に就任したことがあがります。
この本の冒頭では次のように語られます。

的外れな情報であふれ返る世界にあっては、明確さは力だ。

「建前だらけのテレビに比べて、ネットは本音だ」みたいな時代ってありましたよね。

「建前だらけのネットニュースに比べて、2ちゃんねるは本音だ」

「建前だらけの日本社会に比べて、堀江さんとヒロユキさんは本音だ」みたいな。

「建前」なんぞは「権益の死守に伴って生じる、無根拠や矛盾を孕んだ慣習」といったイメージがあります。
その時代に、向上意識をもって生きる主役層にとっては、自身のアレコレが不当に阻害されている非効率的な代物でしかないのかな。

一方で、建前や非合理的な慣習によって向上を本当に阻害されている人でなく、阻害されているように感じているだけの人が、実は自身のことさえ守っている建前・慣習に気付けないまま「石の上にも三年? バカじゃねーの笑」といったスタンスに、思慮もなく真理を見出してしまうことは悲劇。しかも同情や支援を得難い悲劇だから厄介なものです。そして懸念すべきは、そういったスタンスを助長する文言が、今や書店にもネット上にも溢れていることでしょうか。

断言口調や、自身の欠点を昇華してくれそうなキャッチを用いた書籍が店先に増え、もはやネット上ではクリックベイトとしても猛威を振るう今日。



「今すぐ辞表!明日からフリー!」
「その会社は君をダメにする」

とか

「貧乏人こそ最も金持ちになりやすい」
「ぼっちが最強な理由はコレ!」
「努力するな!今すぐやめろ!」

これ考えると無限に出てくる笑

――と、
カリスマ性を感じますもんね。スカスカで軸のない自分を軌道に乗せてくれる質量と引力を感じます。

問題を簡素化、見える化してくれて、君の敵がナニで、ドコを目指すべきなのかを教えてくれる。煩雑なプロセスを省いて答えのみを教えてくれる。
皮肉にも、それらは自分の敵がナニで、ドコを目指すべきか分からないときほど目に入りやすく、得てしてそんな精神状態のときほど、人は最初に目にしたものを無条件に信じやすいものです。

熟考に足る時間が何かと奪われがちで、考え抜く能力が未成熟な人の目には、それらが魔法の聖典に映ることは容易に理解できます。

自己啓発本や啓発系配信の類における特定の思想に(過剰に)傾倒する人のことを、ネット上では「信者」と揶揄する風潮があります。

事実、思想とは物語と歴史、そして信者数を欠いた宗教のようなものではないでしょうか。

悲しいかな、私が綴る駄文が宗教化することは無さそうですが、個人が己の思想を世界に発信できる時代において、我々は無数の教祖様に囲まれて生きているようなものかもしれません。

科学を重んじた論理的な思考が少しでもできるのなら、聖典に限らず、いかなる書物に対しても、記された「ものがたり」を「ものがたり」と捉えることができますよね。
さらに「たとえばなし」や「一つの考え方」と咀嚼して腑に落ちます。

例えば、イソップ物語を読み終えた大人は、内容の抽象的な因果を汲み「ああ、強欲な嘘つきは損をし、正直でいることが肝なのだな」と、自身に戒めることができなければなりません。

一方、金銀の斧それ自体は、覚えやすいストーリーを語る上でのシンボルに過ぎず、もっと言えば主人公やヘルメース神の存在自体も無視して良い箇所であることは言うまでもありません。(あくまで教訓を得る点においては)

①崇高で非現実的な人物や事物を要因として君臨させる
②主人公を使い、善人の在り方を説く
③脇役を使い、悪人の末路を見せしめる

こんなものが神話におけるベタですが、その物語を形作るアイテムや人物の存在自体は全く重要ではないということです。

a.①によって神聖性と非現実性が示され
b.②によって道徳が示され
c.③によって戒めが示される

多くの人々にbとcを可能にしたのは紛れもなくaかと思う。
aこそ人々に物語の非現実を前提した。
aこそ人々に思考を促した「なら、この話から事実以外の何を得るべきか」と。
その思考の結果として人はbとcを汲んだのではないか。


一方で現在はどうか。
ネット上に潜む八百万の教祖たちにより民衆が言い聞かされるネオ神話。
女神の首をお局に、神木ブラック企業(要は卑近なものに)に挿げ替え、舞台は現在なもんだから、物語は非現実性を失った。
それゆえストーリーとリアリティの区別が容易ではなくなりました。

神聖性を欠いた神話とは間抜けな話ですが、我々はそんな代物を見聞きしているのかもしれません。
ネオ神話は、一見したところただの「話」に見え、ときに実話に見えるよということです。怖いっすね。

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