《 あぁ、お釈迦さま 》
皆さん、GMしてますか。
僕は球技が苦手でそれを克服するために、エポック社の松阪大輔ピッチングマシーンを親にわざわざ買ってもらいましたが、松阪大輔が誰なのかまったくわからないので、興味が沸かないまま修了しました。ちなみにエポック社といえば、ファミコンの先駆けとなる「Atari2600」を輸入販売していた会社として、僕より年齢が上のおっさんたちも懐かしい記憶があるのではないでしょうか。
その頃は小学校から帰ってくると、テレビで堺正章主演の「西遊記」を再放送していて、僕は球技よりもどちらかといえば、超能力の方に興味があったともいえます。
さて、最初にやたらブッ飛んだテキストを放り込んでしまったので、これをここからどう展開していくかというと。
どれだけ I T サービスの向上により便利になって、それらを使いこなせるようになったとしても、搾取される側であることに変わりはないということです。I T メーカー側は敢えて、そこをくすぐってきてます。A I がものを考えてくれたり、自分の興味あるものへの情報を引っ張ってきてくれたり、そういうことってホントに便利なんですけれど、それによって自分で創意工夫すること、自分で考えることなどの力が弱くならなければいいなと懸念しています。
だからといって原始時代に戻りましょうといってるんではないんです。それら「 I T 」でも何でも、自分がサービスの恩恵を受ける上で、思考を停止させてしまうとサービスを提供している側のメーカーのいいなりにしかならないのでは?という警鐘を鳴らしたいのです。
「それ、ホンマなん?」っていう考えを常に持って、自分の力で答えに辿り着くことがないと、それはただの時代の地滑りに飲み込まれてるだけだと思います。
できるなら、貪欲であれば良いなと思ってます。どうせ、ラクをしたいのならとことん「 I T 」を駆使した、最大限のラクさを追い求めることは、とてもクリエイティブな発想に繋がります。現状に満足してはいけないのである。
今あるインターネットも、君たちと当たらず触らずの微妙な友人関係を繋ぐfacebookも、元はといえば利己主義の中から生まれたという歴史を知って、それを踏まえてサービスの恩恵を受けることができれば、それらのツールは未来への踏み台となるはずです。発想の根源としていただきたいです。
それにしても、やっぱり世界中においてコミュニケーション方法として使用されるツールは、たった26種類のアルファベットだということも再確認していただきたいです。とてもエグイことです。
今から4000年前にヒエログリフから発展したアルファベットが、未だに主流であるどころか発展し続けています。世界中で、コミュニケーションの動脈として今も活用されていて、そこに対して何らの疑問も持たないくらいに社会浸透するような、超革命的ツールの根源にも詳しいような深さを持ちたいです。「智慧」ってそういうものではないでしょうか。
そうでもしないと、一生、お釈迦さまの手の中です。
また、会おう。