《 ああ、雪原 》
皆さん、GMしてますか。
僕の本名は加藤利彦ですが、場合によっては冷泉(れいぜい)と名乗ったりもします。どのタイミングでどういうときに、加藤から冷泉になるのか明確な線引きをしていないので、大体はいきなりです。なので、前もって言っておきますが、加藤と冷泉は同一人物であるということを念頭において、このブログを読んでいただければと思います。
とか言いながら、今の今まで「冷泉」という呼称は敢えて出さなかったので、こいつ何を言うてるんやと思う人がいるかも知れませんが、そんな感じです。また、何故唐突に僕が冷泉になったのかについては、改めてスペースを割いて説明していければと思ってます。
さて、今日は僕がシリコンバレー(米国)に視察へ行ったときの話しをします。
その前に、今日のお昼はカレーを食べに行きました。カウンターのみで営業している行きつけのカレー屋さんで、僕の席は決まって俳優マーロン・ブランドの肖像画の前です。ゴッドファーザーに見られながらカレーを食べるときの、奇妙な安心感がたまらないからです。
では、シリコンバレーに行ったときの話しです。
といっても、最初から最後まで酔っぱらっていたので、ほとんど記憶にありません。記憶に残っているかすかな印象として「つまらん」というのがあります。
うん、ここに来ても僕にはまったく意味がないなと率直に思いました。そもそも、何故行ったのかというと、「 I T しとる奴は行っておいた方がええんちゃうか」という風潮があったのと、あとは純粋に自分が今の仕事を始めるキッカケにシリコンバレーが関連していたからです。
もう、二度と行かないと思います。
なんか視察の途中で思ったんです、「皆と同じようなことしてて、この時間に何かメリットある?」、「シリコンバレーの街並みを見たからって、それを何かに活用してアウトプットできる?」と、ビックリするくらい気持ちの盛り上がらない自分がいました。
ああ、シリコンバレーの存在は叙事詩でしかないのだ。
ミッションピークからシリコンバレーの全景を見渡したとき、そう思いました。その大地は乾いており、ともすれば殺風景とも感じられる、その姿はルーブル美術館で見た『モナ・リザ』のつまらなさと重なりました。
といって、シリコンバレーを下に見るとかではないんです。自分にとっては時間と金を使ってわざわざ参拝するところではないのだと感じたのです。これは完全にヤラれてもうてたなと反省しました。
デス・バレー、ナパ・バレー、ヒル・バレーとかバレーがいっぱいあるにも関わらず、他に興味を示さずにどうしてシリコンバレーに行ってしまったのかといえば、それはもう「 I T 」の業界や風潮にヤラれてもうてたんですね。
天正遣欧少年使節なんていうのは、九州から何年もかけて危険な海を渡りバチカンまで辿り着き、そしてあのクソ重たいグーテンベルク印刷機を日本に持って帰ってきて、そしてその後、何名かは殉教しました。気合というか迫力が全然違うなと。印刷会社のおっさんらは、十日えびすに行って商売繁盛の笹をもらってくるより、長崎に行って十字を切って感謝するところから始めた方がええんと違うかと思います。
昨今、YouTube上で披露される知識や技法、情報やカルチャーというのはもの凄いものです。僕もそれらを見て何かの参考にすることもあれば、「!」という気づきのキッカケになることもあります。そして、その次の日には、さも自分のアイデアのように飲み屋で披露したりします。おもしろいのが、そのうち「この妙法は、本当に自分発信なのではないか!」と自己錯覚に陥って、自分自身の才能に鳥肌が立ってしまうことがあるときです。
こういう狂気が多少なりともあるほうが、人間としては楽しいです。
インプットにもいろいろあり、創造型と消費型があります。創造型はインプットした素材をさらに発展させてアウトプットしますが、消費型はその場で終わりです。インプットを楽しんだら終わり、僕はこれを「情報の袋小路にはまる」と呼んでいます。「はまる」まできちんと言葉に入れます。
情報はそれ自体ではなんらの生産性も得ません。得られた情報を適切に活用することで、情報は「生きた」ものになるということを考えて、いや、考えなくとも直感的に自分なりの方法でアウトプットしてください。
ああ、雪原。
誰の踏み後もない、その雪原に一歩足を踏み入れた時点で、グッドマネジメントなのです。
また、会おう。
雪の朝 二の字二の字の 下駄のあと