大人になったら大人になれると思ってた。
一つ前のまろにーの記事。
寂しいし悲しいけど、あたたかくて…
直接も聞いたけど文章だとまたじんわりときた…こもちゃん、私も忘れないよ!
こもちゃんが亡くなった後にいぇいの3人で会って、こもちゃんの話も聞いて、
あ、気持ちを全てわかるのは難しいけど、こうやって少しずつ分かち合うことができるんだなあ…
いきものがかりの「笑顔」の歌詞の通りなんだなと実感したりなんかしました(そこ?)
(ちなみにこの曲ははまろにーの結婚式の余興で歌わせていただいた大事な曲。)
抱えきれぬさびしさの中で もしも君が一人でいるのなら
ばかみたいにがむしゃらに 僕はずっと手を伸ばしたいんだ
わかりあう事は難しいけど 分かち合う事は僕にもできる
ただとなりにいるから
いつも君のそばにいるから
そしてこうやってこのnoteがみんなの節目を刻んでいくんだなあ〜、、
見返したら何度だって気持ちも様子も思い出せる。
嬉しいことも辛いことも、悲しいことの中に嬉しいこともあるけど、
自分の心でだけじゃなくて、誰かと一緒に覚えていられるね、いいね!
さて、ちょっと前から思っていたけど、今回のまろにーのことでまた思ったこと。
大人になってから、まわりの友達が就職をして一つの仕事に決めたり、結婚を決めたり、子どもができたり、ペットを飼ったり、家を買ったりしているのをみて、
本当にすごいなあと思っています。
まだ上記のどれ一つとして私には備わっていない。
責任持ててるんだな〜
一つに決められてるんだな〜、、
って、みんなに対して尊敬に近い気持ちをいつも抱いています。
私は「いつまでも自由でいたい!」という想いが人一倍強いとは感じているんだけど、
それと同時に未だに自分以外のことに関して責任を持てるのかがわからなくて、正直怖い。
子どもの頃インコを飼っていたんです。
ペットが欲しくて、お誕生日にインコかハムスターかで悩んで、
でも酉年だし(?)インコ喋らせたいしって思ってインコを買ってもらったんです。(ちなみに2匹飼ったら、インコ同士でお喋りしちゃって全然喋ってくれなかった…)
でもお世話していたのは最初だけ!
お母さんに任せっきりで、
「あんた全然世話しないじゃない!?」って何度怒られたことか。
時々気がついた時だけ愛でて、あとはお母さんにお世話を任せたっきりでした。(子どもあるあるだと思いたい)
その記憶が強く残っていて、自分はペットを責任持ってなんて育てられない人間なんじゃないか…と今でも思うのです。
そして思うのは、ペットで無理なら子どもなんてもっと無理!?ということ。
子どもは大好きで、子どもに関わる仕事ばかりやっているのだけど、
自分の子となるとちゃんと育てられるのか不安!
"自分の子とペットでは違う” なんて事はないと思うんだよね。(あるのかな)
子どもの頃と大人になった自分とではそこのところは変わっているのかなあ。
変わっていてくれないと困るなあ。
インコの世話ができなかったというのが、自分の中で強烈な失敗体験だったんだろうな…
結婚もそう、一人の人と長く付き合っているのだけど、やっぱり今一つ自分ごととしてピンとこない。
仕事だってそう。
「いろんなことを経験した後、いつかは教員になって、安定した生活に身を固めよう」と大学生の私は思った上で、卒業後ひとまずフリーターの道に進びました。
未だにこの気持ちはぼんやりと心の中にはありつつ、でも安定した生活を求める必要なんてないことにも気づきつつ、それでもやっぱり生きていくのには安定したお金が必要なこともひしひしと感じている。
大学生の時におもっていた ”いつか“ っていつか来るのかな。まだ来そうにないな。
もしかしたら来ないのかな。
飛び込んでしまえば、
目の前にそれらが来れば、
自ずと生まれるものなのかもしれない。
もしかしたら考える余裕もなく目の前のことに向き合った結果が、責任になっていくのかなあ〜
少し先に進んでいるみなさん、
その辺どんなかんじですか?
ぜひご教授ください!笑
よしお