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ネガティブ思考=楽観主義

ネガティブ思考とは、状況やものごとを悲観的に捉えたときに頭に浮かぶ思考そのもの、または悲観的に捉える傾向を指します。


楽観主義は、物事をうまくゆくものと考える「楽観的」、くよくよせず物事を明るい方に考える「楽天的」という意味で使われることもある。


このふたつの言葉がイコールで結ばれるというのは一見矛盾しているように見える。いや、表面的には実際、矛盾している。かなり綺麗に矛盾している。それでも、私は思うことがある。


私は数年前まではかなりの楽観主義で、少しずつネガティブ人間に変わってしまったという自覚がある。
しかし私の楽観主義はどこか履き違えているような気がしてならない。また、本質的には、ネガティブ思考の奥底に楽観主義が眠っている気もしている。


例えば、学校のテストで、勉強を頑張ったのに点数が全く伸びなかった、むしろ前回より下がってしまったとする。この時に浮かぶネガティブ思考は、「やっぱり自分は頭が悪いのかな」「努力が必ず報われるなんて嘘だ」などである。
逆に楽観的な考え方として、「長い人生で考えたら、こんな失敗はちっぽけだ」「学校のテストなんかで人の価値は決まらない」などが挙げられる。(以前の私は、こういうタイプの楽観主義であった。)

このふたつの対極的な考え方には共通点がある。
「現状のままでいい」と思っているという点だ。
これこそが今回、私が「ネガティブ思考」と「楽観主義」をイコールで結んだ理由だ。


「現状のままでいいなんて思ってない!」
それは分かっている。分かっているけれど、心の一番奥の底で、自分にも見えないほど奥のところで、そう思っているのである。
「私が成長できない理由」「私が努力しなくてもいい理由」を探しているのである。ネガティブの温泉にゆっくり浸かっているのである。とても優雅だ。これを楽観的と言わずしてなんと言うだろうか。
あなたがネガティブだと思っているその思考は、本質的には楽観的である可能性がある。また、あなたが楽観的だと思っているその思考は、想像より数倍醜い可能性がある。


一応言っておくが、ネガティブ思考に陥っている人間を非難する意図は微塵もない。これはただの自虐であり、自戒である。自分専用のメモだ。


ただ、少しでも心当たりのある人、そして未来の自分に向けて、言いたいことがある。
ネガティブの湯は、早めに上がりなさい。
のぼせないように。


大事なのは、進み続けること。ネガティブだろうがポジティブだろうが、前進を忘れないこと。七転びして起き上がれずとも、這いつくばって進むこと。地獄の中でも息をし続けること。

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