自立したら、家を借りられない人になった。
気づいたら、「家を借りられない人」になっていた。
アラサー女。
賃貸契約に絶賛難航中。
理由は、緊急連絡先が「親御様」でないから。
とても会社に報告できる内容ではない。笑
ちょっと前までそこまで厳しくないところも一定数あったけど、
コロナの情勢で、失業される人とかが増えたらしく、
緊急連絡先に関する審査がより厳しくなったらしい…
仕事も収入問題ないのに、緊急連絡先として書ける親族がいないと言った途端に、借りられる家はめちゃめちゃ限定されてしまった。
仮に両親が亡くなっているとしても、ダメなところはだめらしい。世知辛すぎる。
こちとら住民票閲覧制限までかけて、距離を取ることに必死なのに…
保護者が必要な「未成年」はとうの昔に卒業できたのに、なぜこんなにも「頼れる家族」がいないと生きづらい世の中なのか。
「頼れる環境がない」ことを理由に弾かれてしまうような世の中なのだとしたら、どうして人は自立しないといけないんだろうか。
自立を目指して生きてきた、のに。
人に迷惑をかけるな、自立しろと教育されてきて、それなりにその教育から外れないようにして生きてきた。
もちろん子供の頃は、決める能力と判断材料がなかったから親を頼っていたけど、
親を頼る度に過干渉に悩んで、苦しんだり、
親の意思で決めたのに、失敗すれば責められたり、
「干渉が嫌なら自立しろ」
自分のことは自分で決めて、自分で責任を持てるようになろうと心に決めて。
それを体現するために、両親に頼ることを辞めた。
大人になるにつれて、親の経験則が通用しないところに私が進んでいってしまえば、自ずと「経験のない」親から教われることなんてなかった。
だから、自然と「頼らない」選択肢を取ってきたし、
親の意見を聞けばまた対立が生まれるだけだから報告もしなくなっていった。
仕事も住む場所も人生も、一人で調べて、一人で考えて、一人で決めてきた。
自分ひとりで決めたことなら自分が責任を取れる。
お金も貯めたし、仕事だって得た。
ちゃんと尻拭いできるように、
誰にも迷惑かけないように、
そうやって、強くなれるように生きてきたはず。
自立することのゴールってなに?
とはいえ、人間は一人じゃ生きていけない。
そんなことはわかっている。
自分の生活すべてが「自分ひとり」で成り立っているなんて思っていない。
周囲の人には感謝している。
いま私が生きているのも、家族よりも頼れる人たちに恵まれたからだと思っている。
家族よりも、よっぽど信頼できるのに。
親が自分の身の安全を保障してくれるなんて、どこに確証があるの?
家族以外の他人しか頼れない人生は、こんなにハードゲームなの?
どうして頼る人が家族じゃないと弾かれるのか。
こんなにも世間体が悪くなってしまうのか。
「自立すること」を目指して、大人になったはずなのに。
どんなにお金を貯めても、仕事で偉くなって信用を得ても、
あの家族とうまくやれない私は家を借りれないのが現実。
考えれば考えるほど悲しくなってくる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?