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スタジオでの練習

まだまだ音楽の話が続きます。
音楽好きだったことからライブフォトグラファーへの道が開けるため、全てが欠かせないエピソードとなっています。
いや、自分が書きたいだけなのかもしれない。

ギター好きな友人ができる

探せば居るものである。
ハードロック好きのギタリストは蔵重くんだけではなかった。
同じ学校に通い、結構近所に住んでいる陸上部の野見山くん(仮名)がそうだ。

野見山くんはNightrangerやMichael Schenkerが好きだった。
Nightrangerのツインギターをパート分けして練習したり、そりゃ楽しかった。
ハッキリ言えば野見山くんの方が私より遥かに上手くて悔しかったりしたが、それよりも一緒に弾ける楽しさの方が上回っていた。

この時期の上達スピードはさらに加速していたように思う。
Loudnessの曲も一緒に練習をした。
一緒にというか、どっちが上手く弾けるのか競い合っていた。
負けっぱなしだったけど。

ハードロック系の練習はもっぱら陸上部の部室か、お互いの自宅。
ただ、バンドを組めるほどのメンツは集められなかったのが残念だった。

スタジオもヨシダ楽器

コピーバンドの活動も当然ゴリゴリ継続。
BOOWYの曲をやっていたのは初期の頃で、その後は所謂めんたいロック系である「サンハウス」「ルースターズ」のコピーに変わっていった。
これまた劣悪なテープで曲を確認するしかなく、タブ譜もなかったので耳コピーのみだ。
よくやってたな…。

スタジオは学校の授業が終わってからか、休日に。
これまた香椎のヨシダ楽器だ。
スタジオはアンプに繋げて大音量で練習できる、画期的な環境だ。
しかしお金がかかる。
俺たちは高校生だ。
バイトは禁止。
お小遣いから出すしかない。

昼飯をパンの耳やフランスパンにして昼飯代を浮かせて、スタジオ代に回す。
なぜフランスパンなのかと言うと、大きくて安い上に、噛んでいるうちにお腹いっぱいになるから。
何とも貧乏臭いが、それはそれで充実した生活だった。

香椎のヨシダ楽器は、楽器専門店とレコード店に分かれていた。
関係ない話だが、当時レコード店にいたスタッフをよく覚えているんだけど、イオンモール伊都店内のヨシダ楽器でらしき人を見かけたのだが…同一人物であろうか。
気になるな。

続く…

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西川健一@瞬間フォトグラファー
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