Itoyarn「リベラリズムの欺瞞」

2022年2月24日。私はリアリズムを支持する一般人として、耳を疑った。ロシアがキエフに侵攻し、SNSを含むほぼ全ての媒体で、「あり得ない」「不合理だ」「プーチンは狂った」と言う言葉が飛び交った。それは、私の尊敬するインフルエンサー達も同様だった。

ミアシャイマーを筆頭に、多くのリアリストはNATOの東方拡大を強く懸念していた。それはロシアの「レッドライン」であり、ロシアの暴発を誘発すると警告していたのだ。

この戦争の前から、アメリカ・ドイツ・フランスはウクライナに警告してきた。過度な挑発はやめるように。そして、ミンスク2の交渉の席に着くように。しかし、それは叶わなかった。

火蓋は切って落とされたのである。

これから書くことは、リアリズム志向の一般人目線のウクライナ・ロシア戦争の見方であり、稚拙な部分もありますが、最後までお付き合い願えればと思います。


要旨

ウクライナ・ロシア戦争の大きな論点は五つあると考えている。第一に、この戦争は合理的なのか非合理的なのか。これにはプーチンが狂っているといった言説も含まれる。第二に、ロシアへの経済制裁は効いているのか。第三に、この戦争に対して、ロシアの徹底的な敗北は必要なのか。第四に、リベラルな国際秩序はロシアの敗北なしに守れないのか。最後に、この戦争はどう帰結するべきか。

これらを欧米各メディアの記事や、論文、Twitter上の著名人の発言から読み解きたいと考えている。

⑴この戦争は非合理な戦争だったのか。

先にも述べたが、ミアシャイマーや多くのリアリスト達はこの戦争(キエフへの侵攻)を常に危惧してきた。それは、2021年夏のプーチン論文からも、彼の領土的野心(プーチンやロシアにとっては核心的利益)は明らかだった。NATOの東方拡大は、彼(ロシア)の利益を損ねると感じれば、それは戦争に繫がるエスカレーションになるだろうと、リアリスト達は口を揃えて警告していた。

私は、この戦争は、ロシアにとっての予防戦争だったと見ている。それはウクライナにとっての悲劇に他ならないが。

以下は、日本におけるリアリズム研究者の一人である、野口和彦氏の言論プラットホーム『アゴラ』の記事である。

この中で野口氏は書き出しでこう綴っている。

「予防戦争とは、将来に闘うのは不利であり、今、戦争を始めた方がマシであるという国家の指導者の動機から生じるものである。第一に、バランス・オブ・パワーが不利に傾く状況において、追い詰められた国家は、予防戦争のインセンティブを高める。第二に、こうした国家が限定的で局地的な軍事優勢を保持している場合、迅速な勝利に期待して予防攻撃に訴えやすくなる。ロシアのウクライナ侵略は、この予防戦争理論で説明することができるのだ」

上記の記事を読んでいただければ、そのことが丁寧に説明されている。私もこの言に同意であり、ロシアにとって、圧倒的不利に傾くパワー・バランスを受け容れられないが為の予防戦争の側面が大きかったと思っている。そもそも、これはずっと警告されてきたのだ。日本の知識人やインフルエンサーが、如何に本当のリアリズムに対して、無頓着だったかが明らかなのだ。そのため、私は、2月24日の「あり得ない」「非合理だ」「プーチンは狂った」という言葉に衝撃を受けたのだった。少なくとも、私の知る限り、自称リアリストというインフルエンサーがこれを言った時に、私の落胆は計り知れないものであった。

⑵ロシアへの経済制裁は効いているのか。

この侵攻を受け、アメリカや日本を含む32カ国がロシアに対し、強烈な制裁の意思を示した。これに対し、一部の日本のインフルエンサーは、「ロシアはこれで国家破綻だ!!ロシアは弱るぞ!」!と、そのフォロワー達を焚き付けた(現在進行系)。しかしその実、ロシアは国家破綻したのだろうか。

興味深いことに、ロシアは疲弊するどころか、前年よりも多くの(天然資源等による)収益をあげている。

保守系紙The Hillの記事では、孤立しているのはロシアではなく米国ではないかとの論考が示されている。

ルーブルも高く、エネルギー・農産物輸出によるロシアの歳入も多いとの記事だ。 

そもそも、世界は広い。先の32カ国以外は、この対ロシア制裁には参加してないのである。この制裁で、ロシアは兵器に使用する核心部品が入手できないとの言説もあったが、迂回ルートなど、いくらでもあるのだ。どうしてその様な説が成り立つのだろうか。我が国と近い北朝鮮を見てみればそれは明らかであり、北朝鮮は今もミサイルを作り続けているではないか。

⑶ロシアの敗北は絶対条件なのか。

この戦争で、「侵攻したのはロシアだ。だからロシア軍に壊滅的敗北を与え、完全にウクライナから撤退させなければならない。妥協は許されない」「リベラルな国際秩序を守るには、ウクライナからロシアを叩き出さなければならない」との言説が、この日本の大多数の言論である。

絶対的な正義と悪でこの戦争を見れば、確かにそうなのだろう。しかし現実はどうだろうか。

これは西側諸国の一般人に対する世論調査である。以下、元記事と、それを邦訳した私のnote記事だ。

これを見ると、日本との温度差がよくわかる。比較的ロシアに近い国々以外では、この戦争への考え方は、日本とは真逆の国すらあるのが現状である。

アメリカの共和党議員もこれに対し、強烈に批判している。

ディース大統領顧問の「リベラルな国際秩序がかかっている。我々は断固として立ち向かう」という発言に対し、共和党のテイラー議員は「(インフレに言及しながら)我々はバイデンのリベラルな国際秩序にカネを払うつもりはない。人々は怒っている」との発言の記事だ。

では、ロシアに屈辱的な敗北を与えることは、リアリズム視点ではどうなのだろうか。

これはスティーブン・ウォルト氏によるforeignpolicy誌の記事だ。

この中でウォルト氏はこう綴っている。

「ロシアの決定的な敗北をどんなに見たくても、核武装した敵を支障なく圧迫する範囲には限界がある〜中略〜それは、さらなるより深刻な悲劇になるであろう」

これは核保有国への脅威と、そのエスカレーションへの警鐘である。

ジョン・ミアシャイマー氏もThe National Interest Newsletter誌のインタビューにおいて、こう発言している。

「開戦以来ロシアが征服してきたウクライナの広大な領土とクリミアの行方をどう考えるかである。プーチンの現在の領土目標は、おそらく戦前とは異なるものであるため、モスクワが自発的に現在占領しているウクライナ領土の一部、ましてやすべてを手放すとは考えにくい。同時に、ウクライナの指導者が、ロシアがクリミアを除くウクライナの領土を維持できるような取引に応じるとは、同様に考えにくい。私が間違っていることを願うが、だからこそ、この破滅的な戦争に終わりが見えないと思うのだ」

これは戦争の長期化を想定したもので、こうした長期戦は、周辺国家を戦争に巻き込み、エスカレーションリスクが高くなることを示唆している。

これらは、戦争において、ロシアの絶対的敗北は核の使用に対するハードルが低くなっている大きな懸念だ。

こうしたリアリストの言説を読み解く限り、ロシアの一方的な敗北は負の側面だけが強くなるという、分析傾向にある。私は、これらの分析が日本の識者において、それほど議論されないことに、大きな危機感を抱く。彼らの言う核の抑止が効いているという現状を破壊することこそ、ロシアの敗北ではないだろうか。

⑷リベラルの国際秩序はロシアの敗北なしに守れないのか。

この戦争において、国際法や国際秩序を例にあげられる方が多くいる。

「○○だからロシアは裁かれなければならない。○○だからプーチンは排除しなければならない」

一見もっともらしい言説であり、リベラルの視点で国際法を厳密に見ればそうである。しかしここに落とし穴がある。

「国際法の適用はバランス・オブ・パワーに左右される。
戦時国際法は、確かに定着したルールだが、法の下での平等が担保されてないため、その解釈は、必然的に当事国の判断次第になってしまう。法の支配は頻繁に語られるが、法の下の平等は看過される。法の適用を差別しないことが、法の正当性を支える重要な要因だ。
この点で、国際法は弱い。人道法や人権法は米国の違法行為を裁けないし、中国のウイグル族の人権侵害にもほぼ無力です。」

これはあるリアリストの言葉である。

要するに、法の絶対的執行者が不在のアナーキーな世界で、これらが厳密に遵守される保証もなければ、この国際法の解釈すら、ロシアでは違う(ロシアにとってウクライナは国ではない)のだ。そもそも、誰がプーチンを裁けるのか。それこそ、ロシアの全面降伏でもなければ、それはかなわないのである。

こうした現実を考えれば、リベラルな国際秩序にも国際法にも、限界があり、リベラルな国家間ですらその解釈で対立することもありえるのだ。

したがって、私は、リベラルの国際秩序と国際法は、リベラルな国家間での最低限のルールとしては使えるツールではあるが、万能のツールではないと見ている。

⑸この戦争はどう帰結するべきか。

ここまで書いてきた中に、既に答えは出ている。それは決定的な勝者も敗者も、この戦争において、作ることは望ましくないということである。

現時点でロシアは、戦争初期の戦術面の弱さと、その脆弱性で、核戦力以外においては、絶対的脅威ではないことが証明され。また、ロシア軍そのものが、広大なウクライナそのものを支配するだけの軍事力も人員も、大きく不足しているのである。

そしてウクライナは、単独では、この戦争に対抗するだけの経済的にも、装備的にも弱い国家であるのである。今現在の欧米の支援が滞れば、どこまでもロシアに押し進められるであろう。

私はここで、ケネディ元大統領の言葉を紹介したい。

「我々自身の死活的利益を守る一方、核大国は敵に屈辱的な退却か核戦争のどちらかを選択させる対立を避けなければならない。核時代にこの種の選択をすることは、我々の政策の破綻か、世界にとっての集団的な死の願望のどちらかでしかないのは明らかだ。これらの目的を果たすためには、米国の兵器は挑発的であってはならず、注意深く統御され、抑止の為に設計され、選択的な使用が可能なものなのだ。我々の軍備は平和と厳格な自制を約束されたものだ」

おそらく、これが全てなのだろう。やはり、偉大な大統領だと感じる。

いくつかの、戦争終結に向けた提言もある。近々では、NationalInterest誌における、シモン氏(MIT), スティーブンソン氏(IISS)の提言などは、具体的方法論の切り口として、とても効果的に思える。

「米国とNATOは、外交の機会があれば、キエフがそれに乗ることに期待を示して、乗らなければ栓を閉めることもあり得ると明示すべきだ。ロシアへは、そうした機会をつかまなければ、ウクライナがもっと武器を得ることになるだろうと伝えるのだ。」 

こうした、戦争終結への提言が多く出されることで、この戦争が早く解決の糸口にたどり着くことが、ウクライナにとっても利益ではなかろうか。


結論

これまで述べてきた、いくつもの指摘は2月24日以降の私の所見であり、これが正しい見方だと言うことではない。それは、いくつもの思想信条のうちの一つであり、こうした考え方見方が、世界にはあるのだという一端でしかないのである。

しかし、理論性・合理性を大事にするリアリズムの中では、主にこうした見方を尊重する傾向にあり、逆に、非合理的で感情的な議論には、その整合性を問う場面が多く見受けられる。

批判に耐えうる議論をしていく中で、その理論の合理性を的確に示す根拠が有ることが、今後のこの戦争を見ていく上で最も大事ではなかろうかと、私は考える。

最後に、このロシア・ウクライナ戦争が、ウクライナの比較的優位な条件で和平が結ばれ、長く和平が続くことを願い、筆を置くことにする。



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