私は物語を殺さない
この文章は 『パレスチナのことを話し続ける zine』(2024年5月刊行)に参加したエッセイ「私は物語を殺さない」を大幅に改稿したものです。
本来ならば物語を書く人間であるはずの私がこの一年のあいだ現実の話ばかりしているのは、これからも物語とやってゆくためにはそうするしかないからだよ、というようなことを書きました。
*
「私は物語を殺さない」
物語を書く人になりたかった。
そのために20年以上足掻いてきた。
方法と方向を間違えたせいで遠まわりする羽目になったけれど、去年の9月の終わりに目標のひとつとしていた賞をとったことで、なりたかった自分にようやく近づけた気がしていた。
受賞から1週間後の10月7日、“ハマスのテロ行為”を発端に、イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザ地区への空爆がはじまった。あー、また中東が大変なことになってるな。テロ怖いな。戦争やだな。そのぐらいの認識だった。たまたまXのフォロワーのフォロワーにパレスチナを大切に思う人がいなかったら、今でもそのままでいたかもしれない。
気づいたときには、パレスチナに友人のいるその人の言葉が、タイムラインに日々流れてくるようになっていた。
──今起きているのはとんでもないことだ。どうかパレスチナに目を向けて。目が向いているのであれば、声を上げて。行動を起こして。
比喩ではなく命を賭けた訴えを来る日も来る日も目にするうち、どうやらこれはただごとではないらしいと、ようやく焦りのようなものを感じはじめた。
そのころにはもう、破壊された街や殺された人を画面越しに見ない日はなくなっていた。どうにか切り替えて小説に向かおうとしても、これでは現実から目を背けるために小説を利用しているみたいだ、いやそんなことは、本当に? 本当にそう言い切れるのか? というような自問自答がはじまり、読むことにも書くことにも集中できなかった。
10月20日、京都大学で行われた岡真理さんの緊急学習会を配信で視聴した。ときおり声を震わせながら語られる言葉のひとつひとつがあまりにも重く、うまく受けとめきれなかった。
パレスチナとイスラエルのあいだに起きていることに言及する際に“2023年10月7日”を起点とするのはまったくの誤りであること、パレスチナの土地に対する占領や人々への抑圧と暴力は1948年のイスラエル建国以前から続いており、直近のできごとだけを切り取って歴史的背景や人々が強いられてきた苦しみを無視するのは甚だ不公正であること、この状況はそもそも西欧諸国が自国の問題をパレスチナに押しつけたところから始まっていること、にもかかわらず人種差別と植民地主義にもとづくイスラエルの統治を許容し続けてきた国際社会は、この件に関して加害者の側に立っていること……聞けば聞くほど、何も知らずにいた自分が恥ずかしくなった。
ひとつの講義を見ただけでは不十分だと感じ、信頼できる専門家の著書を探して学びはじめた。本は配信と違い、言葉や内容のひとつひとつを精査しながら、自分のペースで読み進められる。知識不足のせいで切実な感情のこもった語りと”扇動”の見分けがつかなかった当時の私には、この遅さが必要だった。
だけど本を一冊読み終える前に、これでは遅すぎると感じるようになった。確かに知識は必要だ。学ぶことは続けなければならない。でも今の時点でだって、知識なんかなくたって、はっきりわかることがある。現在目の前で起きているこれは、毎日毎日こんなにも人が殺され続けていて、世界中がSNSを通じて見ているのに止められないこの状況は、考えるまでもなくおかしい。絶対に間違っている。一秒でも早く止めなければならない。そのためになにか、具体的な行動をしなければ。でも、なにを?
悩みはじめた矢先、Xのタイムラインに友人の冬乃くじさんの投稿が流れてきた。正確な表現は憶えていないけれど、おおむねこんな感じの内容だった。
「デモに行ってスピーチしてきたよ!」
いつも朗らかな彼女が、ふだんの彼女のままさらりと(と、少なくとも傍目には見える調子で)使った「デモ」という言葉に驚き、大勢の前でマイクを握る勇気に打たれたあとで、そっか、くじさんが行くのなら私だって行っていいんだ、デモってやつに、と気がついた。くじさんのようにスピーチをする胆力はもてずとも、頭数になることならばできるはず。そう考え、11月2日に外務省前で行われたダイ・インをはじまりに、ときどき抗議行動の場に足を運ぶようになった。
10月20日の緊急学習会のあたりからようやくパレスチナに目を向けるようになった人間が、11月2日にはひとりでデモに参加している。10日かそこらのあいだで一気に"のめりこんだ”ように見えるだろうか。
私自身の感覚としては、ただただ切実に「自分ごと」になった、それだけなのだが。
きっかけは、Xのタイムラインに流れてきたひとつの動画だった。
エジプトのジャーナリストRahma Zeineさんが、CNNのリポーターを糾弾する様を捉えたものだ。
T.Katsumiさん(@tkatsumi06j)が、Rahmaさんの発言を翻訳されている。以下に、一部を引用する。
この動画をはじめて観たとき、「ナラティブ」と「声」というふたつの言葉が、脳にシグナルを送ってきた。「注目! 注目! これはおまえにも関係ある話だぞ!」。「そうなの?」と目を向けてみれば、たしかに「ナラティブ」は私にとって最大の関心事である「物語」と縁深い言葉だし、「声」のほうはつい数ヶ月前に発表したばかりの自作の主題そのものだった。
とはいえ、はじめはうまく呑みこめなかった。
うまく呑みこめないまま、自分にも関わる話っぽいぞという気配だけを、なんとなく嗅ぎとった。
その後、アラブ系の映画俳優が「自分に来るオファーは悪役かテロリスト役ばかりだ」と語るのや、複数の専門家が「ホロコーストを題材にした作品は『アンネの日記』『ライフ・イズ・ビューティフル』『戦場のピアニスト』など多数あるが、ナクバにはそれがない」「ハリウッド映画でホロコーストの先が描かれることはない」などと指摘するのを聞くうちに、Rahmaさんの言わんとしたことをじわじわと理解していった。
決定的だったのは、いつか観た『シンドラーのリスト』のラストを思いだしたことだ。
映画は、オスカー・シンドラーの助けを得て絶滅収容所に送られることを免れた人々が、彼の死後に墓を訪れるシーンで終わる。
あの墓がある場所はどこか?
イスラエルだ。
シオニストがパレスチナの人を追放して作った国だ。
映画ではそうした背景は一切語られることなく、その土地はあくまでも“迫害された人々が悲願のすえに帰還を果たした故郷”として描かれていた。
これだ、とようやく呑みこんだ。
こうした一方の視点からのストーリーばかりが積み重ねられることで、パレスチナの人たちはナラティブを、自分たちの視点からの語りを、奪われてきたのだ。
その果てに、今がある。
抑圧と暴力に晒されながら生きるパレスチナの子どもがせめてもの抵抗として戦車に石を投げれば”テロ”として断罪されるのに、民家や難民キャンプや学校や病院に爆弾を落とすイスラエル軍の戦争犯罪は”自衛権の行使”として野放しにされる、不均衡な状況が。
こうした理不尽な語りに支配されているから/理不尽な語りで支配しているから、だからいまだに、世界はイスラエルを止められない。パレスチナのひとたちは、ただパレスチナに生まれたからというだけの理由で、声を、命を、奪われつづける。
この文脈において物語は、「たかがフィクション」などという生温いものでは断じてない。摂取する者の目に映る世界を、強者の側に都合のよい形で歪める、まごうかたなき毒である。
ショックだった。
自分をとりまく世界にあふれる語りが、これほどまでに偏っていたことが。
今の今までそれに気づかずにきてしまったことが。
もちろんそれまでだって、物語というものを無邪気に信じていたわけではなかった。信じると同時に疑っていたし、まなざすことや切りとることの暴力性は常に念頭にあった。
だけど、それにしたって、だ。
この問題はあまりにも大きすぎた。
どうやって立ち向かえばよいのか、見当がつかなかった。
茫然とした。
それだけではどうしようもないから、考えた。
まずは自分自身をなんとかすべきだと思った。
ハリウッド映画で描かれる一面的な正義や9.11以降の“テロとの戦い”といったナラティブを無批判に服用しつづけてきたことで、私もまた、骨の髄まで西欧中心主義的な語りに蝕まれていた。せめて今からでも、これまで聞こうとしてこなかった声を聞く必要があった。虫がいい話だけれど、聞かせてもらいたかった。
とはいえ、具体的な方法がわからなかった。当時の私にはパレスチナ出身の友人や知人はいなかったし、画面越しの言葉や写真や映像を情報ではなく顔と名前のある生身の人間の話として受けとめることは、口で言うほど容易くはなかった。
高橋美香さんを知ったのは、そんな折のことだった。
高橋美香さんは、パレスチナの人たちとその暮らしを20年以上にわたって撮りつづけてきた写真家だ。現地の家族のもとに「居候」し、生活をともにしながら取材をかさね、外から訪れた者としての視点と、家族や友人や知人としての視点、その両方から人々をみつめる。そんな美香さんの著書やお話会を通じて、SNSやニュースサイトから得る情報だけでは遠くぼやけていたパレスチナの人たちのことを、一人一人の顔と名前を、表情を、人柄を、衣食住を、なりわいを、日常化した暴力の下それでもつみかさねてゆく生活のことを、私は少しずつ知っていった。
知るほどに、受けとったものをただ握りしめているだけではいけない、という気持ちが募った。
手のなかのこれを、次の誰かに手渡さなければ。そうすることで、パレスチナという"遠い"場所と自分たちとのあいだにある隔たりを、少しでも埋めてゆかなければ。なぜならこの隔たりは、偏った物語を積みあげることによって築きあげられてしまったものだから。このさきも物語とともにやってゆくのであれば、ここを避けては通れない。
そう考えるようになり、まずはすぐにできることとして、ブログやSNSでパレスチナの話をするようになった。
ばくぜんとした不特定多数ではなく身近な知りあいの顔を思い浮かべながら、なるべく伝わりやすそうな話題や言葉を選んで話した。専門家でもなんでもない私にできるのは、私の声だからこそ聞いてくれるひと、つまりはもとからの友人や知人にとってのきっかけになることだと思ったからだ。これまでSNSでは小説や日常の話しかしなかった私が言及することで、あいつが騒ぐなんてそうとう大変なことが起きているのでは、と立ち止まってくれるひとがいることを期待した。
だけど、じっさいに私の投稿に目を留めてくれたのは、すでにアカウント名にパレスチナ国旗やスイカの絵文字をつけた、はじめましての方々が大半だった。想定していた友人や知人からの反応は、鈍かった。
むろん、SNSでの言動はその人の一部でしかない。私には見えなかったり、見えにくかったりするけれど、みんなそれぞれに事情を抱えたうえで、人が殺されつづけることに心を痛めたり、無言で行動したり、あるいは自分自身や家族の命を守りながら一日一日を生き延びるのに必死でそれどころではなかったりするのだろう。
わかっている。
わかっていてもなお、「なんで?」という思いを打ち消すことができなかった。
ある小説のことが、頭にあった。
昨年の夏。私のタイムラインは、蜂本みさ「せんねんまんねん」の話題で賑わった。
「せんねんまんねん」は、鶴ちゃんと亀ちゃんというふたりの女の子の対話を描いた、SF短編の傑作だ。
この作品は私を変えた。
もっとも大きな変化は、以前はしばしば口にしていた「人間は愚かだ」「地球のためには人類なんてさっさと滅びたほうが良い」などといった台詞をおのれに禁じるようになったことだった。私は鶴ちゃんから「戦争のない未来を作って」という願いを託された。受けとってしまったその日から、厭世や絶望に逃げることは許されなくなった。
これについて、当時の私は次のように書いている。
私が友人の投稿をきっかけにデモに行くようになったのは、前述のとおりだ。だが、すぐに行動を起こせたわけではなかった。今でこそデモにも色々あることや、各々が無理のない形で参加できるものが多いことを知っているけれど、当時の私にとって、デモは未知の領域、テレビや街頭で時たま出くわすだけの、物々しくておっかないものだった。怒れる群衆の一部となることにも、強い言葉や大きな声が飛び交う場に身を置くことにも、抵抗をおぼえた。
踏みだす勇気をくれたのは、鶴ちゃんだった。
いや、あれは勇気などという前向きなものではなかった。デモに行かない理由を並べたてるうち、鶴ちゃんの視線を感じたのだ。裏切れない、と思った。今ここで動かずにいたら、私は二度と鶴ちゃんに顔向けできなくなる。その焦りに退路を絶たれた。
自分にとって「せんねんまんねん」はそういう物語だ。それで、あの作品に心を動かされた人たちならば、大きく括れば自分と同じようなことを、つまりは平和を望むだろう、望むだけでは足りないとなれば、おのおのに可能な範囲で声をあげたり行動を起こしたりするだろう、おのずとそうなるだろう……と勝手な期待を抱いてしまった。
でも、そうはならなかった。
自他の境界線が引けていないと批判されたら、そうね、と言うよりほかにない。そもそも作品に対して抱く感想は、人それぞれだ。誰もが自分と同じものを受けとったと考えるのはおかしい。それに「せんねんまんねん」を読んだすべての人が急に目に見える形で反戦(パレスチナで起きていることは戦争ではなく虐殺と民族浄化だが)(*1)の意思表示をしだしたら、そんなふうに物語が人間をいともたやすく動かしてしまえたら、それはそれでものすごく怖い。
そう思いはするものの。
失望は拭えない。
だって、これだけの力をもつ作品でさえ、現実に作用することができないのだとしたら。「フィクションはフィクション」で終わってしまうのだとしたら。
(そのくせ、植民地支配の構造を作り維持するための道具としては存分に効力を発揮してしまうのだとしたら)
物語とは、なんて空虚で空疎なのだろう。
年が明け、季節が変わった。
その間、オンラインで、オフラインで、周囲のひとたちと話をした。
私にとって物語を物語で終わらせることは、物語を殺すことだ。
そう言うと、たいていのひとはとりあえず頷いてくれた。
けれど、おそらく、共感はほとんど得られなかった。
フィクションを大切にするひとたちとならば当然共有できるものと思いこんでいた自分の感覚がまったく一般的ではなかったことを、私はやがて理解した。
その意味において、物語は依然、空虚で空疎なままだ。
でもある日、職場から駅までの暗い道を歩きながら、すとんと思った。
他の人は関係ない。
物語が生きるか死ぬか、それは受けとった者次第だ。
私が決めるのだ。
私自身が。
2024年11月13日。
イスラエル政府によるパレスチナへの軍事侵攻が激化してから、403日が経過した。
“自衛権の行使”の名のもとに殺された人の数は4万人を超え(*2)、占領と抑圧の下でそれでも積みあげられてきた生活の証であったはずの街が破壊され、毎秒ごとに新たな戦争犯罪がかさねられてゆくのを、世界はいまだに止められずにいる。
終わりが見えない。
苦しい。
けれど絶望に甘えることは許されない。
最悪が更新されつづけるのを前に挫けそうになるたび、「せんねんまんねん」がぱしっと頬を叩いてくれる。国家としてのイスラエルの蛮行に“悪魔”という言葉が出そうになれば、某アニメが10年という月日をかけて伝えてくれた「お前にとっての“悪魔”もまた、お前と同じ人間である」というメッセージを思いだす。
私の心を動かした物語たちは、私自身が書いてきた物語たちとともに、静かに私をみつめている。かれらを裏切り見限られることを、私は恐れる。この恐れが消えないかぎり、物語は決して、虚しくなんかない。
一方で物語には、現在起きている破壊と殺戮を直接止める力はない。
だから物語の外で、物語のための言葉ではない言葉で声を上げ、行動する。
(了)
追記1:文中に、私が抗議行動の場に足を運ぶようになるきっかけをくれた友人の話が出てきます。この友人というのは、小説家の冬乃くじさんのことです。公開時は「友人」と書くにとどめていたのですが、ご本人から許可がいただけたので本文を修正し、お名前を加えました。くじさんありがとう!
追記2:終盤で突然「某アニメ」という言葉が出てきます。これは、敢えてそのままにしたzine版の名残りです。zineのほうでは具体的な作品名をあげて詳しく言及していたのですが、読み返したら浮いていた、作品が大切すぎて他者とわかちあいにくい、大切だが手放しには肯定できない部分もある、などの理由から、web版では削除しました。
註
*1 「 パレスチナとイスラエルのあいだに起きていることは日本から"遠い"中東の二国間の話だし、『せんねんまんねん』関係ないじゃん」という声もあるかもしれない。でも、国際法を無視して戦争犯罪を重ねに重ねに重ねに重ねるイスラエルを許し続ければ、戦火の時代は確実に近づく。関係大ありだ。(さらに言うならば、日本はイスラエルの戦争犯罪にさまざまな形で加担している。まったくもって”遠く”ない)
*2 2024年10月6日現在、ガザの保健省によって、パレスチナ側の死者は41,900人と報告されている。だが、これはあくまでも身元を確認した上で記録することができた方の数に過ぎない。瓦礫の下に埋もれている方は、ふくまれない。
*
フィクションをつうじて語りの不均衡に抗うーーKaguya Planetのパレスチナ特集
語りの不均衡に関連して、Kaguya Planetのパレスチナ特集を紹介したい。
2024年の4月から6月にかけて、パレスチナ人の作家やパレスチナにルーツのある作家の翻訳SF短編小説が、SFメディアKaguya Planetにweb掲載された。7月には、これらに加えてパレスチナとSFにまつわるコラムなどを収録した紙のマガジン『Kaguya Planet 特集:パレスチナ』が刊行された。
「特集に寄せて 語りと報道の偏りに抗して」が全文公開されているので、まずはこちらをお読みいただきたい。
昨年10月以降、文学界でもぽつりぽつりと声明文や巻頭言が発表されてきた。だが、少なくとも私の目に入った範囲では、どっちもどっち主義的なスタンスをとっていたり批判の対象を明言することが避けられていたりと、踏みこみが足りないものが多かった。
そんななか、Kaguya Planetのステートメントにおいては、イスラエルによる民族浄化が明確な言葉で批判されている。特集全体を通じてパレスチナへの連帯が具体的な行動として示されていることと併せて、強く励まされた。
この切迫した状況でSFなんて悠長だ、とする声もあるかもしれない。その点についてはステートメント内にも言及がある。
私個人としては、この種の悠長さについて考えるたび、パレスチナ出身の友人から言われたことを思いだす。
「パレスチナは本当は美しい国なんだよ。悲しいことや怖いことばかりが知られてしまうのは残念だ。よいところももっと知ってほしい」
パレスチナと強い繋がりを持つ作家たちによって書かれたSFはきっと、友人の言う「よいところ」のひとつだ。
特集で取り上げられた3編の短編小説は、現在こちらで無料公開されている⏬
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