こえさんの窓

石川県の珠洲市に文通ともだちがいる。
じっさいに会ったことは一度もないけれど、恩人のようなひとだ。
お名前を、こえさんという。

8月のなかばに彼からもらったメッセージを紹介したくて、ふたりであれこれ相談しながら、この記事を書いた。
能登を気にかけながら何もできずにいる私のような誰かに、読んでもらえたら。



私がこえさんと知りあったのは、今からちょうど10年前。
当時は文字でのやりとりを何度かしただけで、その後はほぼ交流のないまま時が流れた。

今年に入ってから、ゆるやかにメッセージを交換するようになった。
きっかけは、1月1日に起きた能登半島地震だ。

私にとって、能登といえば珠洲、珠洲といえばこえさんだった。
すぐにご無事を確かめたかったけれど、こえさんはSNSでは発信をされておらず、しばらく消息が確認できなかった。
居ても立ってもいられなくて悩みながらメッセージを送ったのが、1月2日のこと。
翌々日に返信があった。

「連絡が遅くなってしまい、ご心配おかけしてしまいました…!
とうぶん避難所生活で、発電機があるので、バッテリーのある状態でこれを書いています。
家族も含めて無事で、家も潰れていません(近辺ではましなほうです)。
避難所への公的支援はほぼなくて、それぞれの自宅から持ち寄ったもので賄っている状態です。
七輪で火を焚いて料理したり、みんな逞しく生きています。
アクセスの悪さからか、メディアにいっている情報はかなり少ないと思います。
とにかくお声掛けくださってありがとうございます。今のところ元気でやっています!
また落ち着いたら連絡しますね。」

ここから文通がはじまった。

ほどなく、こえさんは二次避難として珠洲を離れ、金沢のホテルに移った。

今から約1ヶ月前、8月のなかば頃。
ひさしぶりに、おたよりが届いた。


乃衣さん

お久しぶりです。お元気ですか?
お仕事の繁忙期、お忙しい日々を送っているかと思いますが、心身の疲労は溜まっていませんか?

さて、僕は8月頭に珠洲に帰ってきました。金沢のホテルの滞在期限がきたので。帰ってみて、なんでもっと早く戻ってこなかったのだろうと後悔してしまいました。
金沢のような都会(?)では気持ちが癒されることはあまりありませんでした。でも珠洲に戻るのも怖くて、ホテル業務があることもあり、ダラダラと先延ばしにしていたのです。
でも戻ってみて、何もない自然の風景に自分がいることは、なんてありがたいことなんだという実感が湧いてきて、何度か近所を歩きながら涙を流しています。
こんな気持ちになるのは初めてで、地震があって初めて、自分はこんなにも珠洲のことが好きだったんだということを実感したのです。

戻ってきたというのも、仮設住宅が当たったからなのですが、結局僕は元の実家に暮らしています。両親は仮設です。
3人で住むのがかなり厳しい間取りでして、こうなりました。
家は相変わらず風呂トイレは使えませんが、仮設まで歩いて数分なので、食事風呂トイレはそこで済ますという生活です。その行き来の道すがらも幸せを感じられる時間です。
夕焼け空の下の田んぼ道、虫とか鳥の声を聞きながら歩いたり、地面に寝そべって星空を眺めたり、そうしながら、他にもう何もいらないなあ、という感慨に耽っています。

ただそれでも、どこも潰れた家ばかりというのが現実です。少し外に出るとそういう風景は嫌でも目に入りますので、どうしても気分が滅入ります。
最近の報道はどのようになっているのかはわかりませんが、家の解体の進捗率でいったら目測で数%くらいという感じでしょうか。1月1日からほとんど変わっていません。

そういえば、先日二三味珈琲の葉子さんに偶然会いました。もともと楽観的な人ですが、今はお元気そうで、今度カフェでイベントをすると言っていました。

それでは、暑い中の激務が続いているかと思いますが、くれぐれもお身体お大事にしてくださいませ。


こえさん、こんにちは。

少しずつ日が短くなりはじめているものの、まだまだ暑い日がつづきますね。
どうされているかなと気になっていたので、昨日はおたよりをいただけて嬉しかったです。

金沢から珠洲に戻られたのですね。仮設住宅での生活は、お風呂やトイレの他にもさまざまなご不便があることと思います。こえさんはおひとりでご実家にお住まいだそうですが、きっとそちらも以前お伺いした「建ってはいる」という状態のままですよね……。
家の解体の進捗率についての「1月1日からほとんど変わっていません。」という言葉が重いです。報道を通じて知っていたことではありますが、珠洲にいらっしゃるこえさんから直に伺い、あらためて胸が痛みます。

それでも、故郷の自然のなかでこえさんの心が癒されるご様子に、勝手ながら、私も少し慰められました。まだ避難所にいらっしゃったころ「暖冬なのが救いで、日が出ると暖かいなあとか、星が綺麗だとか思いながら生きています。」と話してくださった際、頭の中に珠洲の星空が広がりました。あのときの感覚を思い出します。
葉子さんもお元気そうでよかった。いつかお会いしてみたいです。

こちらの近況ですが、仕事が繁忙期なのに加え、長編の執筆や、パレスチナのガザ地区に新しくできた友達のサポートなどでてんやわんやしています。能登のこともずっと頭にあるのですが、まったく何もできておらず、心苦しいです。

最近では国内でも地震や豪雨が頻発しており、世界中で起きている軍事侵攻なども止められず、それらすべてに対して個人が何かをすることは不可能です。でも、せめてご縁があったところには、という気持ちがあります。能登は、特に珠洲は、こえさんを通じてご縁のできた場所です。どうしたら車の運転すらできない私がそちらに伺って復興のお手伝いができるのか、繁忙期が終わりしだい、具体的に調べたり動いたりしたいです。でもそんなことを言っているあいだにも時間は流れ、まもなく発災から9ヶ月になってしまいますね……。

もどかしいことですが、私が能登に行くには、まだ少し時間がかかりそうです。
その前に、まずは今いる場所からなにかできることはないだろうか、と考えてみました。

そこでご相談なのですが……
もしよろしければ、今回こえさんからいただいたメッセージを、私のブログで紹介させていただけないでしょうか?
メッセージを拝読して、ああ、私は今、こえさんの窓からの眺めを見せてもらったんだ、と感じました。私のように能登のことを気にしながらもなにもできずにいる誰かに、この景色を見せたいです。
その際、こえさんのいる場所から見えるものを撮った写真を添えられたら、伝わる景色がより鮮やかになるかと思います。
場所でも物でも人でも、愛おしく思う対象でも胸が痛む風景でも、こえさんが私(たち)に見せたいものがありましたら、送っていただけると嬉しいです。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
こえさんも、どうか引き続き、お身体に気をつけてお過ごしください。

乃衣




メッセージをブログで紹介することについては、すぐに快諾していただいた。

それから約一週間後、4枚の写真が届いた。

「自宅と仮設住宅の間の毎日の往復で撮った写真です。特に脈絡もなく、そのときどきに心にとまったものをただ撮っただけのものですが。」

まずは写真と言葉をじっくり眺めてから、過去に交わしたメッセージを読み返し、そのあとで改めて、今回受け取った写真に目を戻し……。
そうやって何遍もぐるぐるするうちに、こえさんの生まれ育った土地を、こえさんに案内してもらって歩いているような心地になった。


「よく見ると奥に崩れた物置小屋が見えます。仰々しい被害丸わかりの写真ばかりがメディアに載る印象がありますが、もっとこういう日常の中に地震を思い起こさせるものが常にある。そんなことを思ってこれを撮りました。」


「自宅と仮設の道。どこに惹かれたとかいうのはないのですが、いつもここにいられる幸せを噛み締めている道です。」


「なぜか花に目がいくことが増えました。地震でもなんでも関係なく、花は咲くんだなと思って。」


「仮設で夕食をとって自宅に戻る時間帯に夕焼けと金星(宵の明星)が見えるのが好きで、いつも写真を撮っていました。これはバス停の窓に反射しているのを撮ったものです。」




「被災地」というのは強烈な言葉だ。
その名で呼ばれる土地を、悲劇や受難のイメージで塗りつぶしかねない力がある。
だけど、貼りついてしまったラベルの下では、今も生活が続いている。
辛いことばかりではなく楽しみや喜びもあり、爪痕が残るその土地を、それでも愛するひとたちがいる。

「夕焼け空の下の田んぼ道、虫とか鳥の声を聞きながら歩いたり、地面に寝そべって星空を眺めたり、そうしながら、他にもう何もいらないなあ、という感慨に耽っています。」

「ただそれでも、どこも潰れた家ばかりというのが現実です。少し外に出るとそういう風景は嫌でも目に入りますので、どうしても気分が滅入ります。」

どちらも珠洲の現実だ。

「家の解体の進捗率でいったら目測で数%くらいという感じでしょうか。1月1日からほとんど変わっていません。」

こえさんのこの言葉の意味と、自分にできることについて、考えている。




こえさんと作った記事は、以上だ。
ここからは、私が加えた補足になる。

「こえさんの窓」と題した上記の文章は、8月末には形になっていた。
しっくりくる見出し画像がみつからなくて、どうしましょうねえ、と言いあいながら公開を先延ばしにしているうちに、9月21日、能登半島北部を豪雨が襲った。

こえさんや周囲の方々のことが心配で、メールを送った。
23日に返信が届いた。

「我が家は被害はなく、家も仮設住宅も無事でした。しかし見たこともないような景色が広がっていて、びっくりでした」

写真に撮って送ってくれた風景は、今どうなっているのか。
気になったけれど、聞けなかった。


珠洲市ホームページ。義援金・寄付金・炊き出し・支援物資などについての情報が掲載されています。


その他、能登豪雨の被災地に届く、支援募金や義援金の情報です。

このほかにも1月1日以降現地で活動しつづけてきたいくつもの団体が支援をつのっているので、寄付したいな、できるな、という方は各々調べていただき、しっくりくるところを選ばれると良いのではないかと思います。


あわせて、「個人が今いる場所からできること」のひとつとして、首相官邸への意見送付フォームへのリンクも置いておきます。(匿名で送れます)



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