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「珠洲に行ってきた話① 事前準備」
2024年の11月26日から28日にかけて、石川県の珠洲市に滞在していた。
ささやかな、具体的にはバケツ72個分、リストひとつ分、タイル40枚分の、復興のお手伝いをしてきた。
珠洲に行きたいと思うようになってから出発するまでの備忘録と、滞在中のことをふりかえった記録を、7回に分けて投稿してゆく。
第1回は事前準備編。能登でのボランティアに関心がある方向けの情報収集の方法や、出発までの具体的な段取りをまとめた。
第2回から第7回は、珠洲に滞在していたあいだの日記だ。
第1回のみnote、第2回から第7回は「しずかなインターネット」でお読みください。(後者は追って公開します) ➡︎最終回まで更新が完了しました。
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「珠洲に行ってきた話① 事前準備」
1. なかなか行けなかった理由
能登に、できれば珠洲に行って、復興支援のお手伝いがしたい。
今年の1月1日に能登半島地震が起きた直後からそう思っていた。
縁もゆかりもない土地に起きても胸が痛むのが震災だ。それが、友人がいる、じっさいに訪ねたこともある、そういう場所で起きてしまった。人手が必要とされているのであれば、駆けつけたかった。
だけど、行くまでに11ヶ月かかった。
まごついたり尻込みしたりしているあいだに時間が経ってしまった。
現地までの交通手段は? 現地での移動は? 宿泊先は? 具体的な作業内容は? どうすればお手伝いを必要としている方のところに辿り着ける? 私なんぞが行ったところで何ができる? なんの技能も持たず、車の運転すらできないのに?
なにひとつわからず、わからないなりに調べるうちに、珠洲市災害ボランティアセンターのサイトに辿り着いた。
個人ボランティアに向けて、このようなことが書かれていた。
" ボランティア活動を行って頂ける個人の方は、石川県県民ボランティアセンター特設サイトにて事前登録を行った上、特設サイトにて随時行われるボランティア募集に応募を行われ、ボランティアバスにてご参加ください。"
"また、陥没・隆起・降雪・凍結等により道路状況が非常に悪い上、渋滞防止や衛生環境等の受入れ人数の制限、駐車場の圧迫等がございますので、個別でのボランティアは受付しておりませんのでよろしくお願いいたします。"
そっか、私のような個人がボランティア活動をする場合は、ここで言われているような"ちゃんとした制度"を利用しなければならないのか。そうしないと迷惑をかけてしまうのだな。当時の私は、この文章をそのように受けとった。
それで、5月の連休にあわせて自治体(東京都、石川県)や団体(パルシック)のボランティアに応募してみたのだけれど、大型連休中は希望者が多かったようで、結果はすべて落選だった。
その後はまとまった休みがとりづらい時期がつづき、次の見通しを立てられずにいるうちに、9月、豪雨が能登を襲った。
地震よりも今回の被害のほうが酷い、という声をあちこちでみかけた。珠洲在住の友人とそのご家族は幸いにも無事だったが、ぽつりと聞かせてくれた周囲の状況に、返す言葉がなかった。
あんまりだと思った。自分に何ができるかわからないけれど、とにかく何かしたかった。だけどどうやったら……の堂々巡りに入りこもうとしていた矢先、「のと部」を知った。
2. 行くために必要だったもの
・のと部
のと部は、編集者の川村庸子さんとアーティストの瀬尾夏美さんが発起人となってはじめた活動だ。出入り自由の部室として、能登に心を寄せるひとたちに対してひろく開かれている。
“実際に被災地に行こうとする人たちのサポートをしたり、録ってきた記録のアーカイブをしたり、現地の困りごとのお手伝いをしたり、さまざまな方法で能登を応援する、ゆるやかな集まりです。
現地の状況を知りたい人、能登に行きたいけれど足踏みをしている人、東京にいながらできることを探している人……どなたでも大歓迎。ぜひ、まずは一緒におしゃべりして、手を動かしてみることからはじめましょう。今後、月に一度くらいのペースで集まる予定です。”
のと部の拠点は東京だけれど、なんだよまーた東京かよ解散解散、と思った方がいらっしゃったら、ちょっと待って、つい最近開設されたSNSアカウントが、充実した情報を日々発信してくれています。フォローするだけでものすごく参考になるので、東京近郊以外にお住まいのかたも、まずはこちらをどうぞ。
Instagram:@notobu.tokyo
X:@notobu_tokyo
その、のと部の集まりの第1回が、10月24日の夜にあった。
無料、申し込み不要、どなたも歓迎、とにかくこの時間にこの場所においでなさいな、という形式のおおらかな場だったので、気負わずゆるっと参加した。
会場に集まった40人ほどの「部員」を見回した川村さんと瀬尾さんは、能登に心を寄せるひと、なかでも、実際に現地に行きたいひとが大勢いることに驚かれていた。にもかかわらず行けていないのはなぜ? なにがネックになっているのか? それを探るためのやりとりがはじまった。
参加者から多くあがったのが「自分に何ができるのか」「自分でも役に立てるのか」という声だった。これに対し、瀬尾さんはおおむねこのようなことを仰った。
「とりあえず行けばいい。行けばやることはなにかしらあるから」
"ちゃんとした制度"の枠組みの中でないとボランティア活動ができないと思いこんでいた私は、まずこの言葉に、はっとさせられた。
災害ボランティアに詳しい複数の専門家が「本来は自主性を前提としているはずのボランティアが、昨今は過剰に管理されがちで、その結果、市民が自主的に動けなくなっている」という旨のことを言っていたのを思い出しもした。(*この記事の最後に、関連する番組と記事を紹介しています)
瀬尾さんはさらに言った。
腕力という意味では、できることは少ないかもしれない。でも、たとえば話を聞くことならばできる。被災者同士ではできない話が、外からきたひとにならばできる、そういうこともある。一緒に作業をしながら、そのあいまに、ふとこぼれる声がある、と。
それならばできるかも。そう思った。
もっとも、話を聞くというのはむつかしいことで、自分につとまるだろうかという心許なさはあれど……それでも、ちょびっと、背中が押された。
その後、実際的な問題として浮上したのが「車が運転できないため、行ったさきでの移動手段をどうしたものかと……」というものだった。そんなところでつまずいているのは自分ぐらいだと思っていたよ、同じ悩みを抱えているひとがこんなにいたんだなあ、というようなことを私がのんびり考えているうちに、だったら私が車を出しますよ、つごうがつくひとたち何人かで一緒に行くのはどうでしょう、と誰かが言って、気づいたときにはあちらでもこちらでも、その日その場で会ったばかりのひとたちが現地入りのためのグループを作りはじめていた。
私はというと、その場にちょうど友人の堀川夢さんがいたので(各々のと部に来たらばったり出会った)よしじゃあ一緒に行きましょうかということになり、あれよあれよというまに日程と交通手段が決まった。
こうして、10ヶ月のあいだ進まなかったことが、1時間ほどのあいだに一気に前進した。
川村さん、瀬尾さん、あの日ご一緒したのと部のみなさま、その節は本当にありがとうございました。
場を設けてくださり、東日本大震災のころからの活動を通じて培ってきた経験や知識を惜しみなく共有してくださる川村さんと瀬尾さんの存在はほんとうに大きく、でも、だからといってよりかかるのではなしに、集まったみんなが、ひとりひとりがこの場を作ってゆくんだぞという空気が第1回からすでに満ちていて、とてもよい時間でした。
3. 出発までに決めたこと
出発前に決めたのは、日程、交通手段、滞在先、それだけだ。
●日程
のと部に参加した際に、現地の方から「12月の半ばには雪が降りはじめる。その前にできるだけ泥かきを進めておきたい」という声が出ていると聞いた。ならばその前にと、11月の最終週に行くことにした。2泊3日に夜行バスでの移動を加え、火曜日の朝に出て金曜日の早朝に帰ってくるスケジュールになった。
●往復の交通手段
現地で過ごす時間をなるべく長く確保するために、それから往復飛行機にするよりは交通費が節約できるねということで、行きは飛行機、帰りは夜行バスにした。
5年前に旅行で珠洲を訪れた際は、東京から金沢まで新幹線、そこから先は一緒に行った友人にレンタカーを運転してもらってえんやこら……というルートを使ったのだが、飛行機ならば羽田からのと里山空港のある輪島まで一気に飛んでしまえると、これも、のと部で教わった。羽田からのと里山空港まで1時間ちょい、のと里山空港から珠洲までは車で約40分。珠洲、思っていたよりもずっと近い!
今回かかった交通費は、飛行機が10,270円、バスが3,700円、合計13,970円だった。
ぜんぶ堀川さんが手配してくれた。ありがたや。
空港から珠洲市内までは、バスや乗り合いタクシー「ふるさとタクシー」が出ている。
※2024年12月現在、羽田・能登間の便は朝に1往復のみ運行している。来年1月に、地震前と同じ1日2往復に戻るとのこと。
●滞在先:それぞれの詳細と最新の情報は、公式サイトやSNSでご確認ください。
宿泊できて、なおかつボランティア先を紹介してもらえる施設を、これまたのと部で教えてもらった。
・さだまるビレッジ
Instagram:@sadamaru.life
・ボラキャン珠洲
このどちらかに滞在するつもりで、その旨を珠洲市在住の友人こえさんに伝えたところ、第3の候補を紹介された。
・海浜あみだ湯
X: @amidayu_suzu
Instagram:@amidayu.suzu
海浜あみだ湯は、築35年の銭湯だ。地震の後、珠洲は全域で断水したが、もともと地下水を汲み上げて使っていたあみだ湯では水が出た。お湯を沸かすのも薪を使う方式だったから、ものすごく頑張ればお風呂も提供できた。それで、関係者のみなさんの尽力を経て、被災後3週間で営業を再開したのだそうだ。以来、地域のひとたちのお風呂としてのみならず、みんなの集う場としても愛されている。
現在は珠洲におけるボランティア拠点のひとつとしても機能しており、派遣先を紹介してもらえる(し、運転ができないひとは、派遣先まではきっと誰かしらが車で連れていってくれる……はず、だけど、あみだ湯はごく少人数で切り盛りしているので、タイミングによっては難しいかもしれない……ので、事前に相談するのがよいかと思います)。宿泊可能。基本は雑魚寝で、布で仕切るタイプの半個室もあり。
なんと、こえさんがこちらの運営に携わっているとのことで、それならばと、今回はあみだ湯に滞在することにした。
・その他の滞在先
営業を再開している民宿を利用する手もある。派遣先はあみだ湯に紹介してもらい、夜はゆっくり休みたいから民宿に泊まるという形も良さそうだ。
ほかには、現地の飲食店の方から「泊まるところに困っているボランティアさんがいたら、うちの店の奥の部屋を使ってもらえるよ」という申し出があったという話や、一般のご家庭がボランティアで訪れるひとたちのために部屋を開放してくれているという話も聞いたことがある。瀬尾さんの仰っていた「行けばなんとかなる」というのは、たとえばこういうことのようです。
4. 役に立つかもしれないもろもろ
●ワークマン
必要な装備がすべて揃う。具体的には、
・作業用手袋(一般的な軍手だと水が染みるので、ゴム性のものがよい。滑りにくく、切れにくいもの)
・長靴(折りたためるものだとかさばらなくてよい)
・踏み抜き防止インソール(釘などを踏んでも怪我をしないように。長靴のなかに入れて使う)
・撥水素材のジャケットとパンツ。上下セットで売られているもの。
などを買った。
これ以外には、防塵対策としてマスクを持参した。のと部でもらったアドバイス「作業内容にもよるけれど、本格的な防塵マスクではなく、街中でもみかけるちょっとしっかりした作りのマスク(N95など)があれば十分では」に従い、家にあったものを持参した。じっさいそれで十分だった。
装備については、こちらの記事が参考になった。
●ファイト!珠洲
滞在中にこえさんが教えてくれてありがたかったのが、こちら。
"「珠洲周辺の施設情報2024」からの情報提供のもと、石川県珠洲市で震災後に営業を再開している飲食店や店舗などをご紹介しています。珠洲で頑張る地元の人、業者の方、ボランティアや県外のご家族の方など、復興に携わる全ての方を応援するメディアです。”
地震以降、珠洲のお店は営業時間が変則的になっている。お店のSNSやGoogle mapには最新の情報が反映されていないこともあるので、こちらを見るのがおすすめだ。
●各種助成金制度
たとえば往復飛行機+指定の宿に宿泊する方などは、申請すればキャッシュバックがあるようです。
5. まとめ・堀川夢さんの「珠洲滞在記」・「こえさんの窓」
出発までの話は、これでおしまい。
次回からじっさいに行ってどうだったか、に入ってゆくわけだが、そちらは個人的な日記で、直接役に立つ情報は出てこない。
だったら第1回だけ読めば十分かな、という方も多いと思うので、行ってみての感想を最後にざっくりとまとめておく。
・「とりあえず行けばいい。行けばやることはなにかしらあるから」は本当にそのとおりだった。
・現地の状況は刻々と変化しつづけているため、当日まで作業内容はわからない。天候などの条件によっては、ごくごくささやかな作業しかなくて肩透かし、というケースもあるそうだ。でも、そうした作業だってけっきょく誰かがやることなのだから無駄にはならないし、なにより、もしもやることがなんにもなかったとしても、現地に行ってみることに意味がある。あった。
・行ってよかった。
・もっと早く、さっさと行けばよかった。
・また行きたい。
まとめるとこれだけのことをなんとか文章にしようともがいているうちに、帰ってきてから2週間以上経ってしまった。私はいつもこうだ。言葉にできるようになるのが、とにかく遅い。
かたや、今回の旅の仲間だった堀川さんは、金曜日の早朝に夜行バスで帰ってきた、その翌々日の文学フリマ東京でもう「珠洲滞在記」をフリーペーパーにして配布していた。
堀川さんの滞在記、とても良いのでたくさん読まれてほしいです。細部まで正確かつ鮮やかで、どうしてこんなに把握と解釈と記憶と言語化の解像度が高いのだろう、と驚かされる。私はとにかくぼんやりした人間なので、堀川さんの滞在記を読んで初めて、なるほど、あれはそういうことだったのかと理解できたことがたくさんあった。
私の滞在記もなるべく早く公開します。
➡︎ ようやく公開できました!
その際にあわせてお読みいただきたいのが、こちらの文章です。
9月の豪雨の直前にこえさんと交わしたメッセージと、こえさんが見せてくれた珠洲の風景を紹介しています。
こえさんと相談しながらこの文章を書いたことが後押しのひとつとなり、今回の滞在に辿り着きました。
12月19日追記:第2回を更新しました!
6.関連する記事と番組
阪神・淡路大震災のときと比べて、能登半島地震の災害ボランティアの数は著しく少なくなっている。その状況を伝えつつ、減少の背景にあるものについて報じた記事です。
能登と阪神には地形をはじめとする違いがあるので、ボランティアの数だけ比較してもはかれないものは当然ある。でもそれにしたって地震があった直後の、そしてその後も長く尾を引いた自粛ムードは、ちょっと異様だったのではないかな…と、今回この記事を読み返して改めて思った。
そして、こちらもとてもよい番組なのですが、誰でも観られる無料期間が終了しているからか、番組のリンクを直接貼ることができませんでした。Xをあいだに挟んでのご紹介にて失礼いたします。
この番組、とてもよかったです。
— 糸川乃衣 (@Itokawa_Noe) January 19, 2024
震災に限らず、当事者でない人間は理性的であるべきだ、余計なことをするぐらいなら何もしないほうがいい、みたいな空気が広がりつつあるのにもやもやしています。それにも繋がる話でした。https://t.co/pKqWWGoAPN