イマジンキモノ・群馬を通じて得たもの
イマジンキモノ・群馬の活動を通じて思ったことを。
着物友達と、着物のイベントに参加したり、歌舞伎を見、落語を聞いたりして、楽しく着物生活を過ごしていました。いくらでも喋っていられる仲間にも出会え、本当にかけがえのない楽しい時間でした。
でも、でも、、、
楽しさと同時に、どこかで虚しさも感じていました。
一人の消費者として出来ることには限りがあるからです。もっと着物を広め、楽しさを伝えられないか? 着物を通じて、大げさにいうと社会貢献できないかな、と考えるようになりました。年齢のせいもあると思います。
最期の瞬間に「私の人生おもろかった」と言うためにはどうすればいいか、虚しさを抱えながらも、そうかと言って楽しい日常を過ごしつつ、もんもんとしたまま1年半くらいが経った頃、まず着物雑誌を作ることにしました。
そこで創刊記念パーティーで箏奏者EcKotoの増田さんに出演をお願いしました。その場で、増田さんと群馬で公演やりましょう!という話になり、昨年の11月に演奏会を行いました。
その演奏会の前に「着物サローネ」でイマジン・ワンワールドのショーを見ていたのですね。プロジェクトを応援したいと思うものの、200万も寄付できないし、でも1,000円の寄付では、どのように自分とプロジェクトが結びつくのか、感じずらい。もっと自分に引き寄せた形、達成感を味わえる形で応援できないか、と思っていたところ、あるアイデアがひらめいたのです。
活動の場を広げたい伝統芸能の人と、イマジン・ワンワールドを掛け合わせればいいんだ!! つまり、チャリティーイベントを行えば、伝統芸能の方の活動の場の創出にもなり、個人では無理な200万円の寄付もできる〜〜。イマジンワン・ワールドさんにも1ヶ国分の寄付になる。これって、大岡越前ばりの名裁きではないですか(しかも損ないし、勝ったねww)
これが1月7日。思いついてからは焦りました。誰かが同じことを考えるのではないかとヒヤヒヤしていたからです。
あれっ?? でも誰もやらない、みたい。
こんなに楽しいことを。ヨッシャー、あてがやったる〜。
と、今に至ります。
【実際に活動して思う事】
〈1.周りが変わる〉
去年の11月の演奏会では、父にこう言われました。
「誰かを応援することは素晴らしいけれど、赤字になったらお父さんがかぶらなきゃいけないんだから、あまりやらないほうがいい」
と。
キーーーーーーッ
私は噛み付きました(心の中で犬歯を剥き出しにして。ブラックアゼミン出動ですわ、そりゃ)。
「なんで赤字って決めつけるの? 大きいホールで何十万、何百万もかかる訳じゃ無し…(以下略) かぶってもらうつもりもないし、第一、演奏者さんに失礼だ!」と言い返し、その時は最悪の空気でした。
そんな父がですよ、今回1回目のイベントを終えた翌日に、私が
「次の次はこんなことをやりたいんだ〜」
と話したら、
「それならお寺がいいんじゃないか」と
提案してくれるではないですかーーーーーーー!
もうビックリです。
一人の人間が本気で目標(必ず叶えるので〝夢〟とは言いたくない、でもロマンがあるので夢とも言いたい天の邪鬼な私)を追う時、周りは変わるのだと、感じました。そりゃこんなことは、いくらでも本に書いてあるでしょう。もっと凄い成功者の体験として。でもね、実学です。私、身をもって体験したんです。これは意義深いと思います。行動しなければ、感じられなかったことです。
〈2.夢を追うと、誰かの夢を叶えることに繋がる〉
私は何も芸がありません。そのかわり、本当に好きな人、応援したい人は、全力でバックアップしたいと思っています。次回は落語会をする予定ですが、アドバイスをお願いした人が
これはまだ進行形なので、また改めて書きたいと思います。
まだ断定できないから。
〈3.不安は行動で打ち消す〉
イマジンキモノ・群馬1回目のイベントは、正直、集客に苦戦しました。
1ヶ月前でも全然申し込みがない。前回ではそんなことなかったのに。申し込みフォームがおかしいのか、友人にテストしてもらっても問題はない。
会場を予約した際、キャンセルは●日前までなら●割と教えられ「イヤイヤ、するわけないじゃん」と思ってました。
ところが、困った、困った。
あ〜あ、やっちゃったーーーー。
いくら地元とはいえ、18歳から東京だし、人脈もない、コネもない、いとこなどの親戚もみんなリタイア世代。FBのイベントも群馬の友達の招待数は30名以下。こんな私には無理だったんだ、と弱気が山の手線のように次から次へ押し寄せる。すぐ印刷する予定だったチケットも、キャンセルするかもしれないし、と考え入稿できずにいました。
でも、まだ3週間もある。やれるだけやってそれでダメなら延期しよう、と居直った。「莫妄想」。行動が足らないから不安なんだ、と気づいたんですね。
そしてFBである呉服屋さんにメッセージをしたところ、形勢逆転。はい、これが前橋の小川屋さんです。協賛してくださるだけでなく、次回のイベントでは会場として貸してくださるとのこと。ここで落語会開催が決まり、噺家さんも決まり、これが上毛新聞へとつながったのです。
それだけにあの掲載は本当に心から嬉しかったのです。多くの人に知って頂く必要があったから。一枚の着物が出来上がるだけではない価値があることを知って欲しかったから。
メディアに出るにあたり、滑舌よければ良かった、美人だったら良かったのに、とかくだらないことを思うけれど、何もない私でも、FB招待数30名以下の私でも行動すれば変わる!ってことを学びました。まだ始まったばかりで、2ヶ月毎にイベントをし続けることができるかも分からないけれど、
またやっちゃったーーーって思った時の未来の私へエールを送るために、今の気持ちを忘れないように書きました。
2年後に笑っているために。2年間笑っていられるように。
あ、とりあえず、2ヶ月後〈8/20(土)〉に笑いに前橋に来てね。
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