うつ病にてドロップアウト道中記 #8 過去を思い出す。

一度思い出すと連日、過去を夢にみる。今回も重め。「お前のそこら辺にありふれた程度の不幸自慢なんて興味がない」と言う方はブラウザバックしてください。


私が小学校低学年の話。私の家の隣の空き地で火事が起こった。幸いにも通行人が発見してすぐに消防車を呼んでくれたので燃え広がる前に解決した。犯人は私のクラスメイトの男子数人。空き地の草むらでタバコを吸っていてそこから火がついたとのことだった。消防士が男子たちに一通り注意し、「ちゃんと注意しました。子供のやったことなので大目に見てください」と近所の住人に説明した。翌日、その男子たちは私の席に来て、「昨日はお前の家が火事にならなくて良かったな」とニヤニヤしながら言ってきた。正直ゾッとした。その後もその男子たちは何かと私に絡んできた。学校を卒業して別々の学校に進学するまでずっと。その男子たちは全員大学を出て、普通の会社に就職し、結婚して子供を作り、家を建てて順風満帆な日々を今も送っている。


私が中学生だった頃の話。私の家は母親と祖母の仲があまり良くなかった。祖父を交通事故で亡くし、祖母の心が安定しなくなってからそれは顕著になった。ある日、母が仕事で夜遅くに帰宅したら、家の玄関の鍵がかけられていたことがあった。夜更ということもあって祖母がかけたのだが、仕事が忙しくて残業が続いた母もイライラしていたのだろう、その日は母が祖母を大声で責めていた。一頻り怒りを吐き出した母が2階に上がるとき、階下からは祖母のすすり泣く声が聞こえていた。それから3ヶ月も経たずに祖母に癌が発見された。祖母は毎月、昔からのかかりつけの病院に行っていたが手遅れの状態になるまで発見されなかった。その病院は付近ではヤブで有名な病院だったが、祖母は昔からの付き合いだからと言って他の病院に移ろうとはしなかった。入院も医療設備が十分ではなく、夜になると看護婦さえ帰ってしまい、ナースコールを押すと病院の裏手にある医者の自宅に連絡が入るだけのその病院に入院した。祖母が設備が整った大きな病院に移ったのは亡くなる二週間前、ずっと昏睡が続いた後だった。

祖母が亡くなった後から母の様子もおかしくなっていった。最初に気づいたのは母が務める会社の上司で、その方から家に電話が入った。「最近、そちらの○○さんが無断欠勤しているのだけど、何かあったのか?」私も父も初耳だった。その夜、帰宅した父が母と話をしたが、「最近疲れが取れないから知り合いのやっている喫茶店で少し休んでるだけ。休んでても調子が戻らない日はそのまま休んでしまうんだけど……」と母は答えた。それから二週間ほどでその喫茶店から家に電話が入った。「お宅の○○さんの様子が今日はすごくおかしい。大丈夫かと何度尋ねても大丈夫大丈夫って笑うのだがその笑顔が普通じゃなく感じる。あまりに何度も尋ねるからしつこいと思ったのか○○さんは店を出たけど、ちゃんと家に帰ってますか?」母は家に帰ってなかった。会社に電話したが今日も来てないとのことだった。父と2人で手分けして母が行きそうな場所を探した。母を見つけたのは私だった。母は会社と自宅の中間ほどにある駐車場で頭を抱えてうずくまっていた。母を支えながら家に向かい、父の帰りを待った。きっと祖母との関係を修復することも、あの夜怒りをぶつけてしまったことを謝罪することもなく死別してしまったことが母の心の負担になっていたのだろうと思う。

父が帰ってきても母の様子は変わらず、父はすぐに救急車を呼んだ。すでに夜中になっていた。救急車で大きな病院に運ばれて、宿直の医師が診察した。若い男性の医者だった。彼は診察室に入って母の様子を見るなり小声で呟いた。「なんで俺が当番ときに……」誰にも聞こえないような本当に小さな声だった。すぐそばにいた私だけが偶然聞いてしまった。心底うんざりしたような呟きを。


私が10代後半の頃に知り合った女性がいる。彼女はサバサバした性格なのだが、異性に対しては妙に態度が固くて不思議だった。ある日、お互いにお酒が入ってるとき、気になっていたその理由を尋ねたら、彼女は少し考え込んで苦笑のような表情を浮かべた。それから苦い笑いと苦い声で、「私が高校生の頃になるんだけどね、週の4日くらい家で姉の子供を2人……甥っ子をね、預かっていたの。姉は病院勤務で時間が不規則で、姉の旦那も夜まで仕事で、夕方から夜までの間ね。2人ともませたガキだったわ。私がお風呂に入っているのを覗いたり、私の部屋のベッドに潜り込んだり、タンスから下着を漁ったり、何度もされたわ。それが嫌でね、母や姉に何度も言ったんだけど、子供だから仕方ない。子供のやることにいちいち目くじら立てるなって言われたのよ。正直イラついたわ。で、ある日、ガキ2人に押し倒されて服とか脱がされたのよ」彼女は言葉を切って少し目を伏せてから「そのことを母や姉に言ったんだけど、答えは同じ。子供のやることだから。なんかね、それを聞いて私の中で家族に対する何かの感情が一瞬で冷えていったの覚えてる。それからかな、私が男に苦手意識持つようになったの。特に男のガキは不快の対象でしかない。本当に気持ち悪い。子供だから当然なんだろうけど、善悪の区別もつかなくて、モラルも常識も持ってなくて、好奇心とか興味とか、そんな自分の欲を満たすために平気で人を傷つける。そしてそんなことをしても、子供だからって言葉で許されてしまう……本当に大っ嫌い」真剣な顔で締めくくった彼女の話を聞いて、私は自分が子供時代に経験した子供の残酷さを鮮明に思い出した。


私がここ1〜2年前に地活で経験した話。その地活には何度も顔を出していたが、ある日、新顔が尋ねてきた。化粧の濃い女性。彼女は職員に向かって自分がどんなに辛いことを経験してきたか、悲惨な目にあってきたかを涙ながらに語った。それを聞いた職員も、その場にいた利用者も心から心配し、彼女を慰めるように声をかけた。その日からその女性は毎日地活を訪れるようになった。3ヶ月もした頃、私が違和感を感じる出来事があった。彼女は他の利用者に積極的に関わり、よく話してよく笑った。地活の建物の外からでも彼女の笑い声が聞こえるほどだった。

私も彼女とそれなりに交流をもち、彼女の状況をある程度聞かされた。彼女は日系3世で、純粋な日本人じゃないから日本人からひどいヘイトを幼少期から受け続けていたこと。それが原因となって多重人格が発症してしまったこと。それでも必死に頑張って大きな会社に入ったが、やはり日本人じゃないって理由で会社からパワハラを受け退職したこと。今は働いていないこと。彼女の自宅は駅5分ほどの場所にあること。彼女の両親も働いていないこと。

ある日、彼女が珍しく顔を出さない日、地活を利用していた近所のお婆さんが久しぶりに顔を出した。家族関係が上手くいってなくて家に自分の居場所がないと言っていたお婆ちゃんだ。「最近きてないけどどうしたの?」と尋ねる職員に、お婆ちゃんは「ちょっと前からここすごく笑い声が大きくなったでしょう? 大きな声が通りまで聞こえてきて、入りづらくてね。大きな声って頭に響くから苦手で……それでここに来れなくてねぇ……」と答えた。職員も私もすぐに彼女の声だと察した。翌日、彼女に対して職員が「もう少し声を抑えてくれないか?」と頼み込んだ。彼女はそれを了承したが、その日のお昼にはいつも通り大声で話して笑っていた。

しばらく地活に顔を出さなかった人たちが偶然集まった日があった。みんなある程度回復して、A型やB型、障害者枠で働いている人たちだった。みんな顔馴染みで、本当に偶然集まったから話が盛り上がった。お互いに近況報告などをして、こんなことを苦労してる、こんな風に頑張っていると話し合っていると、その女性が突然怒鳴り声をあげた。

「静かにして! そんなうるさいと頭が割れるくらい痛くなるの! もっと人のことを考えてよ! 常識を考えてよ! 本当に日本人はデリカシーがない!! 職員も利用者をちゃんと躾けてよ!」

そのとき、私の胸によぎった感情はなんと言えばいいのか。

翌日から私と親しかった人は来なくなった。私も地活に行かなくなった。最近になって調子を崩したときがあり、本当に久しぶりに顔を出したが、利用者の顔ぶれは変わっていた。そもそも利用者の人数が私の知っている頃と比べて少なかった。変わらず地活を利用しているのは、彼女と、彼女と仲のいい数人だけだった。


ここ数日、本当にこんなことばかり思い出して心が陰鬱になっている。次はもっと面白い話題にします。すいません。

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