日常にこそ、ヒントがある。 〜東京・広島交換日記〜
「アートとコピー」という講座で出会った、デザイナーの伊藤萌香さんと僕は、交換日記をすることになった。
出会って数時間。
お互いのことをまったく知らない、はじめましての2人。
24歳と33歳。
東京と広島。
デザイナーとデザイナー。
違うところと同じところがある2人の日常には、きっとなにか新しい発見があるはず。
ありのままの暮らしの中に見つけた言葉や気づきを交換していく、とりとめのない日々の交換日記。
卵焼きをつくろうとしたが、砂糖と塩を間違えてしまい、ひどく味の濃い「しょっぱい卵焼き」ができてしまった。
普通なら捨ててしまうが、閃いた。
「チャーハンにすればこの子を救えるかもしれない。」
めちゃめちゃうまかった。
捨てようと思ったものがご馳走になった。
失敗は過程である。
卵焼きをつくることが目的であれば、砂糖と塩を間違えた「しょっぱい卵焼き」は失敗だが、おいしいご飯を食べることが目的であれば、「しょっぱい卵焼き」を活かして、おいしいチャーハンをつくることができる。
角度や視点を変えると失敗は過程になる。
失敗があるからこそ発明が生まれ、進化が生まれる。
失敗は成功のもと。
ono
昨日は変な時間に寝たせいで、ずいぶんはやく目覚めてしまったので、ついでに朝早いうちに会社に行ってみることにした。
朝6時台の通勤路を歩くのは初めてだった。
いつも日に照らされている道は、早朝の太陽の位置のせいか、ほぼ日陰になっていていた。
朝のひんやりした空気もあいまって、とても歩きやすくなっていることに気づいた。
今までもっぱら夜型の人間として生きてきたけど、今年の夏だけでも、朝型になってみようと思う。
「朝型」という言葉になんだか妙な憧れがある。なんでだろう。
意識高くて健康そうだからとか、尊敬している先輩が朝型だからかもしれないとか、自分には到底継続できなそうだからとか。
いろいろひねり出してみたけど、いつか当たり前にできるようになったら、どれも忘れそうなぐらい大したことのない理由だなと思った。
憧れに近づくことは、ひとつひとつは大したことのないことの積み重ねで、意外とできちゃうのかもしれない。
とか言って、スケールの大きいことを、小さなことから書いてみたりしている。
moeka
「朝型」への憧れは、とてもよく分かる。
そんな僕は、1日の終わりにキンキンに冷えたハイボールをつくるのが日課だ。
なぜかワイングラスで飲むのにハマっている。
すでに時刻は24:00。
今日も「朝型」への道のりは遠い。
今日は、いつもつけている照明を1つ切ってみると影ができた。
影を感じながら飲むハイボールはいつもより少しおいしい。
よく思い出してみるとBARも、間接照明で薄暗く、影ができていることが多いのかもしれない。
味とは、口だけで味わっているわけではないのだと思った。
部屋の温度、季節、香り、グラス、今日の出来事、何気なく入ってくる音、一緒にいる人、影…。
残ったハイボールを乾いた喉にグッと流し込んだ。
ono
今日は、今年入社した新卒研修の最終日だった。
研修の打ち上げとして、今年のデザイナーの新卒5人と、そのメンター、研修の講師をした先輩たちや、チームのマネージャーなどなど20人ぐらいで飲み会に行った。
去年は歓迎される側だったのに、いつの間にかもう歓迎する側になっていて、時の流れの早さを感じる。
2次会で、普段はあまり話す機会のないチームのマネージャーの人と近くの席になった。
1年あっという間だったと話すと、「これから先は、もっとあっという間だよ」と笑われた。
最近、これからどう生きるのがいいのだろうとよく考える。
私は同世代と比べると、わりと早くから作ることに関わる仕事に就きたいという目標があって、高校時代ぐらいにはもう「そこそこ大きい企業のデザイナーとして就職したい」という明確なゴールを設定していた。
そしてそれは運のいいことに叶ってしまって、結構現状には満足している。
だからこそ、その先の、どういうデザイナーとして生きていたいか、をあまり考えていなかった。
とにかく色々やってみようと思って、コンペ出したり、講座受けてみたりしてるけど、これで自分のなりたい像に近づけているのかは、正直わからないなと思う。
「どれだけ上に行ったって、また新しい壁が出てくるだけなんだよ」
マネージャーは続けてそう言った。
そうか、そう思うと途方もなくてなんだか挫けそうになるけど、
先の見えない道をずっと進むより、ときどき壁がある方が、道標になるから良さそうだな。
自分で自分に壁を作る作業を、今はしているのかも、と思うことにしよう。
moeka
時刻は4:48。
襲いかかる睡魔に諭されるように布団に入る。
目を少し閉じて『眠れないなぁ。』なんて思いながら、もう一度目を開くと、カーテンの隙間から光が差し込んだ。
目を閉じたほんの数分の間に、あっという間に朝が来た。
いつもは夜だと思っていた時間が、今日は朝だった。
いや、本当にこれは朝なのだろうか。
誰かにとっては夜で、誰かにとっては朝なのだろうか。
少し寝ぼけながら、よく分からない問いについてぐるぐると考え、目を閉じた。
そういえば、前回の「アートとコピー」の講義で、「窓は、人と外の世界をつなぐもの。」というボディコピーを書いた人たちがいた。
とてもとても好きだった。
もしかしたら「壁」も、立ちはだかるだけではなくて、何かと何かをつないでくれているのかもしれない。
夏は暑くて好きにはなれないが、1日の陽の長さを感じて少しだけ好きになった。
ono
ここ1週間ぐらいで急に忙しくなってしまって、
日々を過ごすだけで結構いっぱいいっぱいになっていた。
朝早く起きて会社に行って、夜にへとへとになって帰ってきた家は、ごはんを食べて寝るだけの場所と化していた。
日記を書くようになってから、書けそうな発見や出来事を日々の中から探そうとしているけど、
忙殺される時間の中でだんだん余裕がなくなって、最近なんの「気づき」も見つけられていない、とはっとした。
ならば自分で、日記にかけそうな出来事を作るしかない。
そう思い立って、その日はスーパーで鮭の切り身を買って帰った。
「ちゃんとした朝ごはん」を食べてみようと思ったのだ。
次の日の朝にご飯が炊けるよう、炊飯予約をセットして寝る。
朝5時に、炊飯完了のお知らせメロディが鳴り、目が覚めた。
買ってきた鮭の切り身はクッキングシートに包んでから電子レンジに放り込んで、1分30秒加熱する。
その間にお湯を沸かして、インスタントの味噌汁を作る。
お茶碗にご飯を盛ると、いつの間にか、「ちゃんとした朝ごはん」がその場に完成していた。
いつもはパン1枚とコーヒーで済ませてしまうから、自分にとっては異様な光景だった。
日々の気づきとか、ちょっとした楽しみは、ふと降ってくるものではなくて、自分から見つけ出したり、自分の工夫で作り出すものだとその時気づいた。
おのさんは仕事柄あまり外に出なくてと言っていたけれど、その中でも自分なりに楽しみを作ろうとしているんだろう、と日記を見てて思う。
忙しい時こそ、意識的に、いつもとちょっと違う部分を作る。
日々を、そして人生を、上手に乗りこなすためのヒントを、もらえた気がした。
moeka
東京には東京タワーが。
広島には原爆ドームが。
その街には、その街の、シンボルがある。
僕が生まれた時にはそこにあって、今もそこにある。
誰かが名前をつけて、そこにある。
誰かが一生懸命つくったものがいろんな時代を越えて、そこにある。
東京タワーの前ではいくつもの夢への誓いや愛が生まれ、原爆ドームの前ではいくつもの平和への誓いや痛みが生まれているのだろう。
痛みや悲しみだけではなく、建築としての美しさにも心が動かされる。
シンボルとしての圧倒的な存在感。
誰かにとっては目的地で、誰かにとっては日常。
そこにあることが、物語をつくっていく。
いくつもの解釈が生まれ、意味になっていく。
人生とも似ている。
もっと外の世界に出かけよう。
散歩をしながらそんなことを思った。
ono
梅雨に入り、まだまだ雨かくもりの日が多いものの、家の中にいても暑いなと感じることが増えてきた。
いよいよと思って冷房を付け始めたけど、そしたらそれはそれで寒いから難しい。
ただ、このちょっと寒いぐらいの部屋で布団に潜ると、とても心地よいのだ。
布団に潜って、部屋の天井を見ながら考える。
夏に冷房の効いた部屋でキムチ鍋とか食べたいし、
冬はこたつ潜りながらアイスとか食べたいな。
ちょうどよい状態のものを最初から差し出されるのもいいけど、ちょっと“過ぎた”状態から、自分でチューニングする方が、案外楽しいのかもしれない。
とはいえどうチューニングするかって言って、布団か食べ物の例しか出せていないけれど。
例に出して書いたらすごくキムチが食べたくなってきたので、明日出社した時のランチは、会社近くの韓国料理屋さんに行くことにしよう。
と布団の中で決意した。
moeka
あとがき
何気なく左から右へと過ぎていく日常を、注意深く見つめてみると、いろいろな発見がある。
伊藤さんとの日々の気づきの交換。
はじめましてでいきなり交換日記をはじめたら、普通の自己紹介では知り得ないような一面を知ることができた。
暮らす街の雰囲気も土地の文化も違えど、そこに日常がある。
同じようでまったく違う、それぞれの1日がある。
この交換日記をはじめた途端に、今まで見えていなかったようなものが見えるようになった。
気づくようになったというのが正しいだろうか。
自分ではない誰かの日常から何かを考えるというのもとてもいい体験だった。
「日常にこそ、ヒントがある。」
この、とりとめのない日々の交換日記は、いつかの発明の種になるだろう。