ほんとうの優しさが発動されるとき。
今日は久しぶりに
殿方とお出掛け
そういえば
元相方さんとお別れしてから
旦那さん以外の殿方と
お出掛けすることは皆無だったから
かれこれ5か月振りか
待ち合わせ場所に着くと
わたしの分まで
飲み物を買ってくれていた
わたしの運転で
小岩井農場の桜並木へ
車を降りて
桜の下を並んで歩く
向かい側の土手の上に
ピンク色の桜が咲いていて
写真を撮りたくて土手に登った
戻ろうとしたら
思いのほかの勾配で
ちょっと躊躇していたら
先に降りていた彼が
どうぞ、って
右腕を差し出してくれたのだ
優しすぎか!
思い返してみれば
元相方さんという存在は
『気の利かない代表』
みたいな人だった
いや本人的にはきっと
ものすごく気を遣っていたのだろう
しかしながら
それがわたしにとって
快か不快かという目線で考えると
恐らく快ではなかったのだ
気が合う人、優しい人
って、きっと
こうしてもらえたら嬉しいな
ということを自然に
サラリとやってのける人
なんだと思う
意識して気遣うのではなく
自然体でやれてしまうことが
相手から求められていることと
マッチングするってことだ
意識してやっても疲れるし
それはただの自己犠牲だから
でもこれもまた
元相方さんがくれたギフトで
元相方さんが
気遣いという面において
気の合う相手だとしたならば
きっと今日
こんなに感動することもなかった
と思っているのだ
そしてわたし自身も
カッコつけることをやめて
なるべく自然体でいられるように
つとめていたのもある
だってどうせ
カッコつけても疲れるだけだし
めっきが剥がれるくらいなら
めっきなしでいいじゃんね
元相方さんの前で
カッコつけてた自分も
自覚あるんだよね
だからこそ
同じ轍は踏まない
誰の前でも
カッコつけないでいられる
そんな自分でありたいよ
また一緒に
遊びに行けたらいいな
そう思える人で
それだけでありがたいのだ