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わたしはわたしの中に『きえたい』さんという生き物を飼っている。

あっという間に
3月が終わりを迎え
目の前には4月が迫っている
もうすぐ春本番な盛岡

なんてことはさておき

先週末で翔太塾が終わり
ひと通りの学びは終えたものの
進むべき道はむしろこれからで

たくさんの
知識やマインドセット
道しるべは渡されたけど

肝心な自分自身は
めたんこに堕ちている
という状態

結局のところ
自分っていう土台が
そもそもぐちゃぐちゃだから
うまくいきやしないんだ

っていう絶望感に
うちひしがれながらも

それでもこれまで
生きて来れたわけだし
あしたも間違いなく生きたい

と未来に希望を持って
楽しんでる自分もいるわけで

なんでこんなにも
絶望を抱えながらも
笑って生きてるのかと
自分でも不思議で

そのことを考えるうちに
ある仮説が浮かんだのだ

わたしはわたしの中に
『きえたい』さんという
生き物を飼っている

きえたいさんは
猫のような生き物で
まぁよく寝ている

でも起きるとごはんをねだる
ごはんとは、絶望感だ

わたしが絶望感を味わうことで
きえたいさんは満腹になる
そしてまた寝る

仮に
絶望感を味わうことを避けると
きえたいさんは、暴れだして
わたしに噛みついてしまう

きえたいさんとは
上手に付き合いさえすれば
決して悪い関係性にはならない
むしろ、ぞんざいに扱うと
しっぺ返しがひどい気はする

それ以外にも
なまけたいさんとか
甘えたいさんとか
多頭飼いしているとは思う

きちんとしたい、みたいなのは
またちょっと違う生き物な気がする
検証が必要だな

話は変わって

これまでの人生を
『すべて間違いだった』
で片付けたくないと思っている

だってさ
自分の人生が
間違いかどうかなんて
最後の最後まで
誰にも分からないわけだから

仮に他の誰かから見て
間違ってると思われる
そんな道を選んだとしても
その間違った道を選ぶことが正解
ってことだって当然あるわけで

これまでの経験だって
たとえ間違ったことをしてたとしても
わたしにとってはそれを選んだことが
既に正解でしかないのであれば

世の中には
間違いなんてひとつもなくて
自分の選択はすべての場面において
ひとつ残らず正解でしかない

のではないかな、って思う

まーそんな感じで
きえたいさんを飼い慣らし
共存共栄していくことさえも

他の誰かから見れば間違いで
今のわたしから見れば正解なのよ

これまでの自分も
今の自分も
これからの自分も
ぜーんぶまるごと正解

その上で
今のわたしが
本気で望むことを
きちんと選んでいきたいね

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