面倒くさい
「生きる」=「面倒くさい」
恐らく、この世の中の真理であろう。
あの宮崎監督も、そういったことを言っているのだから。
そして、仏教にも、こういった考えがあるらしい。
どうやら、この世界は、本当に生きることが面倒臭く出来ているらしい。
だから、私も含めて、人々は「ないものねだり」をしがちなのだろう。
そんな煩悩を消すことが大事だと次のように言っている。
意外と、こういった煩悩を捨てるのも、また難しい話だ。
しかし、こういった事実や真理がある中で、自分は一体どう過ごしたら良いのか、整理していきたい。
決断
さて、こうも、色々なことに面倒くさくなってしまうと、何もかも投げ捨てたくなって、自分の中の希死念慮が湧いて出てきてしまいます。
こちら、以前に書いた記事ですが、最後に「生きるって、意外と大変」っていうことが書いてあります。
面倒くさいことだらけだから、生きるって本当に大変。
現在、完全にぶち当たっています笑
・自分には、消えたいという感情を持っている。
・生きることは面倒くさいこと
この2つの事実が前提の中で、どうしたら良いものか。
自分なりに考えてみました。
まず、面倒くさいことは、何かしらの意思決定に追随します。
例えば、服を洗おうってなったら、洗濯して、外に干して、畳んでしまう。
私の場合は、干すことや畳むことが非常に面倒くさく感じてしまうので、服は干しっぱなしのことが多いです…
(こんなこと面倒くさく感じちゃうの?と思う人がいるかもしれませんが、日常の小さなことを面倒と感じる人が一定数いるのが本当なのです…)
ちなみに、人は1日で3万5,000回も物事を決断しているとのこと。
なので、かのスティーブ・ジョブズ氏は、決断に使うエネルギーを無駄遣いしないよう、いつも同じ服を着ていたそうです。
つまり、面倒ごとを減らすには、意思決定(決める)する機会を減らすこと。その為に、やることを習慣化するといった対処法がありますが、一番は、意思決定の多い環境に身を置かないことなのかなぁと思います。
そう…今の自分の”自由”な状態を脱することなのです。
なお、自由な生き方をすればするほど、「責任」や「決断」が増えていきます。
それは、それで楽しいのかなと思いますが、何の社会経験や実力も無い自分がそれら背負い切れるのか…正直不安です。
前は、面白そうなことや自由を求めて、あえてふらふらな状態に身を置き、色々なことをやってみましたが、予定を詰め過ぎると、しんどくなってしまうということ、夢ややりたいことがそこまで持っていない、ということが分かってきた今、本当の自分に合っているライフスタイルに変えていくべきではないか、とも思うようになってきました。
なお、こちらの記事にも、似たようなことが。
こちらでは「やることを増やすのではなく、減らしてみると、めんどくさいと思うことが減った」と書いてあります。
更に、前に自分が書いた記事にも、最後の方に、「自分のキャパシティをしっかりと知って、絶対に無理をせず、苦手なことも極力減らした方がいいです。」と引用の方で書いてあり、苦手なことや面倒なことは減らしていけるように、ライフスタイルを築いていくことが大事なのだなと、思うようになりました。
ゆっくりと
先の方に、希死念慮の話を引っ張ってきましたが、よくよく考えたら人はいつか死ぬ生き物。
人生に優劣も無いんだから、色々悩んでしんどくなってしまうくらいなら、つまらなく感じることは多いかもしれないけど、安定したところに身を置いて、面倒くさいことが多い環境から脱した方が良いのでは無いかと思います。
どの道を選ぼうが、多分こうした方が良かったのでは無いかと思っちゃうだろうし。
ふらふらと自由にやっていきたい気持ちや、何となくこういうことがしたいというのもあるけど、焦って無理にやることも無いだろうし。
超面倒くさいことをしてまで、何か成功したいというマインドも特にあるわけでも無いので、しばらくゆっくり生きていこうかなと思います。
最後に、こんな面倒くさいことが多い世の中で、なんで自分が生きているのか、少々考えてみたのですが、それは恐らく「楽しいこともあるし、何となくだけどやってみたいこともある」から生きているのだろうな思います。
ということで、死にたい気持ちはどこかにあるけど、まだ死ぬ気は無いので、もう少し「面倒な」ことに向き合っていきたいと思います。
それでは。