ゆるふわ
こんばんは、ちっぴーです。
今日は、ちょっと思うところがあったので、それを書いてみます。
その前に、これを読んでみると、良いかもしれない。
大切にしているモノ
本題に入る前に、このお話を。
最近、ある知り合いの方が、やりたいことが分からなくなってきており、モヤモヤしていると。
そこで、みんなでやりたいことが見つかるようなワークショップがしたいと。
てなわけで、
しました。
その結果、みなさん、それぞれの方向性が見えたようです。
良かったですね。
ちなみに、自分の結果をここで共有すると…
価値観
→ゆるさ、居場所、つながりを重視している
才能
→優しくすること、ゆとりを持つこと、発信
どうやら、自分はこういったのを、大事にしているようです。
なんだか、本当に銀さんみたい笑
なお、このワークショップのおかげで、自分はuniqueや広報職が合っているんだなと、より強く感じました。
#これは京都に行くしかない
↑決意表明の記事です。まだの方は是非読んで下さい!
さて。
これを踏まえて、本題の方へ入らせていただきます。
ゆとり
先程の私の価値観や才能を見れば、お分かりのように、「ゆとり」というものを、とても大事にしているようです。
事実、自分を追い詰めるほど働いたり、活動したりするくらいなら、収入がそこまで無くても良いから、自分が楽しいと思うことをやったり、好きな時に休んだりした方が、自分にとって、幸せだと思っています。
なお、先述したワークショップにおいても、社会には“寛容”が足りないよねという話も出てきました。
私も同意見です。どうも社会には、そういう“ゆとり”が足りないなと、感じます。
改善。成長。
この具合も、人によって異なりますが、個人的には敏感にさせる言葉だなぁと思います。
冒頭に貼った記事で、こういうことを書いていたのは、私が“ゆとり”を大切にしているからです。
これらは、私の友達が書いた記事。
前者は、ショートショートの内容ですが、この2つに書いてあることは、分かりみでしかないです。
#個人の意見です
豊かさかを盲目にしてしまう要因として、原始的な豊かさを超える刺激的なものが溢れすぎた結果、求める基準値が高まり、目の前の豊かさを実感できず苦しんだり、誰かと比較して心が病んでしまったりするということが考えられます。
人間の本能的には誰かにマウントを取ることを必要としているのかもしれません。「誰かに勝ちたい」という思いが生まれることはあります。成長したいなという喜びもあります。
一方で、頑張りたいけど頑張れないこともあります。成長したいけど心から目指せない自分もいます。
僕のこの違和感を、この葛藤を受け止める器でありたいなと思います。そして、推進力にも、受容体にもなりうる存在でありたいなと思います。
僕が「頑張れ」とか「期待している」という言葉に違和感を覚えたのは、それが強いられていると感じてしまうからだと気づきました。そうではないとしても、そういう圧力を秘めている可能性があります。
それは純粋な期待が時には残酷であるということを示しています。
特に引用した部分。
「頑張れ」「期待している」これらの言葉は、特に毒にもなります。
#言葉はみんなそうなんだろうけど
だからこそ、私も、その違和感・葛藤を受け止める器、時には、推進力や、受容体なりうる存在でありたいなと思います。
ゆるふわでよいじゃない
ここまで長々となりましたが、まとめて言うと、
「もっとゆるく生きて良いんだよ」
「何も出来なくても、何もしなくても、存在するだけで尊い」
ということです。
あなたが存在するから、私も存在する。
その考えがあるから、こんな考えもある。
人それぞれであって良い。uniqueで良い。
…と日々思っているのが、私です。
はい。
今回も長くなりましたが、
最後はこの一言で、終わりにしますね。
では!
ー“ゆるふわ“にやっていこう。今日も明日もー