颯爽と生きる
ワタシは「勇気をもらう」とか「元気をいただいた」とかいう言い回しが大嫌いだ。
薄っぺらな感動ごっこは、まっぴらごめん。
そんなワタシだけれど、わが友人たちの勇気には心底驚いていて、ぐずぐず燻っている場合ではないなと感じるきょうこの頃だ。
これでは何のことか?わからないね。大切なふたりの友人の話をしようと思う。
若い友人は4月の末に急な発症で、身体の自由が利かなくなってしまった。
発症後数日で届いたメール文を見て、言葉を失った。そのメール文は、おそらく自由の利くほうの手だけで打ったのだろうけれど、キーがしっかりと打てなくて不思議な文章になっていた。
あの才気煥発な人がこんな文章…何てこと!
数日して、少しマシ(ごめんね)なメールが送られてくるようになり、リハビリも開始したとか。
ワタシは親族のリハビリにつきあったこともあるし、学生支援で少しだけリハビリについての知識を持ち合わせている。リハビリがとても辛くて時間がかかることは知っている。
これは長期戦になるな~と思っていたら、彼女はどんどんリハビリのメニューをこなしてゆくのだ。しかも「自分で動くためには体幹を鍛えなきゃならないと思う」とも言っていて、おそらく秘密のトレーニングも沢山積んできたのだろう。
そして発症後3か月でなんと一人で歩くまでになってきたのだ。
簡単に3か月で歩行が可能にと書いているけれど、これまでにどれほどの努力をしたことだろうか。先の見えない不安に押しつぶされそうになったことも幾度となくあったことだと思う。
けれどもやると決めたらやる、その気持ちのほうが勝ったのだと勝手に想像している。そういう強い気持ちというか気概を持てるということは凄いものがあると思う。
また、「入院暮らし」を活用して、たくさん本を読み、秋以降の仕事についても研究しているというから、驚いてしまう。
もう一人はワタシと同い年の友人。
昨年の終わりころから調子が悪く、病院ほか色々なところを廻っていた。やっと病名が判明したのが2月だっただろうか。進行度はかなり深刻なものだった。
外科的な処置は行なわず、投薬のみの治療となった。
その頃のことを彼女はnoteに記している
「いつ死んでも後悔しないように」と思って生きてきた。
仕事も未練がないくらいは頑張った。
この先20年30年と生きたとしても、今と同じように、美味しいものを食べて
会いたい人に会って、行きたいところに行くという日々が続くだけだ。
(中略)
そして、診断が「ほんとう」だったとしたら
(これからは)今まで私が体験したことのないことだ。
何が起こるのだろう。
どんな気持ちになるのだろう。
そんなことを考えていたらワクワクしてきた。 (彼女のnoteより抜粋)
なんという清々しさ、なんという勇気だろうか!
そして病名が付く前から計画していた、ワタシにはどこにあるのか?も判らない国へ単身行って無事に戻ってきてしまうのだ。
旅に出る前に会った時「(その国に赴任している)友人がいるうちに行きたいのよ。もう航空チケットも取っちゃったしね。どうやら道もガタガタらしいから身体に響くけど、何とかなるわ。」と言っていて
脚の具合が悪いから車いすと杖なのに、一人で出かけてしまったのだ。(乗り継ぎの空港で、車椅子を押す職員がグダグダで、目指すラウンジへちっとも行けなかった時の一喝には笑ってしまった。これもnoteより)
※彼女のnoteのURLが知りたい方は、ワタシに連絡してね。
さて、私が二人の罹った病気になったらどうするだろうか?
あわてふためき、絶望し、前向きな気持ちなどほど遠く、少し落ち着いたとしても、前向きな行動は遺言書の作成くらいしか出来ないんじゃないかと思う。
到底彼女たちのような行動は出来ない。
私は不熱心な浄土真宗門徒なので(代々家の宗教と言うだけね)法事のたびにお寺さんがおっしゃる「いただいた命を大切に生きる(時には生ききるともおっしゃる)」「身に起きることは何事もご縁である。感謝するように」などなどを睡魔と足の痺れと共に聞いているわけだけれど、実践しているかと言えば怪しいものだ。
彼女たちのことを宗教に結びつける気持ちはさらさら無いけれど、病気と対決するわけではなく、「じゃあどうする?」と自分の考えで颯爽と自分の命を生きていく姿は美しく心から尊敬の気持ちが湧いてくる。
若い友人の退院日が決まった。そして、彼女の快気祝いをすることになっている。
その快気祝いの発起人は、なんと同い年の友人。
もぅ~あなたたち、どこまでかっこいいの?!
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