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阪神淡路大震災・私の記録(5)水道復旧、瓦礫の中を歩く

水道復旧

2月上旬に水道が復旧した。
栓をひねれば水が出る、蛇口から水が出る。
一か月前には当たり前のことだったが、給水車に並んでお水をもらう今、
命の水を実感した今、嬉しくて涙が出た。
「お水 並ぶの ええの?」と下の子が聞いてくる。
「うん、もう並ばんでええよ」「やったー」
その時々の道路事情などで決まった時間に来ることが難しい給水車を、寒風にさらされながら待たなくていい。もうお皿にラップしなくていい、洗濯が出来る、洗顔や手を洗うのに気兼ねなくお水を使える、他にもいろいろ…思わず笑顔になる。

友人が洗濯しにおいでと声をかけてくれたように、私も誰かに声をかけよう。店の方は電気も水道もまだきていない。住まいが分かるお客さんを訪ねよう。


瓦礫の中を歩く

JRの駅が落ちているのもあって、南側へは行ってなかった。落ちた駅を迂回して行くが、ガードをくぐって程なく車は進めなくなった。道の両側から全壊半壊の家屋が倒れたり、畳や家財道具で溢れていた。
今は路上で雨風にさらされているけれど、誰かが大事にしていたもの達だと思うと切なくなった。けれど、その上を歩かなければ先へ進めない。
心の中で「ごめんなさい、通らせてもらいます。」と謝り「下に誰も埋まってないように」と念じ、畳の上や生活感の残る空間を、屋根の上を歩いた。箪笥を乗り越えて歩いた。
行きたかったマンションまでが長く長く感じた。家屋の多くが壊れている中でマンションは残っていた。その人の住む高層階まで階段で上がり、部屋をノックしたが返答がない、しばらく待ってみたが部屋から物音が聞こえることはなかった。
ふと外に目をやると街を俯瞰できた、道も埋まってしまい初めて見る場所に思えた。たとえは良くないが空襲を受けた後のようだった。
その人はどこかに避難したのだろうと思い、メモをドアに挟んで帰った。

誰か見知った人がいないかと辺りを見ながら、屋根の上や畳の上を歩いていた。呼ばれた気がして声のする方を見ると店のお客さんがいた。
知った人に会えれば…と、彼も思っていたそうだ。お互い同じことを考えながら、あまりの惨状に“まさか”という思いが強かったのだ。無事を喜んだ。
お客さんは男性で、ワンルームマンションに住んでいると聞いていた。
17日の揺れが収まった後、彼を含めてワンルームマンションの住人達が建物前に集まったそうだ。それまではどんな人が住んでいるか、互いに全然知らなかったらしい。一瞬、妙な空気が流れたが年が近い人ばかりですぐに打ち解け、買置きしている食品は?となったが「あるのんポテチばっかりやった。」と。
じゃ、飲み物は?となったが誰も持ってなかった。「水がなかったら…」と泣く子もいて、どうやって水を手に入れるかを皆で考えたらしい。
バケツはないがクーラーボックスがあるから川へ汲みに行く、神社の手水舎の水の方がいいんでは?井戸のあるところを探す、マンション上の貯水槽を見に行く、トイレのタンクの水は?となった。上水やから飲める、そうだトイレタンクだ、と。けど、殆ど残ってないか、ブルーレットが入ってて飲料用には出来なかった。と話してくれた。
「今は避難所におるねん、仕事場の仲間もおるし、頑張るわ、大丈夫や。」とも。
「じゃ、また…」と再会を期して別れた。

店まで戻ると、隣の店の大将が「ここもな明日、電気くるらしいで。」と、教えてくれた。嬉しい知らせだった。


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