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誰かの為のポーチ
それいいね、と言ってくれたと聞いた。
母の為に作ったポーチを見た叔母が、そうとは知らずに。
知らない所で褒めてもらえるのは、本音を聞けるようで、直接言われるよりも嬉しいかもしれない。捻くれすぎ。
それならと、叔母にも作ろうと思い、デザインを叔母仕様に考える事にした。
母が赤系ピンクなら叔母は青系ネイビーだ。
具体的に誰かを想って作る事は、そういう相手がいるという事で、本来、とても尊いことなんだよな。忘れたくない感情。
何にでも当てはまる事だけれど、それが日々の料理となると、義務に変わってしまうのはなぜ。忙しないと、その感情は簡単に薄まる。
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裏地は友人が好きな赤のチェック。
母が今の私の年齢位(?)の時に作ってくれたポーチは今も大切にしている。
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母は子供を育てながら仕事をして家事をして、その合間にパッチワークとか編み物とかをしている時、何を思っていたのだろう。
そして今、自分が母と同じような事をしている。子は手芸よりもギターに夢中だけど。
時間の流れを不思議に思う。
いつか子が小学校時代を振り返った時、私の事をどういう風に思い出すのだろうか。