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「遠くて近かった」選手とファン:日本未公開野球映画を観る(52)

Safe at Home!(1962)

※「日本未公開野球映画を観る」カテゴリーの作品については、基本的に結末まで紹介しています。ご了解のうえお読み下さい。

キャンプ地に忍び込んだ少年

 ミッキー・マントルとロジャー・マリスという1960年代ヤンキースの2大スターが本人役で出演したファミリー向け映画(モノクロ)。
 フロリダのウェストパームビーチで父と二人でボートハウスに住む小学生のハッチは、少年野球のチームメイトに父親が試合を観に来ないのは野球を知らないからだと馬鹿にされ、父はマントルとマリスと親しい仲だと嘘をついてしまう。それを聞いたチームのコーチから2人をリーグのパーティーに呼んでほしいと言われたハッチは、父が仕事で留守の数日間にトラックの荷台に隠れてヤンキースのキャンプ地フォートローダーデールに向かう。
 ホテルのマントルの部屋に忍び込むことに成功したハッチは、翌日球場で2人に事情を話し、来てくれるよう頼むが、嘘に協力はできないと断られ、チームメイトに謝るよう諭される。迎えに来た父と帰ったハッチは、言われた通り真相を話して謝ると、チームが翌週ヤンキースに招待されたことを聞く。キャンプ地を訪れた子どもたちがヤンキースと一緒に練習するのがラスト。

選手とファンの距離感

 他愛ないストーリーだが、この時代のメジャーリーグのある面についての「歴史史料」として興味深く観ることができた。
 それは選手とファンの距離感についてである。この時代、選手とファンの距離が近かったとは一概に言えない。本作には球場の内外でファンにサインをするシーンは出てくるものの、フェンスや警備員に阻まれており、さほど丁寧でも、群がる子ども全員にサインしているわけでもない。
 その一方、ハッチは球場のロッカールームや選手が滞在するホテルに入り込み、こっそりユニフォームを着てみたり、私物を触ったりしている。もちろんフィクションだが、こうしたことは現在なら全くあり得ないことが明らかなのに対して、当時なら「もしかするとあるかも」と思える程度には現実味があったのだと思う。マントルらはこうやって侵入してきた子どもに対して厳しい態度は取らず、むしろ面白がって相手をしており、プロモーション的な演出とはいえ、あながち現実離れでもないように思うのだ。
 2人の演技は、華のあるスターだったマントルはやはり人懐こさを感じさせるのに対して、地方出身でカンザスシティから移籍後間もない朴訥としたマリスはいかにも硬いのが対照的である。

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「普通の人」としてのメジャーリーガー

 スター選手と子どもの荒唐無稽な出会いのストーリーが「もしかするとあるかも」と思えるのは、当時メジャーリーガーが得ていた報酬が今よりずっと少なく、彼らの生活がさほど豪勢ではなかったことが前提にあるからだ。もちろんスター選手ならそれなりに豊かではあったものの、一般庶民からかけ離れた生活をしていたわけではなく、シーズンオフに生活のために別の仕事をするメジャーリーガーもいた。彼らの住居やホテルのセキュリティも今に比べればさして厳重ではなく、もしかすると忍び込んだりできたかもしれないと思えるのだ。
 こうした彼らの「普通さ」は、マントルとマリスが主人公の『61*』(2001)でより直接的に感じることができる。これは本作が製作された1962年の前年、2人がベーブ・ルースのシーズン本塁打記録60本に挑んだシーズンを描いたテレビ映画(HBO)の佳作だが、マリスの移籍後すぐ親しくなった2人と、控えの外野手ボブ・サーブを加えた3人がニューヨーク市内クイーンズのごく普通のアパートをルームシェアしていたことが描かれている。また、少し前だがブルックリン時代のドジャース(1957年まで)では選手の多くがブルックリンに住んでおり、町中でファンと選手が出会って普通に挨拶をかわすようなことが多かったともいう。
 このように、物理的に近くにいれば今よりもずっと距離が近かった一方、そうでなければ選手ははるかに遠い存在だった。選手が自ら発信するSNSなどなく、マスメディアも選手の「生の声」を伝えることにそれほど熱心でなかった当時、選手の人となりを知る機会は、それを間接的に伝える新聞記事ぐらいで、距離感は大きかったはずである。
 そんな時代に、たとえ作られたストーリーであっても、スター選手本人が出演して人柄を感じさせる本作のような映画は大きな意味を持ち、だからこそ球団も協力して製作されたのだろう。日本でも『ミスター・ジャイアンツ−勝利の旗』(1964)が同じ時代に同じような作品として、長嶋茂雄はじめジャイアンツの選手「総出演」で製作されている。
 また、本作の舞台となる春季キャンプ地のフォートローダーデール・スタジアムは、この年に完成したヤンキースの新キャンプ地で、モダンな外観も出てくる。この広報も本作は兼ねていたと思われ、つまり、球団のPRの役割を野球映画が担うということが、当時はさほど珍しくなく行われていた。
 とはいえ、選手に演技をつけて役を演じさせるのは(たとえ本人役でも)容易なことではない。予算や撮影場所、期間の制約も大きく、選手が出演するPR目的も兼ねた劇映画がひとつのジャンルを成すほど一般化することはなかった。

 ヤンキースはこの後1995年までフォートローダーデールをキャンプ地とした後、タンパのレジェンズ・フィールド(後にジョージ・M・スタインブレナー・フィールドに改称)に移転。フォートローダーデールには96年にオリオールズが移転してきて2009年まで使用したが、2019年に取り壊された。下は2004年の春季キャンプに訪れたときの写真だが、キャンプ用の大規模なコンプレックスがフロリダとアリゾナの各地に相次いで建設される時代の前の「古き良きキャンプ地」の雰囲気が濃厚で、この日は日曜のレッドソックス戦とあって満員だった。

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