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「その後のブラックソックス」を描く草創期のテレビドラマ:「忘れられた」野球映画を観る(3)

 テレビの草創期に製作されたドラマで「姉妹作」と言ってもよいような2作品があるのでまとめて紹介する。巨匠ジョン・フォードが監督し、ブラックソックス・スキャンダルを背景にしているが、いずれも日本のテレビでも放送されたので、「日本未公開」ではなく「忘れられた」野球映画のカテゴリーに入れておく。
※結末まで紹介していますので、ご了解のうえお読み下さい。

①栄光のファースト・ベース
Flashing Spikes(1962)

「八百長」疑惑の真相

 55分のドラマは「八百長」疑惑に関するコミッショナーによる審問の場面から始まる。ビル・ライリーという若い1塁手がわざとエラーして試合に負けたという報道が出たためで、報じた記者は、ライリーがかつて八百長に加担して球界を追われたスリム・コンウェイと試合後に会って金を受け取る場面の写真を撮っていた。コンウェイとの関係について聞かれたライリーが語る回想シーンが本作の大部分を占める。
 二人が知り合ったのはライリーが高校生のときだった。町にセミプロのチームが来てライリーらのチームと対戦し、セミプロが圧倒するが、その1塁手がコンウェイであることに観客が気づいて物を投げたり罵声を浴びせた。ライリーも打者走者としてスパイクを向けてスライディングしてコンウェイに怪我をさせるが、試合後にこれを詫び、同じ1塁手としてアドバイスを求めた。
 こうして親しくなった二人は、コンウェイが旧知の監督にライリーのメジャー昇格を薦めたり、その後徴兵されて赴いた朝鮮で偶然再会したりと関係が続く。戦地から帰ってメジャー・デビューしたライリーはめざましい活躍を見せ、リーグ優勝を決めるサヨナラ本塁打を打ってヤンキースとのワールド・シリーズに進出(ライリーのチームは「ホークス」とされている)。その第1戦の9回裏にファーストへの強いゴロを処理できずサヨナラ負けを喫したのが八百長と報じられたのだ。
 審問での二人の説明はこうだ。ライリーの晴れ舞台のためにフロリダからNYに来たコンウェイは、永久追放中であるため球場に入れず、外に駐めた車の中で試合のラジオを聴いていた。試合後に激励するため駐車場で会い、コンウェイがやっているフロリダの釣船屋のパンフレットを渡したというのが真相。彼が昔やったとされる八百長も、金など受け取っていなかったが聞き入れられなかったと訴える。ラストは、名誉回復を果たして第7戦のダグアウトに招かれるコンウェイ。

なぜ「ファースト・ベース」?

 本作はフランク・オルークの短編小説を原作とする(「閃くスパイク」として文春文庫の野球小説アンソロジー『12人の指名打者』に所収)。アメリカ野球の「精神史」において重要な位置を占めるブラックソックス・スキャンダルはいろいろな形で作品化されてきたが、その中では比較的早い時期のものである。
 小説はセミプロとライリーのチームが試合をした日だけの話で、本作はそれを土台にした後日譚を中心に構成しているわけだが、小説では二人のポジションはショートで、これをファーストに変えた意図はよくわからない。攻守交代のときに二人がプレーをめぐって短い言葉のやり取りを重ねるのだが、ショートの方が位置的に攻守交代時に近づきやすいし、走者が野手にスパイクを向けるのも1塁より2塁の方がまだ自然だと思うのだが。
 実際の「ブラックソックス」の1塁手は八百長の首謀者だったチック・ギャンディルで、ドラマのコンウェイの「金など受け取っていなかった」という主張とは相容れない。ショートのチャールズ・リズバーグも中心人物の一人で、小説ではデーン・ビョルランドという名前が与えられているが、彼は永久追放後にライリーを含め多くの選手にスパイクされたことを「当然の報い」と受け入れている描写があり、これもコンウェイとは人物像がやや異なる。
 追放はされたが無実に近い選手といえばやはりシューレス・ジョー・ジャクソンで、ドラマのモデルは彼と見るのが自然だろう。しかしジャクソンは外野手で、走者にスパイクされたり攻守交代時に会話するといった設定がしにくいため、実際の1塁手の人物像とは無関係にポジションを変えたのかもしれない。あるいは、歳をとって外野がきつくなって1塁に回ったとすれば話はもっと簡単だ。まあフィクションで名前も違うのでこんなことを詮索しても仕方ないが。
 他に、巡業のセミプロチームはまた呼んでもらうために大勝はせず、接戦の末に勝つよううまく手加減をするといった描写もドラマでは省かれている。

豪華なキャスティング

 いずれにせよ本作は、汚名と傷を負った中年男が若者との出会いによって再生するストーリーを55分にうまくまとめており、華やかなスターがそれを演じることで楽しさを増している。
 主人公コンウェイを演じるのはジェームズ・ステュアートで、野球選手役の『甦る熱球』(1949)、音楽家役の『グレン・ミラー物語』(1953)、さらに『裏窓』(1954)など一連のヒッチコック作品での典型的な二枚目とはやや違った、陰影のある役を好演している。ライリー役はジョン・ウェインの息子で当時22歳のパトリック・ウェイン、そして父ジョンも朝鮮戦争の軍人役でカメオ出演しているほか、この年サイ・ヤング賞を獲ったドジャースの名投手ドン・ドライスデールが選手役、同じくドジャースの伝説的アナウンサーのビン・スカリーがアナウンサー役で出ており(若い)、豪華なキャスティングだ。ドジャースが舞台ではないのにドジャース関係者が2人出ているのは、ハリウッドで製作されたからだろう。
 本作が放送されたABC系の『アルコア・プレミア』というシリーズは、木曜午後10時の枠で1961年から2シーズンに渡り様々なジャンルのドラマ計57作がすべて一話完結で放送され、ホスト役としてフレッド・アステアが最初と最後に登場していた。アルコアとはスポンサーのアルミニウムメーカーで、『東芝日曜劇場』のようなものである。豪華なキャストや監督で毎週一話完結のドラマとは、今では考えられない贅沢な番組だったと言えるだろう。日本では66年からTBS系で『スター名作劇場』として放送された。

②スキャンダル
Rookie of the Year(1955)

スクープのゆくえ

 時代は前後するが1955年にやはりジョン・フォードが監督したのがRookie of the Year。25分とさらに短いが、うまくまとまっていて楽しめる小品だ。こちらは主演がジョン・ウェインで、息子パトリックはFlashing Spikesと似たような役を演じている。父ジョンがテレビドラマに出演したのはこれが最初で、Flashing Spikesと合わせて生涯に2作のみだった。
 そのジョン・ウェイン演じるマイク・クローニンはペンシルベニア州の小さな町の新聞のスポーツ記者。ヤンキー・スタジアムで見た期待のルーキー、リン・グッドヒュー(パトリック・ウェイン)のフォームや仕草が、ブラックソックス事件で永久追放されたバック・ギャリソンにそっくりであることに気づく。試合後ロッカールームを訪ねたマイクに対してリンは、野球は父に教わったのではなく、ギャリソンについては本で読んだだけだと言う。
 それでもマイクはこの二人が親子だと確信してスクープ記事を書こうとすると、若い女性が訪ねてきて銃を突きつけ、記事は出すなと脅す。彼女はリンの恋人ルースで、ウェストバージニアにある実家の隣人でもあり、町に取材に来たマイクに会っていた。そのときマイクは町の子どもたちに野球を教えるリンの父(ラリー・グッドヒューと名乗っている)にも会い、往年と同じ仕草を見て彼がギャリソンであることを確かめていたのだ。
 リンの父がかつて野球を貶めたことを理由に記事を書こうとするマイクに対してルースは、リンは誰も傷つけていないと反論する。そのとき、記事の売り込み先のニューヨークの新聞社から電話が入るが、マイクは記事は書かないと答え、原稿を燃やす。そして、リンがギャリソンの息子であることを記者たちは皆知っていたことを知る。

最後は日米野球

 リンとギャリソンが親子であることを記者たちは知りながら誰も書かなかったというのは、世の中がシンプルだった時代の温かさを感じさせるオチだ。こうしてスクープをものにできなかったマイクだが、オールスター・チームの日本遠征に同行しないかと誘われ、待遇の悪い田舎の新聞社を辞めるのがラスト。
 この時代は2006年まで続いた秋の「日米野球」のフォーマットが確立されつつあり、1953年には同時期にMLB選抜とニューヨーク・ジャイアンツがそれぞれ来日、55年にはヤンキースが来日している。
 本作は1955〜56年にNBC系で放送された『スクリーン・ディレクターズ・プレイハウス』というシリーズの一作。タイトル通り映画監督が一話完結のドラマを演出しハリウッドの人気俳優が出演するシリーズで、1949年からラジオドラマとして放送されたが、後にテレビに「移った」ものだ。
 日本では1960年からNET(現テレビ朝日)で『これがドラマだ』というシリーズタイトルで放送され、本作の邦題は『スキャンダル』となっている。当時の日本ではブラックソックス事件などほとんど知られていなかっただろうから仕方ないが、ストーリーにはあまりそぐわない気がする。

ブラックソックスへのシンパシー

 ところで両作とも、ブラックソックスの選手が追放されながらも野球を捨てられずセミプロでプレーしたり、息子や若者に野球への思いを託そうとする姿を描き、同情的なトーンが感じられる。これは後にW.P.キンセラの小説『シューレス・ジョー』(1982)とその映画化である『フィールド・オブ・ドリームス』(1989)を通じて馴染みになった見方だが、それはいつ頃から、どのように定着していったのか。
 オルークの小説『閃くスパイク』は1948年の作品で、1919年のブラックソックス事件に題材をとったフィクションとしては比較的初期のものである。しかしここでは、上述のようにジョー・ジャクソンがモデルとして明示されてはいないし、追放後に度々スパイクされてきたことや、それを報いとして受け入れているという描写にあるように、八百長の「罪」は前提とされている。
 それに対して『シューレス・ジョー』『フィールド・オブ・ドリームス』ではジャクソンが実質的に「無実」であったことを前提に、「罪」はより希薄化されて描かれている(1988年の映画『エイトメン・アウト』もこの系譜に分類できるだろう)。だとすれば、1948年の小説Flashing Spikes、55年のテレビドラマRookie of the Year、62年のテレビドラマFlashing Spikesを通じて次第にブラックソックスへのシンパシーが醸成されるとともに、ジャクソンがブラックソックスの「イノセンス」をいわば代表する者として位置づけられていった、という仮説はどうだろうか。
 それはともかく、両作ともジョン・フォードが監督しジョン・ウェインが出ているにもかかわらずソフト化もされていないようで、アメリカでもほとんど「忘れられた」作品らしい。しかし今見ても楽しめる、非常に「お得感」のある小品で、こんな映像作品がまだまだ埋もれているのかもしれないという期待を抱かせてくれる。

1960年6月27日(月)の朝刊ラテ欄より。本作は人気番組『番頭はんと丁稚どん』の後の午後8時から放送されている。テレビ朝日はかつてNET=「日本教育テレビ」だったどころか、10chだったことすら知らない世代が増えていると思うが、NETは教育局として免許を受けていたので午前中は学校放送をやっている。午後1時35分からの「働く子供と夜間中学」は激しく見てみたい。この後夕方までは放送休止だったようだ。


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