カナダの野球ドラマ:日本未公開野球映画を観る(5)
Workin' for Peanuts(1985)
トロントの初代球場
1985年に有料チャンネルHBOで放送された46分のドラマだが、カナダ(英語圏)で製作されている。野球場を舞台にしているだけとも言えるが、「野球映画」「野球ドラマ」の範囲を狭く限定する必要もないだろう。
出てくる球場は、トロント・ブルージェイズが1977年の球団拡張でカナダ2番目のメジャー球団として誕生してから89年まで本拠地としたエキシビション・スタジアム。ブルージェイズの球場はその次のスカイドーム(現ロジャース・センター)が世界初の開閉式ドーム球場として鳴り物入りで開場したため、初代本拠地の印象は薄かったが、作品の序盤に少しだけ映る。貴重な映像と言っていいだろう。もともとフットボールの競技場だったのを野球用に改装したため、楕円形のフィールドの一部はフェンスで区切られて「何でもないスペース」になっているのが見える。また当時としては珍しくない人工芝である。
劇中にはチーム名も町の名前も出てこず、カナダであることも示されていないので、「あるメジャー球団の球場」という位置づけ。会話の中でホームチームが「美しき敗者」と言われる場面があるが、85年のブルージェイズは初の地区優勝を遂げたばかりか前々年から勝ち越しが続いていたので(これは92、93年のワールド・シリーズ連覇まで続く)、完全に架空の球団である。会話には「ホセ・コルデロ」という選手も出てくるが、これも全く該当者がいない。
売り子と社長令嬢の恋
ストーリーは、この球場で働くビールの売り子ジェフが観客の少女メリッサと恋に落ちるが、彼女は球場の社長の娘であることがわかる。売り子の雇い主である社長は従業員に冷たい。ジェフの友達でちょっとした事件に関与して解雇された売り子が社長と娘の住む豪邸を襲うに至り、2人は別の世界に生きていることを思い知らされる。ティーンエイジャーの幼い恋はこの「運命」に抗うことはできず、ジェフは失業中の父親とともに塗装業を始めるところで終わる。
こんな簡単な要約でも物足りなさは伝わるだろう。青春ドラマとしても野球映画としても「これで終わり?」というのが第一の感想だった。46分しかないのでダイナミックな展開や説得的なエピソードを十分盛り込むのは無理でも、もう少しやりようがあったのではないかと思える。
別の世界で生きる2人が結局住む世界が違うことを悟ってそれぞれの世界で元のまま生きていくだけなら、初めと終わりで何も変わっていない。何も変わらないならドラマではないだろう。べつに「愛が障害を乗り越える」ハッピーエンドでなくても、結局別々の世界で生きるにしても、例えばメリッサがジェフの世界を理解しようとして父親のいない別のスタジアムで売り子のバイトを始める、といった結末はどうだろう。
また、球場はただドラマが展開する場所という位置づけだが、せっかくメジャー球団の本拠地を舞台にするなら、2人の恋のゆくえとチームの浮沈をからませて描いたりしてほしいところだ(レッドソックスファンが主人公の『2番目のキス』2005はそうだった)。
ハードルが高い売り子の仕事
ところでビールの売り子と簡単に言うが、誰にでもできるわけではない。冒頭で、ジェフがこの球場でピーナツを売り始めて3年経ってビールの売り子に「昇格」したことを仲間に祝われる。seniority(先任権)が支配するこの世界では、長く務めるほど有利な条件で働けるので、それが「チャラ」になる解雇は絶対に受け入れられない。2人が出会った頃にジェフが「(売り子は)今日だけバイトでやっている」と嘘を言うシーンがあるが、ビールの売り子にそんなことはあり得ないわけだ。
こういう労働慣行と、重いビールを持って階段を上り下りする体力が必要な売り子は中高年も含めて「男の仕事」という雰囲気が濃厚で、女性はあまり見ない(売店には多い)。メリッサが売り子のバイトを始めたら、と書いたが、若い女性が中心である日本の方が特殊と言えそうだ。
こうしたアメリカの球場の売り子や売店事情について以前書いた原稿を載せておく。
球場の「コンセッション」とは
(「アメリカ野球雑学概論」第167回、『週刊ベースボール』2006年2月27日号)
日本でもアメリカでも、球場の中で観客向けに売られる物品は飲食物とグッズ類に大別できる。コンコースなどに固定された売店とスタンド内での立ち売りの2つの形があるのも同じだ。アメリカでは、球場内でのこうした販売や営業を「コンセッション」と呼ぶ。「売店」という意味でも使うが、もともと「営業許可」といった意味で(従って、売店は正しく言うと「コンセッション・スタンド」)、レストランなどの飲食施設も含まれる。つまり、球場内で球団が許可した営業の総称としてこう呼ぶわけで、売り上げの一部は当然球団が取る。日本では売店の売り上げが球団に入らない契約の球場もあるが、アメリカのプロ野球では、その草創期からコンセッションの売り上げは球団にとって重要な収入源であり続けてきた。
最初のコンセッションは特定できないが、1880年代には球場での販売で大きな利益を得た業者が現れている。オハイオ州コロンバスで本の訪問販売をしていたハリー・スティーブンスというイギリス人は、初めて球場で野球の試合を見たときにあまり理解できなかったが、翌日セネタースの球団事務所を訪ね、選手の名前を印刷して余白に記録をつけられるカードを球場で独占販売する権利を700ドルで買った。これはアメリカの球場で必ず売っているスコアカードの原型と言える。700ドルはカードに広告スペースを作って売ることですぐにペイし、これを手始めにスティーブンスはニューヨークを中心に多くの球場でホットドッグやピーナッツ、ビールを売る権利を獲得していった。
「コンセッション王」と呼ばれるようになったスティーブンスの系譜は今の球場にも受け継がれている。彼の孫が引き継いだコンセッションの会社は、80年代には年間1億ドル以上の利益を上げるようになっていたが、95年にアラマーク社に買収された。アラマーク社は、現在メジャーの13球場でコンセッションを持つ、この業界の代表的な企業だ。数多くの業者が球場に入って営業している日本とは違って、アメリカでは球場全体の売店やレストランをひとつの企業が運営する形が一般的で、ファストフード・チェーンなどよく知られたブランドの売店も直営ではなく、コンセッションを持つ企業の独占営業であるわけだ。
独占営業は立ち売りも含んでおり、スタンドを売り歩く売り子も全員が同じコンセッション企業に雇われている。日本と同じく売り子の収入は歩合制だが、アメリカでは長くやっている売り子ほど有利なシステムになっている。例えばある球場に売り子が100人いるとすると、1番から100番まで順番がついており、新しく入った売り子は100番からスタートし、前の売り子が辞めると1つずつ順番が上がっていく。そして、球場で何を売るかは試合ごとに1番の売り子から順に取っていくので、最後の方の売り子は暑い日にホットコーヒーや寒い日にアイスクリームを売る羽目になって収入は増えず、なかなか続けられない。しかし、我慢や工夫をして続けていけばだんだん有利な条件で仕事ができるようになり、収入も増えていくわけで、学生アルバイトが多い日本と違って売り子の年齢層が高めなのはこれが理由だ。