軍隊時代のジャッキー・ロビンソン:日本未公開野球映画を観る(45)
The Court-Martial of Jackie Robinson(1990)
※「日本未公開野球映画を観る」カテゴリーの作品については、基本的に結末まで紹介しています。ご了解のうえお読み下さい。
基地の中での差別事件
題名は『ジャッキー・ロビンソンの軍事法廷』。
ニグロ・リーグでのプレーと歴史的なドジャース入団の前、ロビンソンは徴兵されて陸軍士官(階級は少尉)になっていたが、そこでの被差別体験と抵抗を描いたテレビ映画。野球のシーンは少ない。
UCLAで野球やフットボール、バスケット、陸上競技のスター選手だったロビンソンは、彼に先んじて大学のアスリートでベルリン五輪200mで銀メダルを獲った兄マックが黒人ゆえ道路清掃の仕事にしか就けなかったのを見て、黒人大学の運動部のコーチの職を探していたが、徴兵の通知が来てカンザス州の部隊に入隊。幹部候補生学校に志願して合格したものの、他の黒人と同様に長く入学が許可されなかったが、同じ基地にいた元世界ヘビー級チャンピオンのジョー・ルイスの口添えがあって入学でき、卒業後少尉に昇進した。
テキサス州の基地の戦車大隊長に任じられたロビンソンは、ここで差別事件に遭う。病院から基地に帰るため軍の乗合バスに乗車したとき、知人である士官の夫人(白人)と並んで中央部の座席に座ったところ、運転手が後方の有色人種用の席に移動するよう命じた。軍のバスでの人種分離は既に禁止されていたので移動を拒否すると、到着後に憲兵が呼ばれ、拘束されて取り調べを受ける。そこでも「ニガー」と呼ばれるなど差別的な扱いを受け、抗議したが、上官への不服従などの罪で軍法会議にかけられることになった。
この基地は陸軍でもとりわけ黒人差別的な風土で知られていたが、ロビンソンについた弁護役も差別を公言して弁護する意思がなく、交代。ロビンソンは孤立無援と思われたが、新たについた弁護人の大尉は意欲的に法廷戦術を練り、憲兵の発言の矛盾を突いて無罪を勝ち取ることができた。
その後ロビンソンはケンタッキー州の基地に異動してスポーツのコーチを務めるが、申請により名誉除隊。ニグロリーグのカンザスシティ・モナークスに加わり、そこでドジャースのスカウトに誘われるまでを描くのが本作である。
軍隊における人種分離と統合
それにしても軍隊での黒人差別には呆れる。同じように徴兵され、命がけで国のために戦うはずであるのに、一般社会と同様、人種によって差別することが横行していたわけだ。
これを正当化していたのは、黒人は「臆病」であるという偏見だったらしい。彼らは臆病で無知なので一人前の兵士とは見なせないという理屈だろうが、それならば黒人は徴兵せず、勇敢で優秀な人種だけで戦えばよいはずだ。その一方、黒人兵は最前線に送られることが多く、戦死率は白人兵より高かったのだから、筋の通らない話だ。
野球界と同様、この時代は軍隊も人種統合されておらず、部隊は人種別に編成されていた。しかしメジャーリーグに遅れること1年、1948年に人種分離が禁止され、本作のエンドタイトルによれば「以後、軍隊はアメリカで最も人種統合された組織になった」とのことである。メジャーリーグと軍隊が人種統合されたことはアメリカ社会にとって同様の重みを持つ歴史的出来事だったのだろう。
このように差別を受け、それに勝訴という形で打ち勝ったロビンソンだが、前線に送られなかったのは他の多くのアスリートと同じだった。彼らの多くは軍務としてスポーツをしており、それだけアメリカ軍には余裕があったことを示している。第二次大戦では500人以上のメジャーリーガーが徴兵され、野球のレベルが下がったり、多くの選手が全盛期を兵役で棒に振ったものの、戦死したのは2人だけで、失われた命は最小限だった。それに対して日本では、プロ野球(職業野球)の規模はずっと小さかったにもかかわらず、沢村栄治や景浦將、吉原正喜をはじめ60人以上の選手が戦没している。
ロビンソンをめぐる作品群
ところでジャッキー・ロビンソンは、アメリカ野球史上最も多くの映像作品が製作された人物の一人である。双璧をなすのはベーブ・ルースだが、ロビンソンについては、2013年の劇場用映画『42~世界を変えた男~』、2016年のケン・バーンズによるドキュメンタリーのテレビ・シリーズJackie Robinsonなど近年も話題作が作られ続けている。彼のアメリカ史における意義はルースを凌駕し、しかも現代においてより大きくなっているのだ。
最初の作品は1950年に本人主演で製作された『ジャッキー・ロビンソン物語』で、当然ながらその時点まで(正確には、メジャーデビューした47年シーズン終了まで)のストーリーである。ブランチ・リッキーとの有名な契約の場面をはじめ、ニグロリーガーが受けていた差別など、その後の諸作品で繰り返し描かれたシーンの「原型」がこの作品には多くあり、これを通じて歴史的事実として定着していったのだと思われる。この作品は著作権が切れてパブリック・ドメインになっており、後にカラー化されたバージョンも存在する。
77分と短い『ジャッキー・ロビンソン物語』が一瞬ですませている軍隊時代を詳しく描いたのは本作が初めてで、その意義は大きい。1955年、アラバマ州モンゴメリーで百貨店員ローザ・パークスがバスの車内で席の移動を拒否して逮捕され、これを機に公民権運動に火がつくことになるが、その11年前にロビンソンが軍隊で同じような事件に遭い、敢然と抵抗してその正当性が認められていたのは歴史の偶然だろうか。
ロビンソンは56年に現役引退し、以後は公民権運動に精力的にコミットするが、これについては上述のケン・バーンズ作品が描いているようで、これらの作品を通じてロビンソンの生涯がきちんと映像化されたことになるだろう。
ロビンソンは多くのフィクションにも登場する。テレビ映画『栄光のスタジアム』(1996)は、ロビンソンのドジャース入団までのニグロリーグの盛衰をサチェル・ペイジやジョシュ・ギブソンら実在の人物を登場させて描いており、大筋は事実だがエピソードやディテールはよくできたフィクションである。また『ブルー・イン・ザ・フェイス』(1995)はブルックリンの煙草店が舞台の即興的な群像劇だが、ロビンソンの「幽霊」が出てきて昔のブルックリンの思い出を語るシーンがある。
なお本作は『ジャッキー・ロビンソン物語』の40年後に製作されたが、『物語』のジャッキーの妻役で世に出てスターになったルビー・ディーが、今度は母親役で出演しているのも興味深い。