見出し画像

2007年のボビー:日本未公開野球映画を観る(17)

The Zen of Bobby V(2008)

※「日本未公開野球映画を観る」カテゴリーの作品については、基本的に結末まで紹介しています。ご了解のうえお読み下さい。

非定型的に描かれるボビーとマリーンズ

 日本野球を主題にした日本未公開映画もないわけではない。高校野球についてのTV番組などが散見されるが、本作は1時間26分のドキュメンタリー映画で、トライベッカ映画祭に出品され、ESPNでも放映された。
 主題はボビー・バレンタインと千葉ロッテマリーンズの2007年シーズン。当時ニューヨーク大学で映画を専攻する学生だった3人が製作、監督した。監督のアンドリュー・ジェンクスはその後プロとして多くの作品に関わっている。
 本作が描くテーマは3つあり、ボビー・バレンタインという人間の日本への溶け込み方や受け入れられ方、日本の野球文化、そして2007年のマリーンズの戦いである。ただ、それぞれがあまり掘り下げられているわけではなく、もともと予備知識を持たなかったり文脈を理解していない(主にアメリカの)観客にはよくわからない面があるかもしれない。それゆえアメリカでは「独りよがりの学生映画」といった評もあり、確かに親切な作りではないかもしれないが、2台のカメラで密着して撮った映像は、さすがに映像作家らしくユニークで楽しめる。
 例えば、マリンスタジアムのライトスタンドのビッグフラッグの下で驚いて見上げる子どもとか、マリンの夕暮れの遠景から遠くの富士山にパンしたと思うと、オールスター休みのボビーの富士登山にシーンが変わり、次は広島遠征の機内からの富士山に変わるシークエンスなど、定型的なテレビの映像とは一線を画している。
 ロッカールームでのボビーのスピーチなど、テレビカメラが入れないところを撮らせてもらっているという有利さもあるだろう。しかし、CSで敗れた札幌ドームのライトスタンドで落胆するファンはテレビも撮るかもしれないが、その後チャンピオンフラッグを持って一周するファイターズの選手に泣きながら拍手を送る場面など、テレビがアリバイ的に撮る定型との違いは新鮮だ。
 日本の野球文化については、熱いファンや応援スタイルと、長時間ハードな練習を課す集団主義的な風土に注目している。アメリカ人から見ればやはりそうだろう。ただ、シーズン中ずっと帯同した撮影チームはこの「異文化」をそれなりに理解するようになっていったようで、エキゾティシズムや好奇の目を煽る演出ではなく、「こちら側」から見て特に違和感は感じなかった。

ボビーにとっての転換点?

 移籍してきたズレータがダルビッシュから同点満塁ホームランを打ち雨天コールドで引き分けた開幕戦で始まった2007年。快調に飛ばした前半、苦戦した夏、持ち直しての2位を経て、札幌でのCS第5戦で敗れて2年ぶりの日本シリーズはならなかった印象深いシーズンで、「こんなこともあった」「このときここにいた」と思うことが多く、それだけで楽しめた。もちろんこんなのは一般的な観客の感想ではない。
 このシーズンは、2005年の優勝によって盛り上がったチームとボビーの人気がピークだったように思う。だからボビーはどこに行っても騒がれ、そういう光景を繰り返し見せているが、監督がそんな人気者になることもアメリカ人にとっては「異文化」だろう。
 しかしこのシーズン後に小林雅英と藪田安彦がメジャーに移籍し、翌年は一度も優勝争いにからまないまま4位。そして2009年の「今季限りで退任」を前提に指揮を執るという異常事態と低迷(5位)につながっていく。2007年がピークだったということは、そこから下降し始めたということだ。
 これに関して本作を見て思い出したエピソードで、かなり重要だったかもしれないと思うのが、四国アイランドリーグの一球団をマリーンズが買収して育成選手を派遣するというボビーの提案だ。育成をより組織的、効率的に行うための改革案で、球団のみならず日本球界への提言だったが、あっさりと却下された。
 このときボビーは、いくら人気者でも結局「お客様」で、内部のことに口出しされるのは嫌うという、日本社会の外来者に対する伝統的な態度を痛感したのではないか。そしてその後、彼の日本への思いや関わり方が微妙に「醒めて」いく、あるいは「お客様」として歓待される限りの関わりにとどめるきっかけになったように思えるのだ。
 弱いチームを強くする天才でありながら、強くなったチームを強いまま維持できたことのないボビーにとって、チームとの関係の転換点は必ず存在するはずだ(もともと強かったレッドソックスは別)。憶測に過ぎないが、マリーンズではこのあたりがその転換点だったのではないかという気がする。
 ボビー自身が本作で語る言葉は、必ずしも「ホンネ」を直接的に語っているわけではない。しかし、映像と構成によってこういう仮説を思いつかせるぐらいには本作は示唆的である。
 1995年に初めて来たとき、日本野球の伝統である「1000本ノック」を体験してみたことはよく知られているが、それ以来、ボビーは異文化である日本文化をまずは理解しようとして何でもやってきた。本作で描かれる富士登山も球団納会での浴衣姿もそうだし、広島遠征では必ず原爆死没者慰霊碑を訪れた(これを忌避するアメリカ人は多い)。しかし最後はやっぱり球団に、日本社会に「追われた」のだ。

「2016年のボビー」へ

 それでもボビーは日本を見限らないし、日本もボビーに惹かれ続ける。両者の関係は、くっついたり離れたりを繰り返すカップルとか、互いに惹かれ合いながら決して結ばれないカップルのようなものかもしれない。そういえば、かつて筆者はこういうボビーを「恋愛型」、2007年にファイターズを率いてパ・リーグを制したトレイ・ヒルマンを「結婚型」監督として対比した原稿を書いたが、長いのでここでは再掲しない(「もう一度ボビーと野球がしたい」−「恋愛型」監督ボビー・バレンタインの1年目」、『ベースボールマガジン』2015年3月号)。
 本作の「姉妹編」「続編」のように思える、いわば「2016年のボビー」が『奇跡のレッスン:世界の最強コーチと子どもたち 野球編 ボビー・バレンタイン』(NHK:2016年5月放送)だ。野球が大好きでうまくなりたい、強くなりたいのにその術を知らない「松戸リトル」にボビーが新しい風を吹き込んで子どもたちを変えた1週間の記録だが、その前に日本で6年間率いたチームにもボビーは同じことをやっただけで、そのチームは「幕張リトル」だったと思うのだ。

 いずれにせよ、懐かしい2007年シーズンを定型的なテレビ映像や陳腐なナレーションとは違う形で思い出させてくれ、あらためてボビーについて考えさせてくれた本作には感謝したい。全く個人的な感想に過ぎないが。

 なお題名に"Zen"が出てくるが、ここから何か意味を読み取ろうとするべきではないだろう。日本(の文化や精神性)について言及するときの決まり文句で、日本語なら、イギリスについて何か言うとき「紳士の国」と前置きし、タイには「微笑み」、ブラジルには「情熱」など、機械的につける枕詞のようなものだ。

※本作はジェンクス監督のウェブサイトで観られる(字幕なし)。

いいなと思ったら応援しよう!