「野球しかない」より「野球を選ぶ」:日本未公開野球映画を観る(3)
The Final Season(2007)
数少ない高校野球映画
アメリカに高校野球映画は多くない。『オールド・ルーキー』(2002)は半分以上のシーンが高校だったと思うが、主題は高校生ではなく、監督がメジャー・リーガーになってしまう話だった。アメリカで高校野球は地味なスポーツで、日本の甲子園にあたる全国大会がないことも映画になりにくい理由だろう。
そうしたなかで全編高校の野球部が舞台であるThe Final Seasonが『オールド・ルーキー』と共通するのは、実話に基づいていることだ。アイオワ州のノルウェーという人口500人ほどのスモールタウンの高校の野球部は強豪で、州チャンピオンに19回輝いてきたが、近くの町の高校に統合されることになってカリスマ監督は退任。最後のシーズンは前年にアシスタントを務めた若いコーチが指揮を執り、主力の何人かが去ったチームを20回目の優勝に導くというストーリー。
野球より教育の機会
こういう風に言ってしまうのもどうかとは思うが、あまり共感はできなかった。
この小さな町でチームはヒーローあるいは誇りで、普段の練習にも大勢観客が集まる。学校統合を強行してそれを奪う行政が悪者にされるわけだが、野球部以外の生徒にとってこの高校はどうなのか。義務教育ならともかく、高校なら規模の大きな学校に統合された方がカリキュラムもスポーツも友達も選択肢が増え、世界が広がるという大きなメリットがあると思うのだが。
町にとって野球が最大の娯楽で、みんながチームを誇りにしてそれを中心に生活が回っているという状況は、例えばセントルイスにおけるカージナルスを考えれば素晴らしいことだ。しかしこれは、他にも娯楽やスポーツチームがたくさんある大都市だからそう思えるのだ。文字通り野球チームしかないような町なら、それは「選びようがない」ということで、そのチームが強ければ誇りに思うかもしれないが、住民や高校生にとってはいろいろなものを選べる方がよいだろう。
本作のエンドタイトルで「統合したマディソン高校野球部は以後一度も州チャンピオンになっていない」という表記が出るが、「野球しかない」町の野球部が州大会で毎年優勝するよりも、高校生の教育機会が広がる方がずっと重要だと思うのだ。
アラスカの「陸の孤島」なら
似たような小さな町のアイデンティティになっているスポーツチームを描いた映画に『ミステリー、アラスカ』(1999)がある。こちらはほぼフィクションだが、アラスカのミステリーという人口600人の架空の町のアイスホッケーチームは町のヒーローで、住民は熱狂的に声援を送る。その面白さに目をつけた地元出身のスポーツライターがNHLのニューヨーク・レンジャーズを招いてのエキシビション・マッチを企画するというストーリーだ。
違うのは、学校のチームではなくあくまで住民のクラブチームであることと、(おそらく)空路でしか外部に出られないような「陸の孤島」的な町であること(アラスカでは珍しくない)。それで人口600人なら、唯一の娯楽とアイデンティティがこのチームであるのも無理はないと思えて、抵抗なく楽しめる映画だった。
「野球しかない」を賛美しない
「野球しかない」か、「野球を選ぶ(選べる)」か。どちらがよいかといえば、間違いなく後者だ。野球が大好きな者にとってはどちらでも同じかもしれないが、住民一般にとって前者は決して望ましくない。
時代的に見ても、かつては前者の時代があった(日米ともに)。野球がスポーツの王者として君臨しており、運動の得意な男子はみんな野球をやった。そうすると必然的に最も能力の高いアスリートが野球選手になるわけだが、野球がそんな「特権的地位」にあることが望ましいわけはない。だから、そういう時代に出てきたスター選手よりも、スポーツの選択肢がたくさんある時代にあえて「野球を選んだ」スターにより共感するのだ。少なくとも、野球しかなかった時代、野球しかない町はスポーツ的にはあまり幸福でないはずで、そういう状況を賛美したいとは思わない。
余談
余談を二つ。
アイオワ随一の強豪だったノルウェー高校出身選手のキャリアを見てみると、プロ入りしたのは1912年を最初に計7人。うちメジャーに上がったのは3人で、目立った実績を挙げたのはマイク・ボディカー投手(1980〜1993年にオリオールズ他で134勝)だけである。日本の高校野球でも、甲子園にはよく出てもプロに進む選手は少ない高校があると思うが、そういうタイプの学校のようだ。カリスマ監督が「このあたりのリトルリーグのコーチはみんなうちのOBだ」という意味のことを言っていたが、彼のモットーは基本をしっかりやる野球で、確かに守備が堅いチームとして描かれていた。
もうひとつ、州チャンピオンを決める決勝戦の場面が撮影されたのは、この州第二の都市シーダーラピッズにあるベテランズ・メモリアル・スタジアム。スコアボードにここを本拠地とするミッドウェスト・リーグ(A級)のカーネルズのロゴが見えてわかったのだが、ここには2002年、ちょうど開場して間もないときに訪れた。そのときのことを書いた記事からの抜粋を載せておく。「ミッドウェスト・リーグ紀行」というルポだった。
Cedar Rapids Kernels〜突貫工事の新球場
次の日(注:2002年5月2日)は西に進んでシーダーラピッズへ。エンジェルス傘下のカーネルズは今季新球場を開場したばかりで、ダウンタウンから少し離れた住宅街にある旧球場の隣にできたと聞いていた。しかし行ってみると、球場は確かに開場しているものの、エントランスや駐車場などの整備はまだできておらず、工事が続いている。とりあえず球場本体だけは突貫工事で開幕に間に合わせたようだ。
90年代以後ミッドウェスト・リーグは、東地区では新球場や新フランチャイズによって観客動員を増やしてきた。2000年からの新フランチャイズのオハイオ州デイトンは、1、2年目にマイナー全体でも上位となる58万人の観客を動員した一方、西地区ではこうした動きはほとんどなく、観客動員の「東西格差」が開き始めていた。西地区の新球場はこの格差を縮めることが期待されている。
そんな新球場だが、この日はまた寒くなったうえに風も強い。メジャーでもマイナーでも、新球場の1年目の観客動員はかなり伸びるものだが、この地域のこの季節の気候ではそれが期待できるとは限らない。予想通り、6時30分の試合開始時の観客は200人足らず。夜にかけて雨になるという予報も影響しているのだろう。
旧球場から「ベテランズ・メモリアル・スタジアム」という名前を引き継いだこの球場だが、スタイルは近年の球場に一般的になったものを採用している。その中で特に良さを実感するのは、スタンド後方の広いコンコースだ。内野1階席後方にフィールドが見えるコンコースを設けてそこに売店やトイレを配置するこのスタイルは(注:「オープンコンコース」のことだが、当時はまだその呼び方が一般化していなかったか、筆者が知らなかったのだと思われる)、日本ではグリーンスタジアム神戸が採用しているが、近年のアメリカの球場ではそのスペースが特に広くなり、単に売店と通路だけでなく、テーブルを置いて飲食できるようにすることも多くなっている。
このメリットを痛感した理由のひとつは天候にある。気温は10度もないうえに風も強く、試合開始直前には予報通り雨が降り始め、スタンドでの観戦はかなりハードな状況になったが、コンコースはとても都合がよい。雨はしのげるし、風があまり当たらない場所も探せば見つかる。もちろん「立ち見」になるが、席でじっと見ているより寒さはかなり軽減できる。そんなわけで徐々に立ち見客の方が多くなっていった。立ち見をしていると近くの客と話すことも多くなり、雰囲気は決して悪くない。
そうやってしのぎながら何とかゲームを見ていたが、天候は全く好転せず、雨も強くなって寒さは募るばかり。ホームベース付近に砂を入れながら試合は何とか続いたが、3−2とビジターのバーリントン・ビーズがリードした9回表、とうとう中断してしまう。3回頃から減り始めた観客は、この中断の時点で数十人しか残っていなかった。内野にシートを敷くのを手伝っていたスーツ姿のジャック・ローダーGMが滑って転倒したのが微笑ましかったが、中断後さらに観客は減っていき、20分ほど経つとほんの数人。熱心なファンもこの天候の中で再開を待つ気力はさすがにないようだった。1点差なので、再開されればゲームがどう動くかはわからなかったが、雨が弱まる気配もなく、筆者も断念してホテルに戻った。結局ゲームは1時間ほど待ってコールドになったが、それを見届けた観客はほとんどいなかったそうだ。
「ミッドウェスト・リーグ紀行」、(『Ballpark Time!』vol.5、2002)
ベテランズ・メモリアル・スタジアム。カーネルズのロゴはボールをトウモロコシに見立てている。
9回の中断中、ほぼ無人になったコンコース。