わたしの物語3
わたしが5歳になってすぐの頃。。。
父と祖父母と一緒に、町の商店街にある産婦人科でソファーに座ってそわそわしながらいるわたし。
母が2度目の出産の日を迎えた8月です。
母の夢でもあった双子の女の子♡
双子を産みたくて《双子たまご食べたり》若い頃からふたごなものを口にしていたことを聴きました。
そういえば、『ほらっ!このたまご、黄身が2個出てくるんよ!』って母によく見せてもらってました。
無事に奇跡な瞬間を。。。双子の赤ちゃんが大きな泣き声とともに産まれました。
母は泣きながら、両手に産まれたての妹たちを胸に抱えて、その瞬間の幸せを感じているようでした。
まだ双子が珍しい時代。
次女は大きく、まんまるな顔。髪の毛やうぶ毛が多かったのを覚えています。目もまんまる。
三女は次女より小さく、長まるな顔。目は細目。毛は少なめで、双子感はあんまり感じなかったのを覚えています。
当時は近所の人も、出会う人も、みんな珍しがって『可愛い♡』、『双子なんてすごい♡』、『女の子の双子やったら将来もっと楽しみやね♡』などたくさん話かけてくれる方がいました。
ベビーカーも双子用。両親も祖父母も双子用のものを集めるの楽しみつつ、現在のようには物が売られて無かったので、大変だったそうです。
そして。。。
わたしは、一気にふたりのおねぇちゃんになりました。
5歳のわたしがふたりを見て、すごく誇らしい気持ちになっていました。
なんででしょうね。。。妹を頑張って産んだのは母なのに、『わたしの妹だぞっ!!!』みたいな立ち振る舞いだった自分を思い出します。
すごく嬉しかったんでしょうね♡
頭の中は、妹たちにやってあげたいこと、教えてあげたいことでいっぱいになっていました。
夢中になって、母や祖母の赤ちゃんのお世話をする姿を見て、『わたしもできるよ!』と言って、妹たちのオムツを替えてみたり。。。
コツを教えてもらいながら、ミルクを飲ませるお手伝いをしていました。
慣れた頃には両手にミルクを持って、ふたり一気に飲ませているわたし。。。
祖母も母も笑って、『和果はすごい上手や!!ばぁちゃんよりコツつかんでるよ!』とお世話するわたしを見て話してました。
祖母も母も子育てのプロだけど、双子の子育ては初めてですものね。
わたしなりに、一生懸命お手伝いをしてたのを覚えています。
幼稚園から帰ったら、妹たちと一緒にいるのが楽しみだったわたしは、『おねぇちゃん』になっていました。
思い出すと、笑いも涙も出てくる時代だったなと思います。
双子ならではなのかもしれませんが、風邪を引いたらふたりとも風邪をひいていたし。。。
泣いたら、ふたりで泣くんです。
首がすわって、はいはいがはじまったら、ふたりであちこち行くんです。
でも双子だけど、ちゃんと個性があって性格が違うので、なにもかもが同じっていうわけではありません。
だから、思いついたら別々に行動し始めるので、まだ小さいわたしにとって大忙しな毎日でした。
それも今では貴重な時間の思い出です。
赤ちゃんだから気持ちを伝えれず、泣いてばかりの妹たちを笑わせることが一番上手だったのは、きっとわたしだったと思います。
おねえちゃんという立場に自信をつけさせてくれたのは、妹たちだなとつくづく思います。
『おねぇちゃん』になったわたしの物語。
わたしも、卒園して小学生のおねぇちゃんになりました。
みんなから『和果ちゃん』から『おねぇちゃん』という呼び名に変わりました。
そんな小学生時代をまた書きたいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?