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我が家のこと~移住先検討編~

ピーナッツバター屋さんのことはまた続きを書きますが、我が家が糸島に移住してくるときのお話しを書きたいと思います。

東日本大震災からの移住検討開始

2011年3月11日 東日本大震災
(第2子妊娠中の中、会社から約2時間かけて歩いて帰宅)

その後放射能の影響による内部被ばく検査を家族で行うも、長男が数値が高く、チェルノブイリでいうと心臓の不整脈になっていてもおかしくない数値と診断される。普段東京よりも西の食品を購入するようにしていたり、飲料水を気をつけたりしていたにも関わらず、ショックを受ける。
夫が移住の話を持ち出し、私は実家から遠く離れることが初めてだったので、乗り気ではなかったが、移住者ブログなどを見て住むイメージがわいて移住を検討し始める。

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2012年~2015年
岡山県→神戸→福岡県を移住先として下見&保育園申し込み
私:勤務先異動申請(本社から支店、支社へ異動願いを打診)
夫:10年勤めていた会社を退職し、個人事業主へ
自宅:持家のマンション売却

※移住先を福岡に決めるまで・・・(移住までに約2年半かかりました)
最初の候補は岡山県で、何度か足を運びましたが(夫も転職先から内定までいただいたが)、住むイメージがわかず、東京から更に西の方向の神戸を検討。
神戸は夫の実家がある横浜にも似ているので住みやすいかと思ってみましたが、東京での暮らしとほとんど変わらないため断念。
そして、福岡は誰もが気に入っているところで(福岡を悪く言う人は少ない)出張で何度か足を運んだことがあるが、コンパクトで住みやすいイメージがあるとのことで、2度下見にいき、決定!
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2015年3月   
長男の保育園卒園式後、車で3日間かけて名古屋→岡山→福岡と旅行をしながら移住先へ引越し
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2015年3月  糸島市にて移住開始 
夫→個人事業主 

私→上場会社の正社員として勤務していましたが、本社東京から福岡支店へ異動させていただく。

長男→小学1年生入学

次男→保育園年少

なぜ糸島に移住?

福岡の中でもどこに住むのがベストか!?ということで、インターネットで調べたり、福岡に住んでいる友人に聞いたり、市役所に電話しました。

条件としては・・・
・移住者を受け入れてくれる環境
(小学校に入学するためその土地の人しかいないところは難しいと思い)
・私の勤務地(呉服町)まで40分以内で通える場所
・家賃が高くないところ
・あまり田舎ではないところ(個人によって基準が変わると思いますが)
・実際に移住者がいる場所
・保育園に入れるところ
・小学校の学童(児童クラブ)に入れるところ
・野菜などの産直所が近いところ(私だけの希望かもしれませんが)

そして、IKEAなどがあり開発されてきている新宮町か教育レベルの高い百々道、高宮、春日近辺、転勤族の多い姪浜、今住んでいる糸島市があがってきました。

糸島市はなんとなく最近いいよーという話は聞いていたのですが、会社まで結構距離があるし、どうかなーという思いでいた中、新宮町から保育園の内定をいただきました。

ですが・・・
糸島が気になって深く調べていくと、糸島から高速バスが呉服町(なんと会社から徒歩3分のところに停留所が!)まで出ていることがわかり、海も近く(よくいうと)神奈川県の湘南のような場所だということがわかり、住みたい度急上昇!!

で、保育園の4月入所の申込はもちろん終わっている中で、入れる保育園を探したところ2次選考になんとか滑り込むことができ、認可保育園に内定をいただきました!

糸島に決めたけど、家は決まらない、保育園は決まらない、
会社の異動は決まらない・・・と決まらないことだらけでしたが、
同時並行で一つずつクリアにしていきました。

糸島に移住することが運命なのかなと思うくらい、自然に次々に決まっていき、糸島に住むと決めてから、1~2カ月で新居なども決まりました。
(新居探しはだいぶ出遅れていたので、物件も少なく不安で、この期間は多忙でしたが)

小学校や保育園の説明会には遠方のため参加できませんでしたが、電話や郵送対応でなんとか書類やグッズなど揃えるものも揃え、引越後に時間を作っていただき、小学校や保育園の先生方とお話をすることができました。
※万が一のことも考え、東京で住んでいた港区の小学校説明会や健康診断にも参加しつつ、移住先の対応もしていました。

今の移住までは時間と労力、お金(家族4人となると出費が多い!)がかかりましたが、結果的にとても幸せで楽しい生活を送れています♪