相手のことを決めつける気持ち
自分が思っている自分や、こう思われたい自分と、他人が思っている自分が一致しているという人は珍しいだろう。
誰もが「本当の自分はそうじゃないのにな」とか「この人わかってないな」と感じることはあると思う。
では何を持ってそのように他人が自分を判断したのかというと、案外些細なことだったりする。
メモを取りながら人の話を聞いていたら「真面目な人」、飲み会の席であまり話をしなかったら「おとなしい人」、大きな声で笑っていたら「陽気な人」。
そんな感じでみんな些細なことで人を判断して、こういう人物だと決めている。
人はわからないものに恐怖を感じるそうだ。
だから、凶悪な犯罪が起きると犯人の生い立ちから犯罪に至った理由を結びつけたり、趣味や好みを犯罪に結びつけて、そこに原因があったと納得しようとする。
本当は他人は得体のしれないものなのだろう。
でもそれをそのまま放置しておくと、恐怖心が芽生えてしまい共同体として成り立たなくなってしまう。
そのため、少ない情報からでも「この人はこういうキャラなのだ」と決めようとしているのではないかと思う。
決めつけられるというのはあまり気持ちの良いものではないかもしれない。
学校であれば、クラスの中の目立つグループの連中が、バカにしたように「あいつは○○だから」決めつけてきて、腹が立つなんてこともあるだろう。
でもそれらも、一刻も早く相手こと自分の中で処理できる形にしたいという恐怖心から来ているのかと考えると、なんだかちょっと「そんなに怯えなくても大丈夫だぞ」とおおらかな気持ちになれるかもしれない。
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