考えながら書くとこんな記事になりました
岡山市の職員をしている「てら」です。
今の子どもたちって,僕たちの時と比べると大変だなぁって思うんです。
何が大変かというと,覚えることが多いこと。
自分たちの時代もそんなに変わらないと思う方もおられると思いますが,大正時代の人,江戸時代の人,戦国時代の人,平安時代の人,縄文時代の人…と歴史をさかのぼっていくと,確実に,昔の人の方が覚えることが少ないと思うんです。
そりゃそうです。戦国時代の人は歴代徳川将軍の名前なんて知りようがないですもんね。
家の中を見ても,だんだん自分で直せる物がなくなっています。
感覚的なことですが,江戸時代の人の家にあるものって,がんばったら,全部自分で作れたり直せたりできそうな気がしませんか?
でも,自分の家の中にあるものって,自分では作れませんし,直せません。
「家の中にあるものを直す」という視点で見たとき,江戸時代の人と現代の人では,学ばなければならないことの量は,はるかに現代の人の方が多い。
この記事を書いているパソコンを0から作るために,僕はどれだけ学ばなければならないのでしょうか。
でも,それで生活が成り立っているのは,社会で役割分担ができているから。それぞれの役割の中で,より専門性の高いことが積み上げられ,それらを組み合わせてきたから今の世の中がある。
これがどういうことかというと,たぶん,現代の人は江戸時代の人よりもより専門性が必要な世の中に暮らしている,ということじゃないでしょうか。
専門性が高くなればなるほど,その専門性を支えているこれまでの知識や経験は増えていきます。なので,学ぶ量は増えていく。そして,人が学べる限界が来ると,その専門性がさらに分割されていく。
こうして,いろんなことが細分化されていって,それらを組み合わせながら新しい技術が確立されていく…。
ここまで書いてきて思ったんですが,もしかすると,生物の進化ってそういうものなのかも。
個々の細胞では賄えない事態が起こったら,もっとも対応できそうな細胞の機能が細分化されて,新たな機能を持った細胞ができる。
その新たな機能を持った細胞が既存の細胞と連携して機能することで,もともと想定していた機能以外の,機能が生まれる。
いや,最初からこんなことを考えていたわけじゃないんです。書いていると,そんな発想になってしまった,という話です。