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カゲヤマ気象台×不参加 カフカ・アルトープレトーク

いよいよ4月6日・7日に迫った「いとなみ派 Track.3 上演とリーディング「ひとりとひとりと」」。

公演に先駆けて、「野生のカフカ@おいしいカレー」を上演するカゲヤマ気象台(円盤に乗る派)「アルトー⇆  の往復書簡」を上演する不参加(いとなみ派)両氏による対談を、会場となる北千住BUoYで収録した。

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不参加(以下、不):まずカゲヤマさんの場合は再演じゃないですか。カフカをやるっていう命題だけがポンと来てそこから「野生のカフカ」っていうところに至った、そのあたりを聞いてみたい。

カゲヤマ気象台(以下、カ):まずなぜ「野生のカフカ」になったかっていうと、今カフカを演劇でやるときにどうしたら意味のあるものというか、意義のあるものにできるかっていうふうに考えたときに、まず一個は区切られた場所で、外部から隔離された劇場と言う密室のなかでカフカっぽい実験を反復してもあまり意味がないなと思ったんですね。だからそうじゃなくて、偶然カフカと街を歩いていて出会うような、事故的にエンカウントするような体験っていうのをやれないかと。密室に押し込まれたものではなくて、もっと世界にあまねくある部分に関係するようなものとしてカフカをやれないかと思ったんですね。エンカウントするっていう感覚がすごい良いなと思って。野生のものってエンカウントするんですよね。イメージ的にはポケモンなんですけど。野生のポケモンとエンカウントする。野生のピカチュウみたいなニュアンスの、野生のカフカっていう風にした。

不:「@おいしいカレー」は?

カ:「@」の部分なんですけど…これ、「@」全角なんですよ。全角なのが実はポイントで。なんでかというと、最近ヴェイパーウェイヴっていうムーブメントというか、流れが、ジャンルがあって。主に音楽のジャンルなんですけど、ビジュアルも要素として入ってくるもので、それは80~90年代くらいの、失われた資本主義的な、豊かだった時代のユートピアに対するノスタルジーの要素をちょっとバグったような感じでぐちゃぐちゃにコラージュしてつくったものなんですね。だから当時の90年代のデパートとかショッピングセンターで流れていた音楽とか、あとすごい薄っぺらい安っぽいシンセサイザーのポップスを混ぜたり、ヤシの木とか当時の消費社会っぽいイメージ画像的なものをジャケットにしたり。その感覚みたいなものがカフカをやるときに合ってた気がして。ていうか最近自分が普通にそういうモードなんですけど。
で、ヴェイパーウェイヴの曲のタイトルでよく日本語の文字化けしたようなやつとかバグったようなやつが出てたりするんですよ。で、全角記号って日本のやつじゃないですか。なぜかアットマークが全角で曲名に入ってきたりするんですよ。そういう感じのやつです。おいしいカレーは…おいしいカレーから始まるんですよ、この作品は。

不:おいしいカレーが食べられるんですか?

カ:おいしいカレーが食べられたらいいですね。

不:概念上の…

カ:だから地味に@は全角。

不:なんでひとり芝居なんですか?

カ:自分の能力的な問題もあるんですけど、ダイアローグにすると閉じちゃうというか…登場人物、というか舞台に出てくる畠山くん対カフカみたいな関係でシンプルにやりたいと思ったんですよ。そこにたくさん出てきてしまうと、その間の関係性とかも生まれてくるから複雑になっちゃうかなと思った部分はあります。

不:サシのバトルってことですね。

カ:ポケモンって一対一じゃないですか、基本的に。

不:うん…やったことないけど。

カ:アルトーはどういう作品なんですか。

不:完全新作ですね。今回扱うのはアルトーがまだ「残酷演劇宣言」を書く前の作品、作品というか…アルトーは最初は詩から始まってるんですね。それで『ヌーヴェル・ルヴュ・フランセーズ』誌に詩を送ったんだけど、載せてくれないから、その編集のジャック・リヴィエールさんに「なんで?」っていう手紙を送って。でもリヴィエールさんはその手紙のほうに興味を持ってやりとりが始まった、という。その手紙のテキストを使います。アルトーがまだ27歳とかの、若いころの手紙ですけどね。

カ:この時はシュールレアリストを自称しているんですか?

不:いや、グループに入る前ですね。(※1924年10月一1926年12月)
  アンドレ・ブルトンとかと喧嘩する前。

カ:なぜこれをやろうと思ったんですか。

不:この手紙が収録されている「神経の秤」に入っている詩とか自分の身体の状態を書いている散文とかは自分の作品としてモノローグで上演したことはあったんですよ。でもモノローグでアルトーやるの飽きちゃって。そろそろ人の声、複数の声でやってみたいなというのがでてきまして。それで2人の俳優さんに出てもらうことにしたんですけど、2人で語るっていうときに、自分の身体のことを書いているやつよりは対話というか…他者に対して書いている言葉のほうが良いかなあと思ってやってます。

カ:それは、アルトーの演劇論は反映される作品になるんですか?

不:アルトーの演劇論は…反映されません。

カ:反映されません(笑)
  そこ大事。

不:え、そこ大事ですか?

カ:だってこれを見に来る人がペストにうなされる人が見れるのかなあって感じできたらちょっと拍子抜けしちゃうじゃないですか。

不:ああ、そういえば私3年前に大学でアルトーのシンポジウムをやって、そのときもアーティストの方々に何でもいいからアルトーからインスピレーションを受けたものを作ってくださいってオーダーしたんですけど、本当にばらばらのものができて。アルトーの身体論から発想したダンスとか、アルトーと言語との関係から組み立てた演劇とか…(参考:https://www.facebook.com/ArtaudBirth120/)
そしたらあとで「アルトーの暴力が観たくて来たのに」って意見がありました。

カ:そもそも僕が立教大学から受けた依頼も、松田正隆さんから来たんですけど、そのときも従来のカフカのイメージというか、「カフカってこんな感じだよね」「不条理ってこんな感じだよね」じゃないものが観たいって依頼があって。
だからカフカ論をやるというか、そういうこととはまた違うって態度でやっていたので、そういうところでは共通するところもあるのかなと。
アルトーは演劇について言っているし、カフカも演劇の人がやりたがりやすいから演劇になっちゃうんだけど、そのなっちゃうものが既にあるものをまたやるのはどうかなみたいな感じはあります。

不:今回アルトーとカフカは、たまたま並んだんですけど結構いい並びだなーと思っていて、カゲヤマさんに依頼したのもひとつにそういう理由があるんですけど、いとなみ派的な考えでいうと、個人的には演劇の場で、普段の身体とは違う秩序や生態を持っている身体を観たいっていうのがあって。そこが今回、アルトーとカフカによって、普通の、ある身体から少しずれたものが見えるようになったらすごくいいなあと思うんですけど。

カ:予想されるツッコミとしては、「それは生成変化が云々ドゥルーズ云々」みたいなことになるじゃん。そういう言われように対してどう態度をとっていけばいいのか…
僕は一応ドゥルーズ・ガタリのカフカ論は読んではいるんですけど、アルトーに触れている部分は読んでないので。

不:ドゥルーズがアルトーの「器官なき身体」を取り上げてわっとなっているなあとは思うんだけど、私自身そもそも「器官なき身体とは」みたいなことというか、その名詞自体にはあまり興味ないんですよ。それが結局何を言っているかっていうか…。

カ:そういう要素は、今回使う初期の手紙の中にも現れているだろうって感じはあるんですか?

不:そうですね。なんでアルトーの異様な身体観ができたかっていうのの端緒というか…アルトーがリヴィエールと往復書簡を交わしていくことで自分に対する自己分析が進んでいったってこともあるんで。

カ:その後に至るものを感じられるようなものがなんとなくある?

不:そうですね。

カ:ちょっと話を広げると、その普通の普段とは違った身体のありようが良いみたいな感じってのは、こないだの犬飼さんのリーディング(『父の死と夜ノ森』)にもそのへんの考え方が反映されている感じなんですか?

不:犬飼さんのリーディングについては、リーディングって制約の中でルールにを設定して動いているっていう……ちょっとピンときていることを言えてるか分からないけど……

カ:もしくはその欲求っていうのは、今聞いていると身体の話みたいに聴こえて、上演する俳優の身体みたいなことに聞こえるんだけど、そういうものって戯曲とかの中にもあったりするのかなと思ったんですよ。「この人なんでこんなこといきなりしだしたんだろう」みたいな。

不:私はすごいアルトーが面白いと思うんですけど、そういうと人からは大体「あー、よくわかんない」って言われるんですよね。でも「わかった!」って言っている人がいたらそれは結構やべーことだと思う…

カ:ものによってはわかるものもある。「演劇とその形而上学」を読んだんですけど、あれは結構わかりみがある。そのあと「神の裁きと訣別するため」を読んで、これはちょっとついていけなさがあると思って。なんかあんな感じのわかりみがあるのかと期待して読んだらそんなことなくて。いきなりあれをばーんと出されたら面食らっていただろうなと。

不:後期になるにつれて黒魔術とかに言い出しちゃうんで、それはわかんないですね。だから今回のほうがわかりみがあると思います。そういう意味では。

カ:みんなの思っているようなアルトーの感じじゃないかもよ、みたいな。

不:そうそう、そういうところに今回落ち着いたらいいな私、って思ってます。そもそも皆さんがアルトーに対してどういうイメージを持っているのか自体がよくわかってないんですよ。大体アルトーの話をすると苦笑いされるから…。だから今回やることで「うん、そう思ってた」って反応があってもいいし、「いや違くない?」って言われてもいいから、なんか……コール&レスポンスが欲しいって気持ちですね。

カ:さっきの行動原理というか、よくわからない行動は、カフカの中にもあるなと思っているんですけど、実際カフカがやった行動っていうか、手紙を書いて送ったりしているわけですけど、たぶんその行為も普通の人がラブレターを出すのとは違うニュアンスがあるような行為であって。実際今回の作品のなかでは日記と手紙をそれぞれ引用していて。要素的に小説から持ってきてる部分もあるんですけど。言葉として引用しているのは日記と手紙で。手紙もラブレターなんですけど、ちょっと不気味さが常にあるというか。もうちょっと平たい言い方するとキモいんですけど。それこそ演劇とかで観る行動の不気味さとかひっかかる部分に共通する感じはもしかしたらカフカの手紙を読んでも感じ取れるところはあるかもしれないなと思います。

不:今回地味に「手紙」が共通のモチーフになってるんですよね。

カ:昔の人よく手紙残すな。

不:よく手紙残してよく手紙発行されてますね。

カ:で、上演されたりするから…将来的にtwitterのリプライが上演される日が来るのかもしれない。

不:LINEじゃなくてtwitterなんですねそこは。

カ:まあ公のものにされてるから…LINEはあの…会社がリリースしてくれれば。

不:こわい話だ。

カ:でもLINEってテンポ早くていいですよね。ダイアローグにしたら。スタンプとか表現難しいけど。

不:確かにね。手紙、長いんだもん。リーディングしようと思ったら手紙長すぎて……アルトーは自分でも「これだけしつこく書いているのはわかってほしいからなんです」とかねちねちねちねち長ーく書いてるんですけど、そこまで他者にエネルギーを向けようとしていたのは面白いなあと思います。

カ:なんかわかってほしい願望すごい強いんだなと他の本読んでも思う。「演劇とその形而上学」でも編集者との手紙が収録されていて、「残酷演劇はこういう風に解釈されているけど、いや違うんだこういうことなんだ」って補足説明をの手紙を出しているんですよね。わかってくれ欲が強い。

不:うん、結局言ってることは生涯通してだいたい一緒で、それを言い方を変えつつ、まあ病気で思考がひっくり返ったりすることはあるけど、同じことをずっと生涯言いかえ続けている人だなと思いますね。

カ:そういえば、これカフカやりますって言ってるけどカフカの何やりますって言ってないですね。世に対して。

不:「野生のカフカ」っていってるけどもはやこのカフカが果たしてフランツ・カフカなのかすらよく考えたらわかんないですね。今から「野生のフランツ・カフカ」にしますか。

カ:「変身」だと思ってこられても「変身」ではないので…「変身」に見える部分もあるかもしれないけど。

不:まあでもカゲヤマさんは一回「野生のカフカ」上演しているわけじゃないですか。今回BUoYでやることになって何か変わる部分はあるんですか?

カ:こないだ稽古して、やっぱり会場の感じが全然違うので。立教はきれいなホールでやって、こっちは廃墟ですから。客席の構造とか見えるものの感じもだいぶ違うので、それに合わせていろいろ変えた部分はまず一個あるのと、印象としては立教でやったのよりもはっちゃけてる感じになってると思います全体的に。

不:はっちゃけてる感じ。

カ:立教でやったときは「カフカ祭」のなかでやりますって枠があったんで、カフカって枠が強かったんですね。今回はそういうものでもないから、もっと上演のカフカに還元されない部分もあると思うので、そういうところに面白さがあっても全然いいというか。カフカとして観なくていいっていう気楽さみたいなものはあって。そういうところではっちゃけている感はあるかもしれない。

不:じゃあ立教で観た方ももう一度楽しめるということで。

カ:見比べると面白いと思いますよ、まじで。観る体験としてはだいぶ違ったものになると思います。そもそも、新座に行くってのが一個ドラマじゃないですか。BUoYに来るには別の体験があると思うので。

不:ありがとうございます。(4/2 BUoYにて)

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いとなみ派公演情報

いとなみ派プロデュースvol.1「よわく生きる ゆっくり走る ひとりをいとなむ」Track.3 上演とリーディング「ひとりとひとりと」

【上演】カゲヤマ気象台「野生のカフカ@おいしいカレー」

出演:畠山 峻(PEOPLE太)

【リーディング】不参加「アルトー⇆  の往復書簡」

出演:岩永彩、峰松智弘(H-TOA)

2019年4月6日(土)17:00 7日(日)11:00/17:00

会場:北千住BUoY 地下スペース

(東京都足立区千住仲町49-11メゾンドメルシー 墨堤通り側入り口)

一般 ¥2,000+1ドリンク¥500

大学・専門学校生 ¥1,500+1ドリンク¥500