香りの思い出
お香のことをもっと知りたい。
頭の中にいつもそんなことがあって、ライター片手に乾燥した草を燃やしている。
私の住んでいる田舎では今でも野焼きが当たり前に行われている。
最近、その匂いが変わっていた。
きっと植物が変わったからだ。
ふと、思い出したことがある。
岡山に引っ越してくる前、私は栃木の益子町という陶器の産地に住んでいた。
そこには陶芸家をはじめ、農家さん、養蜂家、服をつくるひと、楽器をつくるひと。いろんな職業の人がいた。
職業というひとつの括りではなく「自分の暮らしをつくっている」そんな背中がたくさんあった。
型にはまったものではなく、心地よくいる。
益子という風土がいろんな生き方を受容して、そこに暮らす人が耕すように、地に根差すゆたかさがあった。
私が住んでいた家はボロボロのちいさな平家の一軒家で、冬はどれだけストーブをたいても2度より上がらないような家だった。
住めば都とはよくいったもので、その頃は20代だったし、あんまり気にしてなかった。
隣の家にはミーちゃんという目つきの鋭い細身の猫がいて、ときどき我が家に遊びに来た。目つきとは相反して人懐っこいところがあった。
ある日、ミーちゃんはわが家のテラスで、こてんと亡くなっていた。
相方がみつけたときにはもう冷たくなっていて、あわてて隣の人に連絡するも、なくなってミーちゃんの存在の大きさを私も知ったように思う。
しばらくしてやってきた子はミミという猫だった。
サバトラ柄はミーちゃんとよく似ていたけど、フレンドリーで人懐っこい猫。
ふくよかでふさふさした毛並みを撫でると「お日様の匂いがする」そう言いたくなるような香りがした。
干し草とも違う、なんともなつかしい匂いで、ミミの毛を撫でるのがすきだった。
ある時、車で道を走っていてふと気づいたことがあった。
窓からミミの匂いがする。
あっとおもい見てみると、畑の脇で草を燃やしている。
あの「お日様の匂い」は、草を燃やしたにおいだったのだ。
それ以来、草を燃やした匂いが懐かしくてすきになった。
夏の野焼きと、秋の野焼き、冬の焚き日は匂いが違う。
私がすきなのは、秋から冬にかけての匂いだ。
植物の勢いが落ちて、枯葉が落ちる。
その乾燥した葉を燃やす匂い。
時々樹が入っていたり、草が入っていたり。
いろいろなものが混ざり合っているからいつも違う。
でもそこにはどこか懐かしい、そして、すこしだけスモーキーな甘さのある匂いがする。
これはわたしの解釈かもしれないけど。
ミミはどっかの畑でその匂いをつけてきたのだろうか。
道を走っている窓を開けると、今もときどきその匂いがする。
わたしのすきな香りだ。