現実は幻想であるということの理解
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最近すごく思っているのは回り回って基本が大切である、ということです。特に最近は現実は幻想である、という基本的な考え方がより深まった感覚があります。なので現状私がわかっている感覚をお伝えします。
「現実は幻想である」というメッセージはにわかに信じがいですが、やはり事実なんだなというのを感じています。幻想というと現実がなんだかモヤに包まれているかのように感じるかもしれませんが、そうではなく様々な意味合いが含まれています。
まず最初に気づく点はこの2つです。
①思考・感情に囚われて見ている(内部の考えに囚われている)
②起こった出来事に囚われて見ている(外部の出来事に囚われている)
ここはこのメルマガを読んでいる方は理解できる方が多いと思いますが、最近はさらにここに時間・重力というものが深く関わっていると感じるようになりました。
時間や重力に対しての理解は私自身まだまだですが、今感じているのは現実というのはすでに過去であり、そこをどうにかしようとも、それは既にどうにもできないのだということです。
この現実というのは、思考・感情に囚われて生きるとストーリーの中に入り込んでしまい、コントロール不能になります。そしてここは物質世界なので、思考や感情が固定化されるとそれが現実として現れます。
(※ちなみにこの思考や感情が固定化されるというのは、自分の考えが反映されてしまっているようで怖い、と感じる方もいるかもしれませんが、思考や感情というよりもその人の周波数です。今気づけていない無意識部分も含まれるので、自らを責めたりしないでいいですからね。大切なのは今の自分の気持ちに一致することです。)
そのため現実を必死にコントロールするのではなく、未来を思い描くことです。自らが思い描く世界の中で私たちは生きることができます。これは全て思い通りに生きる、というものではなく、単に私たちの中にその力がある、ということを意味します。
これまで私は私がいない、思考や感情はただ流れているものである、と知った時に、今あるものを感じて生きるしかないのだ、と思っていました。なぜなら未来を思い描いても結局それさえもストーリーだからです。なのでただ現実に起きていることを必死に受け入れて淡々と生きていくしかない、と一種の無力感を感じていました。
ですが私がいないとわかって私を生きる、という感覚が深まってからは、世界に対して安心感を感じられ私の中に意志があるのを感じました。これを自らの意志だと思っていましたが、これは内なる創造主でした。
内なる創造主は皆さんの心の中に必ずあります。なのでそれが本来の自分なのだ、ということに気づけると人生を思い描く、という段階に入っていくことができます。
これまでこの人生を思い描く、というのがエゴなんじゃないか、と思っていました。ですが、この地球で意志ある生物として生まれた人間が役割としてやっていくことは、内なる創造主の創造性を発揮してこの世界の循環の中に生きるということです。
この循環の中にいると愛を感じることができ、私はここを幸せの基本だと感じています。ちなみに人間としての役割と聞くと正義感とか義務感のように感じるかもしれませんが、人生にそんな重いものは必要ありません。ただ内なる光をただ照らし続ける、そのシンプルさでよく、そのスタートがまずは自らの人生を思い描く、というところなだけです。
今日はちょっと壮大な話になりました。ですがこれからは人間としての痛みを癒す、今ここに正直になる、というところと、自ら思い描く世界を生きる、という2本だてで行きます。
自ら思い描く世界を生きるという部分は出してもいいものか、としばらく悩んでいましたが、私がいないと分かって私を生きる、という部分は私にとっては自らの成長のためにクリエイションを発揮する、というところでした。
そのためそうやって生きたい、という方はこれからもメルマガを読んでいただけると嬉しいです。
今回は以上です、また書きますね。
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