番外編 ジェレミー・ピットの恋
セッジムーアのあの悲惨な夜以来、ピーター・ブラッドと運命を共にしてきたサマセットシャーの若き航海長ジェレミー・ピットの恋愛沙汰は、ブラッドのバッカニア(海賊)としての活動後期、五隻の船からなる船団を率いて様々な国籍が入りまじった千名を超える者達を配下とし、彼の技量と強運に服した部下達が厳しい規律に進んで従っていた最盛期の日々に起こった事件である。
ブラッドはつい先頃、リオ・デ・ラ・アチャでスペインのパールフリート(真珠交易船)に対して行った大成功の襲撃から戻ったばかりだった。彼は大事をとって船の整備を行う為にトルトゥーガ島に戻っていた。その時、カヨナ港には他の海賊船が数隻やって来ており、この小さな町は彼等の馬鹿騒ぎのお陰でひどく騒々しかった。繁盛しているのは居酒屋とラム酒売りであり、強盗よりもたちの悪いスペインの略奪者から海賊達が盛大に奪った金は、最終的にはバッカニア達と同様に人種国籍が入りまじった酒場の男女の懐に落ち着くのであった。
通常、これはフランス西インド会社の代理人にしてトルトゥーガ島総督であるムッシュー・ドジェロンにとって、落ち着かぬ時であった。
ドジェロン自身については、港の使用料その他の名目で戦利品から公然と数パーセントの上前をはねる事によって、バッカニア達とは非常に友好的な関係を築いていた。しかしムッシュー・ドジェロンには二人の娘、厳かな黒髪のマドレーヌと小柄で朗らかなブリュネット(栗毛)のリュシエンヌがいた。マドレーヌの厳かさは、以前に一度、ルバスールという名の悪辣な海賊に言い寄られ、屈した事があった。この脅威から引き離す為に、父はこの姉娘をフランス行きの船に乗せた。しかしそれを嗅ぎつけたルバスールは後を追って彼女の乗る船を強奪し、キャプテン・ブラッドが折り良く間に入っていなければ、彼女の身には最悪の事態が起こっていたかもしれなかった。ブラッドはルバスールの手中から彼女を無傷で救い出し、その経験によってすっかり目の覚めた娘を父親の許に送り届けたのである。
以来ムッシュー・ドジェロンは、町を見下ろす高台にある芳しい庭園に囲まれた大きな白い邸宅で、彼を賓客として遇してきた。
家族の一員を救い出すという功績によって、キャプテン・ブラッドはこの頃既に、彼自身が半ば身内同然に扱われていた。そしてまた、政治犯として流刑に処された末にこの稼業に手を染めるよう強いられた彼のオフィサー達も、他の海賊達とは区別され、同様に歓迎されていた。
それが今や、これ自体が厄介事の源と化していた。ムッシュー・ドジェロンの邸宅がブラッドに従うキャプテン達に開かれている以上、他のバッカニア・キャプテン(海賊船長)達にも門戸を閉ざすという無礼はできなかった。その為に彼は、好ましくもなければ信頼もできぬ者達の訪問を受け入れざるを得なくなっていた。それもこのような輩との同席などもっての外である本国フランスからの賓客、気難しく上品なムッシュー・ド・メルクールから苦情を受けているにもかかわらず、である。
ムッシュー・ド・メルクールはフランス西インド会社の重役の子息であり、父親の意向により会社の事業に関係した植民地に指導を行うべく長い船旅に出ていた。一週間前に彼を運んできたフリゲート艦スィーニュ号は、それ以来ずっとカヨナ港に錨を下ろしており、この若い紳士が航海を再開すると決めるまではそのまま停泊を続けるはずだった。この事からも彼の社会的影響力が推察されるだろう。明らかに彼は、植民地の総督が最大限その意向を尊重せねばならぬ人物であった。だがしかし、たとえばレーヌ・マルゴ号のキャプテン・トンデューのような猛々しく尊大な輩を、どう重んじろというのか?ムッシュー・ドジェロンは、ムッシュー・ド・メルクールの所望通りに問題の男を我が家に出入り禁止にするには、どうすればいいのかわからなかった。あのならず者がマドモアゼル・リュシエンヌに魅了され、彼女を目当てに来ているのが明らかであると判明した段になっても。
他にもう一人、同じ魅力に屈した者がいたが、それはジェレミー・ピット青年だった。しかしピットは全く異なった種類の男であり、彼のリュシエンヌへの求愛がムッシュー・ドジェロンにとっていささか悩みの種であったとしても、少なくともそれはトンデューによってもたらされている類の不安とは一線を画すものであった。
ここから先は
ラファエル・サバチニの『海賊ブラッド』
1685年イングランド。アイルランド人医師ピーター・ブラッドは、叛乱に参加し負傷した患者を治療した責めを負い、自らも謀反の罪でバルバドス島…
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?