孤独の上に立て
あなたは「孤独」を感じたことはありますか?
友達や恋人と喧嘩したとき、本当はだれかと遊びに行きたいけど1人で家で暇してるとき、とか、誰でも「寂しい」と思うことはあるはず。
私は、いつも孤独でした。
小学校で、友達らしい友達はいませんでした。
いつも一緒に行動してる子たちはなんとなく居るけど、話を合わせたりするのが苦手で、その空気感は彼女たちもなんとなく気づいてたはず。
中学高校も、文化祭の実行委員だとか、「何か一つのゴールに向かってみんなで頑張る仲間」的な付き合いはできるんだけど、
「他愛もない話」って、なんかうまくできなくて、1人でいることが多かったんです。
みんなが楽しそうに笑ってるのを、自分の席で、気づかれないように、見ないふり、聞こえないふりをしている子でした。
別にいじめられてるわけじゃなかったし、話せる人はいたから、そんな孤独は受け入れて毎日を淡々とやり過ごしてたわけだけど、
どこかでずっと、馴染めない悔しさや、さみしさをずっと抱えていたんだと思います。無意識で。
逆に、その悔しさが私のガソリンになりました。
悔しい、寂しい、1人なのを認めたくない、
そんなぐるぐる渦巻く負の感情が、努力を掻き立て、内省のきっかけになっていました。
小学生の時から、「自分とは何か」とか、生きる意味とか、人間ってなんでこんなに面倒臭い生き物なんだろうとか、考えて考えて考え抜いてたし、
大学受験前は休み時間もずっと1人で黙々と勉強してた。
今思うと、自分の中の負の感情を燃やし尽くすように、圧倒的に思考し、努力してたんだと思う。
だから、「孤独」は私を蝕むものじゃなくて、私の土壌でありガソリンなんです。
負の感情こそが、どんなポジティブさよりも、人を動かす原動力になる。
ネットで誰とでも繋がれるようになった現代の孤独さが叫ばれているけど、
「孤独」なんて負の感情は、閉じ込めずに燃やしてしまえばいい。それが無意識であっても。
今はこうして、ライブ配信に燃えて、ネット世界で一緒に進んでいく仲間が増えてきて、
「孤独な強さ」の上に、「仲間がいる強さ」も加わったのかな、と思います。
この二つは一見矛盾するように見えるけど、
私にとって「孤独」がなければ努力もないから、
やっぱり私は「孤独」の上に立ってる人間です。
いつまでも、自分の抱える「孤独」を、燃やし続けていきたいと思います。