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やっぱり『ハイキュー‼︎』が好きだ

 好きな小説や漫画は数多くあり、どれも大切なのだけど現状、人生で一番その作品について考えていた時間が長い作品を問われたら『ハイキュー‼︎』になると思う。なので、アドベントカレンダーの「私の一冊」で『ハイキュー‼︎』の話をしたいと思う。

『ハイキュー‼︎』は週刊少年ジャンプで連載されていた高校バレーの漫画だ。
 身体能力は抜群に高くバレーに対してもひたむきだが身長が低い上に環境的にもバレーを十分に出来なかった主人公日向翔陽が、セッターとしての実力はあるが独善的なプレーをして中学時代にチームメイトから拒絶を経験した影山飛雄をはじめとした烏野高校バレー部の面々と出会い成長しながら春高を目指す群像劇である。

 『ハイキュー‼︎』の好きなところを挙げていくとキリがない。キャラクターの造形もストーリーも、絵のうまさもコマ割の表現も全部好きだ。
 何より好きなのは作中に込められた作者の「祈り」だ。もしかするとそれは私が一方的に受け取っているものでしかないのかもしれないけれど、『ハイキュー‼︎』の中に込められた祈りが好きだ。
 祈り、と言うのは願いというのともちょっと違う気がする。現実はそううまくいかないかもしれない、でもこうであってほしい、作中のキャラクターだけではなくて現実が少しでも変わっていく一助になりやしないかという強いメッセージが『ハイキュー‼︎』にはたくさん込められている気がしている。
 指導者がみんな人道的であること(鷲匠監督は古いタイプの監督として描かれていたが、ちゃんとそういう時代の人として描かれていた)や、主要な選手が大きな故障や怪我を理由にバレー人生を諦めてはいないこと、何よりも成人した彼等がいろんな道を進んでもみんなバレーを好きで、いろんな距離からバレーと関わっていること、そういうところに祈りを感じる。
 特にハイキュー‼︎の終章は祈りが詰まっていた。少年ジャンプで高校の部活としてのバレーを描いた後に、大人になった彼らがどのようにバレーと向き合っているのかという話に『ハイキュー‼︎』は3巻分費やしてくれた。
 大人になってからの彼等は仕事としてバレー選手になっている人もいれば、仕事をしながら2部リーグでバレーをしている人もいる。選手とは違う形でバレーに関わっている人もいる。 
 それよりももっと多くのキャラクター達が、仕事としてはバレーとは関わらない仕事をしている。中には趣味でバレーを続けている人もいるし、そうではない人もいる。繋がりの濃淡があり、それが直接バレーとの関わりではなくてもそれぞれが高校時代に打ち込んだ部活を糧にして大人になっている。
 スポーツ漫画を数多く読んだわけではないので、これは偏見なんだと思うけど部活を描いた時「この一勝が人生の全て」のような重さで描かれる勝負を何度か読んだ。それは高校生の彼等にとっては嘘偽りない感情だろうし、その必死さが胸を打つ。それでも、大人になってしまった自分は「いうてその先の人生は長いよ」と何度も思った。それさえ手に入れれば全てを失っていいと思った試合の先もずっと続いていく。大人になってしまったからこそ思う。その試合の先の人生のほうがずっと大事なんだと。
ハイキュー‼︎はずっと続いていく競技人生を描いてくれた。
大切な試合であってもバレーを続けていたら勝負が続くことを描いてくれた。
競技としてのバレーから離れたら部活で培ったものがゼロになるわけではないことを描いてくれた。
コートに立つ以外の競技との関わり方を描いてくれた。
第一線で戦うものだけが特別なのではなく、皆が部活を通して得た体験を血肉にして日々を営んでいることを描いてくれた。そこに貴賎がないことも。
 もしかしたら私が大人だからそのメッセージが刺さったのかもしれない。少年ジャンプを読む中高生からするとそのメッセージは説教くさかったり綺麗事に感じたりするかもしれないとも正直思う。でも、少年ジャンプで希望を持てる形で「大人になってからの彼等」を丁寧に描いてくれたことが、私は本当に嬉しかった。
それは今部活に打ち込みながら放課後に少年ジャンプを回し読みするような子どもたちへの祈りだったんじゃないかと私は勝手に思っている。
少なくともそれはハイキュー‼︎を読んだ私が「こういう風に受け取ってほしいな」と感じる祈りではあった。
 つまるところ私は『ハイキュー‼︎』が大好きだし、この先もずっと読み返したり思い出す作品になるんだろうという話がしたかった。
ありがとうハイキュー‼︎、ハイキュー‼︎を好きになったおかげで繋がったお友達もいるし、毎週ジャンプをワクワクしながら読む楽しみも教えてもらった。
ずっと特別な一冊(全45巻)です。

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