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ナンパと鳥と牛丼

書き出しスランプというのがあるなら、今の私はまさしくそれだ。
何個かnoteに書きたいことはあれど、書き出しが思いつかず下書き保存のまま葬られたり、そもそも書けないやーって全消ししたりする。
今までどうやって乗り越えてきたっけ、どうやって書いてきたっけ、が思い出せない。
気づけば最後に更新した日がいつなのか忘れるほど放置していた。

家族の集まりがあり、母の家に長居してしまった。終電まであと数時間といった22時半、次逃したら電車が来るのは25分後で、何としても乗りたい。乗り換えのため早足で構内を歩いていた。
すると後ろから男性に英語で声をかけられる。少しぽっちゃりとした海外の方だった。
彼はどうやら日本人の奥さんが欲しいらしく、結婚してくれと数秒の間に何度も言われた。

初めまして、の次が結婚してくださいだなんて、人生の中でもなかなか言われないと思う。まさかの人生初プロポーズがこれだなんて!と思いつつ、アイムソーリーを繰り返しながら二人同時に隣の改札を通った。
隣からけたたましいエラー音が。向こうはチャージ金額が足りないらしく足止めを食らっている。オーマイガー!と叫ぶ彼と、ゲラゲラ笑う私。今日もこの街は愉快だ。彼を置いて走り、乗り換えに急いだ。

こういった日常のあれこれを切り取って楽しんでいきたいと思いつつ、ぼーっとしてたら1日終わっていたなんてこともよくある。最近の私は働くかぼーっとするかの二択でしかない。外は暑いし。


私は何か美味しいものを食べた時、思ったように「これ美味しい!」と言うのだが、それを聞いた相手が「ほんと?じゃあ糸ちゃんにあげる」と自分のを分けてくれたりする。それも優しさとして理解はできるのだが、私は相手とほんとだ美味しいね、と笑いたいタイプ。
祖母は圧倒的に前者で、これを伝えても「でもわたしはちょうどこれいらないと思ってた」など変な理由でくれる。もやもやしちゃう。


優しさの定義って十人十色だと思う。
お昼の12時ごろ、家のベランダに必ずスズメがやってくる。たまにお友達を連れてきて休んでいるのを見かけると、スズメにとってここが過ごしやすい場所になればと思い、私は鳥のエサや水を置いてスズメを歓迎した。

ところが、スズメだけではなくハトやよくわからない鳥までくるようになってしまった。もうどれがいつも来ているスズメなのかわからない。鳥のフンだらけになってしまったベランダを一人寂しく掃除した。

昔から動物が大好きだったので、人間に対して優しくなれない時でも動物には無償の愛で優しくできる。自分の機嫌は自分で取りたいことも達成できないことの方が多くなっちゃうし。


優しさを受け取ると、誰だって心が温かくなると思う。
テイクアウトしてくれた牛丼に私の分だけ温玉が入ってたりとか、ゴジラが八景島を襲う映画で水族館にいる魚の安否が心配な私に「魚は保護されてるから大丈夫」と映画にないことで励ましてくれたりとか、私がナッツ嫌いなのを知っていて、ナッツを避けたお菓子をくれたり、とか。
どんなに小さくても些細なことでも、覚えていたり嬉しくなることって絶対にある。そのひとつひとつを優しさであり、愛と言うんじゃないかと思った。

最近はSNSの使い方ひとつでも悲しい出来事が多い。
優しくない言葉で人を傷つけたり、悪意のある言葉で苦しめたり。
私は人を殺す言葉ではなく、人を生かす言葉を使いたい。世界中に向けては難しくても、せめて私の周りにいる人や関わる人だけでも、愛を持って優しくなれる人間でありたいと最近はよく考える。


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