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今の世界から離れてみて

わたしには親友がいる。
名前を雨、あちゃーん、ゆべし、という。


高校生活初日、わたしの地元から同じ高校に進んだ同級生はおらず人見知りを発揮した。

わたしを遠巻きに見つめるクラスメイトが少々。「あの子◯◯中?」「いや、見たことない。そっちこそ同じじゃないの?」「知らないよあんな子」とヒソヒソ話す声を聞き、机と睨めっこをしながら模様の曲線の数をひたすら数えていた。
それもそう、我が母校はほとんどの生徒が周辺の中学校出身であり、市を跨いで1時間半かけて通う生徒など稀だったのだ。


やっとの思いで友だちを作り、わたしを含めて4人のグループでお昼のお弁当時間や下校を共にした。しかし、そのうちの2人が4人でいる間にもLINEで秘密裏に会話をしていたのだ。お弁当を楽しく食べてる時も、下校途中にファミレスに寄った時も、カラオケで誰かが歌っている時もひたすら動き続ける2人のLINE。
「今のわたしの発言まずかったかな」「あ、絶対今わたしの悪口書いた」と思うようになり、もはや信用などできるわけがなかった。

案の定わたしの悪口は書き込まれており、わたしも黙っている性格ではないのでド派手に喧嘩をした。
そうしてグループから炙り出されたわたしに手を差し伸べてくれたのが雨、あちゃーん、ゆべしの3人だった。
高校時代の思い出は、部活かこの3人かと言っても過言ではないかもしれない。

それまでずっと、友だちだと思っていた人から悪口を書き込まれているかヒヤヒヤしていた生活とは真逆で、毎日馬鹿馬鹿しいことで大笑いする日々になった。
「芋けんぴ髪についてるよ」の漫画が流行れば、水曜日を定休日にして月火木金で当番を決めて週4で芋けんぴを買ってくる生活になった。誰かが芋けんぴ飽きたんだけどと発言してくれないかとうっすら思ったが、曜日当番が芋けんぴを出すと休み時間に黙々と食べ続ける日々。今でもコンビニで芋けんぴ見ると思い出す。

購買に行くのも一緒で、部活がない日に下校するのも一緒。進級してクラスが離れてもLINEのグループは動き続けてたし、わたしの高校生活はこの3人のお陰でとても楽しかった。

高校3年生の秋、そろそろ本格的に進路を考えようという時期になった。その時わたしは初めて、芸能の世界に興味があると雨に話したことがある。
応援してくれると思った。頑張れって言ってくれると思ってた。でも雨はすごく浮かない顔をしていたのだ。
「糸がやりたいことをやるのは応援したい。でも、いつか糸のことを悪く言う人を見た時、わたしはすごく悲しくなる」
そう言った雨のことを今でもすごく覚えている。本当に大切にしたい人だと心から思った。( 実際高1の時に悪く言った人がいたけど、自力で跳ね除けたから大丈夫だよ、と謎に励ました )


高校を卒業しそれぞれの進路へ。専門学校に進んでからも少しは連絡をしていたが、卒業し小松糸として活動していくと決めたとき、わたしは高校1年生から使っていたツイッターのアカウントからログアウトした。
( 当時はパソコンがないと削除できず、持ってなかったわたしは全てのツイートを消した上でログアウトを選んだ )

そんなにアカウントたくさん持っててもなぁ、という思いと、どうせ「お腹すいた」だの「ねむい」だのどうでもいいこと、小松糸としてのわたしも全然言えちゃうから使い分ける必要などなかった。


ログアウトしてから約5年ほど。いろんなことがあったし、それは楽しいことばかりじゃなかった。泣きすぎて電車に乗れなくなったり、誰かに勝手につけられた優劣を気にして眠れない夜を過ごしたり。床を這いつくばるほど泣いて悔しい思いをしたことなど、この3人には知られたくなかった。
悪口を言った本人に直接文句を言い大喧嘩したあの時の威勢の良さは、正直あまり残ってなかったかもしれない。


ふと、なぜか思い立って当時のアカウントにログインを試みた。思いつく限りのID、パスワードを適当に打ち込み、奇跡的にログインができて見てみると、高校時代と同じ顔ぶれがタイムラインに並んだ。時間が戻ったような気がした。

わたしはすかさず「生きてます」という5文字をツイート。すぐに3人が『小松!?!?』と反応してくれて、今度4人で集まろうよという話になるまで時間はかからなかった。
涙が出る。画面越しでも再会したような気分だ。

そして今ではあの頃できなかった飲み会を開催したりなど、また楽しく4人で過ごすことができている。
今日飲めるー?というLINEが来ればスケジュール帳と睨めっこしたり、誰かの恋バナにいけいけと後押ししたり、カスな男に惹かれてると言う人がいれば「埋める準備はできてるよ👍」と返したり。時間は進んでも関係は変わらない。安住の地だ。

今いるこの世界から離れてそれぞれが生活していても、また戻る場所を作ってくれる。空白の5年間があっても、それを少しずつ塗りつぶすようにして時間を巻き戻す。この戦場のような社会の中で、惚気も愚痴もネガティブなことも吐けるような、親友であり戦友のような気がしているのだ。


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