泥の中で深呼吸をする
その日は本当に最悪な日だった。
前日の夜、好きなアイドルがグループを脱退した。それを翌日の朝に知る。
彼女の歌声が大好きだった。今後グループを離れても歌を歌い続けてほしいと願い、それでも最悪な気分は拭えず朝の身支度をする。
家を出発しイヤホンを取り出すと、充電が数パーセント。昨夜充電するのを忘れていた。
瀕死の状態のイヤホンをそっとカバンにしまい、たまには外の音を聴きながら歩くのも悪くないと、無理矢理自分を元気づけて職場へと向かう。
次々と通過していく駅名をボーッと聞き流していたら、車内で男性2人が喧嘩を始めた。大声で暴言を吐きながら胸ぐらを掴み合ってるのを間近で見る羽目に。なんで今日に限ってこんなことが、とイヤホンを充電しそびれた自分をひどく恨んだ。
満員電車の中で多くの人がため息をつく。電車はそこで15分ほど停車し、さらに車内がイライラとした空気に包まれた。ぶつかられたくらいで電車を止めるほどキレていたら、もっと怒りたい時にどうするんだろう。満員電車でそんな揉め事、多分彼らは東京に不向きだと思う。
人の強い感情が自分に向いていないとはいえ、間近で見ると心が疲弊してしまった。朝からそんなもの見せられて、いろんな不運が重なって職場に着く頃にはヘトヘトだった。絶対にこの日は山羊座は最下位だったはず。めざまし占いで「ごめんなさーい」と紹介されるのが何度も頭をよぎった。
踏んだり蹴ったりな1日の始まりとはいえ、職場の仲のいい社員さんたちとお話ししていたら段々と気は紛れていった。良くも悪くも周りに影響されやすい性格は、今後良い方にしか向かないようにしたい。
昔は自分と他人を比べて落ち込むことが多かった。一日の大半を落ち込んで過ごしていたこともある。私になくて彼らにあるものを見つければ見つけるほど、自分の存在が無価値で意味のないものに思えて仕方がなかった。
占いやラッキーアイテムに左右されるのも、何かに頼って信じていないと不安になってしまうから。
最近気づいたのは、占いを信じても信じなくても、来るものは来る。来ないものは来ない。自分の今年の仕事運に左右されたり、自分が誰かと結ばれるのかなど気にしなくても、時の流れに身を任せればいいのよ〜。と気楽な考えができるようになった。
自分が何者なのかではなく、何者でないか。いつか人生を振り返ったとき、何を成し遂げたかではなく、どんな影響を与えられたか。
好意も興味も流行も賞味期限がある。今大事にしているものが明日も同じとは限らないから、その賞味期限が1時間でも多く保つように、向き合い方を変えていかなければいけない、というのが私の最近の知見。
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